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2007.06.22
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イスラエル・アメリカ製のアッバース・ファタハ
Posted by :早尾貴紀
あからさまな茶番劇が展開されている。アッバース大統領による非常事態宣言と、ハマスとの連立内閣の解散と、ファタハ非常事態内閣の組閣。それを受けて、イスラエルとアメリカとEUとエジプトが、アッバースとファタハ内閣の全面支持を表明。具体的に、パレスチナ自治政府ボイコットを解除し、イスラエルは譲渡を止めていた代理徴収税を引き渡し、欧米は支援を再開した。
イスラエルとアメリカがファタハに武器を渡し、ハマスとの衝突を煽り、内閣崩壊を促してきたことには、これまでも何度も触れてきたが( 前々回ノート など参照)、日本の大手新聞なども、いい加減、アッバース大統領を「穏健派」と称するのはやめるべきではないだろうか。これまでファタハが分捕ってきた既得権益にしがみつき、ハマスを追い落とすために、イスラエルと手を結んで武器を供給してもらい、それをパレスチナ人(ハマスのメンバーなど)に向けてきたのだ。
アッバース大統領は「穏健派」などではない。イスラエルとアメリカに対して柔和的であるということの意味は、イスラエルの「占領」を容認している、ということでしかない。二国家解決方式を認めるか否か、イスラエルを承認するか否かが、ファタハとハマスを分つのではないのだ。もしこの点を問うのであれば、逆説的にも、むしろハマス政権を支援したほうがはるかに二国家解決に近づくはずなのだ(なぜなら、ハマスの実質的な主張は、西岸・ガザの完全な占領の終結、つまり入植地の全面的な撤去や、国境管理権の委譲なのだから。これは、事実上、グリーンラインを挟んだ向こう側のみに限ったイスラエル国家の承認でもある)。
昨年のハマス政権発足後の問題は、明らかに、実質権限の明け渡しを拒絶するファタハ側が、イスラエルとアメリカの力に頼って、ハマス潰しに走ったことにある。この点、アッバース大統領は、「穏健派」を標榜しつつも、実のところはハマスの活動家の弾圧においては残虐さを極めており、イスラエル軍による直接的なパレスチナ人の殺害件数に匹敵する処刑・暗殺を行なってきたとも指摘されている(つまりこれは、イスラエルとアメリカによる間接的な暗殺作戦のようなものであり、イスラエル軍による犠牲者数に上乗せすべきかもしれないが)。
新聞・テレビなどの大手メディアでは、一貫して、「ハマスの突然の暴挙」として伝えられているが、アッバース・ファタハの非常事態内閣こそが、理不尽で暴力的な政権転覆なのは、そこに至るまでの1年以上のプロセスを見れば明白だ。むしろ今回の件は、イスラエル・アメリカの操作による「アッバースの乱」とでも言うべきだ。
イスラエル製ファタハの武力に対して、別の武力で抗したハマスのやり方には異論があって当然だとは思うが、ハマス自体の是非を言う前に、根本的な不公正さが上記の過程にこそあるということは、何度でも確認しなくてはならない。
また、マスコミでは、ガザ=「ハマス王国」、西岸=「ファタハ王国」という形で分裂を深めていっているように描いているが、実際にはそう単純ではないし、「西岸・ファタハ第一主義」でゴリ押ししようとするイスラエル・欧米の思惑がそのままうまく行くとも思えない。昨年の民主的選挙の結果が突きつけたことは、アッバース・ファタハへの「ノー」であった。ファタハの進めてきたイスラエルとの「友好的な交渉」路線が帰結したのは、入植地の容認であり、分離壁の容認であった(ファタハと分離壁の関係については、 「壁報道の不思議」 (04年4月)を参照)。つまりはオスロ合意以降の10年強の期間は、同合意自体の掲げた二国家解決方式そのものが、むしろ完全に不可能にされていく過程でもあった。
アラファト時代から指摘されてきた身内利権の独占と権力腐敗の構造は、アッバース体制下で深まりこそすれ、改善など見られなかった。旧態依然たる候補者名簿しか出せないファタハに対して、パレスチナの民意は「ノー」を突きつけ、それに対し、学者、弁護士、医師、エンジニアなどの知識人を議員候補名簿に揃えて改革の意志を示したハマスが選ばれた。オスロ・イスラエルの承認か否定かという図式も間違いだが、よくある「世俗対宗教」という描き方もまた、問題の所在の隠蔽だ。
ともあれ、入植地・分離壁まで容認してでも自らの権力維持を至上命題としたファタハには、西岸のなかでも民衆の支持基盤は強くない。ハマスとの連立を放棄したアッバース・ファタハは、ますますイスラエルと欧米に依存するしかなくなり、そのことはいっそう民衆離れを引き起こさざるをえない。非常事態宣言・非常事態内閣は、混乱と自滅を深める以外にはないのではないか。
そして、さらに胡散臭い話がまた顔を出してきた。ファタハ側からもイスラエル側からも、マルワン・バルグーティー囚人(終身刑5回と40年の禁固刑)の釈放が話題になってきている。この件については、もう2年以上も前にここのノートで書いたことがある( 「「小アラファト」バルグーティ―氏」 、2004年11月)。数あるファタハの武装組織の一リーダーにすぎなかったこの人物が、いかにイスラエルに虚飾されて(逆説的にも)「抵抗の英雄」としてまつられるようになったかについては、ここでは繰り返さないので、上記ノートを参照されたい。
たんなる利権の亡者となったアッバースにはもはや民衆的支持がないことから、アッバースの賞味期限が完全に切れる前に、次のコマを用意しなければならない、というわけだ。ハアレツ紙の社説までもが、建国前のユダヤ人武装闘争活動家が建国後に政治家になったこと、そして南アフリカ共和国のネルソン・マンデラ氏もまた獄中の政治囚から大統領になったことを挙げ、それらにバルグーティー囚人をなぞらえている。気持ちの悪い話だが、近い将来に現実味を帯びてくるかもしれない。
今回の非常事態内閣を受けて、「アッバースがフィクションだったことが露呈した」という皮肉を言ったハアレツ紙の記者もいたが、今度は「バルグーティーというフィクション」がつくられようとしている。あるいはさらにまた別のフィクションがつくられるのだろうか。
http://palestine-heiwa.org/note2/200706221142.htm