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最低限の生活も不可能な国の不思議な会見。
http://www.kcckp.net/ja/news/news_view.php?0+7163
日本に誘拐された朝鮮人女性が帰国
日本に誘拐された朝鮮人女性の都ト秋チュ枝ジさんが6月26日、空路、帰国した。
日本の反動勢力の懐柔と欺瞞策動を退け、社会主義祖国の懐に再び抱かれた彼女は、平ピョン壌ヤン空港で夢にまで見た子供たちと感激の対面をした。
彼女は平壌空港と、帰途、中国の朝鮮大使館で記者会見を行った。
記者会見には、朝鮮と中国の新聞、通信、放送記者、各国の特派記者が参加した。
都秋枝さんは1949年10月28日、日本の神奈川県川崎市で、朝鮮人の父ト・サムダルと日本人の母イシカワ・ミヨコの三女として生まれた。
彼女は、1960年に両親とともに祖国の懐に抱かれた、朝鮮民主主義人民共和国の公民である。
日本に誘拐された経緯について、彼女は次のように説明した。
北プク倉チャン郡(平ピョン安アン南道)に住んでいた私は、2003年10月18日、悪いやつらにだまされて本意ならずも豆トウ満マン江を渡り、そこに待機していた車に無理やり乗せられて連れ去られた。
数日後、瀋陽の日本総領事館に入り、そこで2週間過ごした後、日本へ行くことになった。
ついで彼女は、日本で暮らしていて、再び祖国に帰ることを決心した経緯について、次のように述べた。
5人の息子、娘を生み育てた母として、毎日気が狂わんばかりに懐かしくてならなかったのは子供たちである。
子供たちに笑いや幸せ、むつまじさを見いだし、「苦難の行軍」も乗り越えた私なのに、子供たちと別れていたのでは、まったく生きがいがないということを痛感した。
子供たちと手紙や電話のやりとりをするたびに、涙に始まり涙に終わったものである。
毎晩ひとり床に就くと、子供たちを思うあまり、涙で枕を濡らしたものである。
子供や孫たちが依然として党の懐で幸せに暮らしていると聞き、ますます子供や孫たちが見たくなった。
そのうえ、軍隊服務を終え、除隊になって帰ってきた2番目の婿が党学校に入学したと聞いた時は、今すぐ帰って婿の晴れ姿を見たいと思った。
日本に連れ去られ、3年7ヵ月の間そこで暮らして私が感じたのは、日本はあまりにも物騒だということである。
毎日のように報じられる殺人事件、親が子を殺し、子が親を殺し、一人暮らしの老人が死後数ヵ月も経ってから発見されるといったことを耳にし、こんな所でひとりで暮らしていてはどんなことが起こるやらとそら恐ろしく、誰も身内がいない日本で子供たちにも会えないまま死んだらどうなるのかと、不安におびえながら月日を送った。
これは人間の生き方ではないという思いに駆られ、死ぬにしても子供たちのそばで死のうと何回も決心した末に、今日この道を踏み出すことになった。
日本の官吏たちが子供たちを連れて来るべきではないかと言った時も、私は、子供たちを連れて来るのではなく私が帰るべきだと言ってやった。
記者会見を終えるにあたり、彼女は日本に連れ去られて苦痛の日々を送り、祖国を懐かしむたびに心の中でうたった歌『将軍の家族』をうたった。