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質問
QNo.3120401 「慰安婦」決議採択、日本政府に謝罪要求 どうして?
質問者:nariyuki
米下院外交委「慰安婦」決議採択、日本政府に謝罪要求
http://www.asahi.com/international/jinmin/TKY200706270262.html
米下院外交委員会は26日、「慰安婦」問題で日本政府に公式な謝罪を求める決議案を圧倒的多数で採択した。
決議案は民主党のマイク・ホンダ議員が2月に提出したもので、140人以上の議員が共同提案者に名を連ねた。
来月に下院全体会議で採択され、正式な決議となる見込みだ。
この問題ですけど・・・
私自信が、問題をわかりやすくするためにあえて聞くけど
(1) あやまったら何がわるいのっ?
(2) なにか後で都合が悪くなることがあるのっ?
まずは、簡単にこの質問だけさせて下さい。
いろいろ、問題あるだろうけど、整理する為にまず、この質問から
宜しくお願いします。
回答No.21
ANo.21
回答者:Ganymede
> あやまったら何がわるいのっ?
あやまってわるいことはありません。少なくとも、今まで日本政府が河野談話とアジア女性基金で示してきた、お詫びと償いの線から後退してはならないでしょう。しかし、それを否定しようとする動きが、日本政界・社会で力を増してきています。その蠢動は米国の識者にも察知されていて、今回の米下院委員会決議の引き金にもなっているようです。
> なにか後で都合が悪くなることがあるのっ?
あやまったのに、あとで自分からそれを台無しにするような言動をとると、信用を失います。
【解説】
この小文では、次のデータベースから国会質疑を引用した。
国会会議録検索システム(国立国会図書館)
http://kokkai.ndl.go.jp/
(1) 河野談話
慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話(1993年8月4日)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kono.html
言うまでもないが、内閣官房長官は内閣のスポークスマンである。河野談話は河野洋平の私見ではなく、当時の宮澤内閣の公式見解だった。詳しく言うと、「閣議決定はされていないが、歴代の内閣が継承しているものである」(辻元清美議員の質問主意書に対する内閣の答弁書、2007年3月16日)。
これを「証拠もなしに軍による強制連行を認めた!」と攻撃する人もいるようだ。しかし、そういう人は全文を読んだのだろうか。
談話を見ていくと、「旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した」のは「慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送」である。慰安婦を軍の車両や船に乗せて運んだ事例があることは、記録に残っている。この点から言っても、慰安婦は「追軍売春婦」(勝手に軍を追っかけて売春する)ではない。また、主計将校だった中曽根元首相は、慰安所の設置に関して、次のように回想している。
「三千人からの大部隊だ。やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。そんなかれらのために、私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある。」
(『終りなき海軍―若い世代へ伝えたい残したい』松浦敬紀・編集)
慰安婦問題でトバッチリ喰らった中曽根元首相(JanJan)
http://www.janjan.jp/government/0703/0703232269/1.php
> 外国人記者からの質問は「慰安婦問題」に集中したのだ。
次に、談話は「官憲等が直接これに加担したこともあった」と述べている。「官憲」とは、官庁・役所など、特に警察関係をいう言葉である。この文脈において、軍を指し示しているとは解釈し難い。また、「これ」が指すのは、直前の
「甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例」…(*)
または
「慰安婦の募集」…(**)
であろう。「加担」の意味には、「援助する」や「実行行為に加わる」がある。
【加担する】
《援助》assist; support; 《味方》side ((with)); 《関与》participate [take part] ((in)); 《共謀》conspire ((with)).
(Infoseekマルチ辞書powered by三省堂から引用)
(**) に当たったのは、「主として」「軍の要請を受けた業者」だった。したがって、官憲は (**) の実行行為の一部だけを担ったか、あるいは実行行為には加わらずに、背後で援助したものと解される。また、(*) は (**) の一部であるから、(*) を主に行ったのも業者だろう。
「直接これに加担した」と書いてあるからといって、官憲等が直接手を下したとは限らない。業者に直接援助した、すなわち、官憲が業者に便宜を図るにしても、間に(トンネル団体を挟むなどの)ワンクッションを置かずに直接便宜を図った、というような意味合いが考えられる。(2)で後述する。
また、仮に「官憲等」が軍を含み、かつ、「(*) の実行行為に加わった」と解釈しても、談話は正しい。例えば、インドネシアのスマラン慰安所事件を考えればよい。確かに「官憲等が直接これに加担した『こともあった』」と言える。同事件については(5)で後述する。
次に、「慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった」。これは端的に言ってその通りだろう。
以上から分かるように、河野談話は、軍による常態的な強制連行を認めてはいない。認めているのは軍の「関与」である。また、「軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた」ことを認め、「数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げ」ている。
政府公式見解の御多分に洩れず、この談話も周到な「官僚的作文」である。それを読解できないために、これを「誤り」と決め付けている人もいるらしい。あるいは、政治的思惑から、わざと日本に不利なように曲解した上で、難癖を付けているのではないか。
(2) 軍関与売春への移行
例えば韓国・北朝鮮の国民常識では、「朝鮮半島出身の日本軍慰安婦はほとんど強姦の被害者だった」と考えられているらしい。「女子挺身隊」の名で徴集して強制的に慰安婦にした、などである。それを補強するとみられた、吉田清治(元山口県労務報国会動員部長)の済州島体験記も現れた。「衆院・予算委員会・昭和60年02月14日」では、佐藤観樹議員が吉田の『私の戦争犯罪』を朗読して、政府の見解を問い質している。
しかし、それは流言蜚語やフィクションの類だったことが判明する。秦郁彦が現地調査して吉田の記述内容を突き崩し(1992年)、吉田は有効な反論ができず仕舞いだった。吉見義明らも吉田には困っていて、「あなたフィクションだとはっきり言った方がいいですよ」と勧めている有様だ。
さて、時期は前後するが、「参院・予算委員会・平成02年06月06日」で労働省職業安定局長・清水傳雄は次のように答弁した。
「従軍慰安婦なるものにつきまして、古い人の話等も総合して聞きますと、やはり民間の業者がそうした方々を軍とともに連れて歩いているとか、そういうふうな状況のようでございまして、こうした実態について私どもとして調査して結果を出すことは、率直に申しましてできかねると思っております」。
これが、返す返すも軽率な答弁であったことが、のちに明らかになっていく。ここで、次のように図式化してみよう。
|(a)売春なし|(b)業者売春|(c)軍関与売春|(d)軍強制連行|
「調査して結果を出すことは、率直に申しましてできかねる」と言った日本政府だったが、盧泰愚・韓国大統領などにせっつかれて、やっと1991年ごろから第2次大戦時の資料を調べ始める(終戦直後に多くは焼却・散逸して、残りは保存したまま未調査だった)。
その結果、「日本支配地域のどこでも (d) が常態」という説は否定された。一方で、(c) を窺わせる文書が出てきたのである。単に「民間の業者がそうした方々を軍とともに連れて歩いている」(すなわち (b))ではなかったのだ。(b)、(c) は業者が売春業を行うが、(c) は軍が単なる客にとどまらず、業者に便宜を図ってあれこれ関与するという点で違いがある。
(a) は理想状態だが、事情通の話では売春のない国はないそうである。軍の基地・駐屯地の周りには、売春業者が店を出すものと相場が決まっていて、(b) の状態になる。そういう売春宿はしばしば性病の巣となる。兵隊がもらってくるだけでなく、うつし返してピンポン感染したり、閨(ねや)の語らいで軍機を漏らしてしまう者までいる。
軍としては、「これではいかん」と管理に乗り出したいのは山々だろう。しかし、そこには越えてはならない一線が当然ある。軍ともあろうものが、女衒に力添えしたり貸座敷まがいのことに手を染めてはならないだろう。売春は、あくまでも業者がやっていることで、軍・官憲はそれを取り締まることはあっても、便宜を与えたりしては醜聞になる。
しかし、日本軍は (b) から (c) へ大幅に踏み込んでいった。追っ払っても軍に付きまとってくるような売春団は昔からいたけれども、戦線の拡大につれて、それでは大幅に娼婦が不足すると日本軍は判断した。軍のこの意向は(非公式に)業者の知るところとなり、業者は軍の意を体して動いた。
日本軍の慰安所政策について(永井和、日本近現代史)
http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/~knagai/works/guniansyo.html
業者は慰安婦集めの際、「私どもは軍のお声がかりで募集している」というようなことを言った。これに対し、和歌山県田辺警察署は「ウソつくな」と取り締まろうとした。「いやしくも皇軍が売春を勧奨するわけがない。お前ら業者が勝手にやってることであろう」と。
そして、その業者の供述に出てきた遠方の警察署に、真偽を問い合わせたのである。それに対する回答は、「内務省から非公式の依頼があって、こちらでその業者に便宜をはかった。そちらでも然るべき取り計らいをお願いしたい」というようなものだった。この回答を受けて、その業者を取り締まることは中止された。
つまり、田辺署は従来どおり (b) の頭で判断して取り締まろうとしたが、軍と内務省は既に (c) に方針転換していたのである。それが伝わって、取り締まり現場でも業者に便宜を与えるように変わっていく。一言でいえば、軍・官憲・業者は多少「ぐる」になったのだ。完全な「ぐる」ではないから、取り締まりも行なったが。
内務省警保局長通牒(1938年2月23日付)はそのことを示唆しており、かつ、ぐるだと公言する業者は取り締まれと指示している。(b) を不道徳と言うのは綺麗事かも知れないが、(c) は軍にとって不面目なことに違いないからであろう。
また、軍中央から北支那方面軍および中支派遣軍に「軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件」が発せられた(1938年3月4日付)。慰安婦募集にあたる業者を適切に選定せよ、各地方警察・憲兵と連絡を密にとれ、というものだった。
(3) 日本の人身売買
慰安婦問題では、日本も韓国も足元を見られている。韓国の弱点は、「断じて売春ではなく強姦だった」、「『日本の軍人が』韓国から無数の女性を強制連行して慰安婦にした」と、裏付けの乏しい主張に固執していることである。
その一方、日本も外国から足元を見られていることを、知らない日本人が多いようだ。それは、歴史的に日本の公娼制が人身売買の温床として悪名高かったということである。以下は、『世界大百科事典』(平凡社)、『大辞泉』(小学館)からの引用に基づく「マリア・ルース号事件」の解説である。
マリア・ルース号事件は、日本が当事者となった国際裁判の最初の事例として歴史に残っている。1872年(明治5)、横浜寄港中のペルー船マリア・ルース号から、中国人苦力(クーリー。19世紀後半、黒人奴隷に代わる労働力として売買された)が虐待に耐えかねて逃げ出した。「窮鳥懐に入れば猟師も殺さず」というわけで、日本はこの苦力を保護し、ペルー船船長を訴追して虐待行為で有罪とした。「奴隷輸出は公序良俗に反する」という法理で、苦力を解放した。
これに対し、ペルー側弁護士は意外な反撃に出た。日本の遊女の年季証文を入手して法廷に提出し、日本ではもっと過酷な奴隷的契約が行われていると非難したのである。諸外国注視の中で、日本では国家が人身売買を公認していると指摘されたことは、不平等条約の改正をめざす政府にとって痛恨事であった。政府は「皇国人民ノ大恥コレニ過ギズ」として、直ちに人身売買の禁止と芸娼妓解放を含む太政官布告を出した(娼妓解放令)。
ただし、政府には遊郭を廃止する意思はなく、遊女屋は貸座敷業者と名を変え、娼妓に座敷を貸す形式がとられた。往年の身代金の実質は残り、娼妓に対する人身拘束は依然として変わらなかった。解放令は骨抜きとなり、売娼制度は廃止とならずむしろ隆盛に向かった。
(「マリア・ルース号事件」終り)
つまり、日本は法律上奴隷的拘束を禁じながらも、娼婦については人身売買が横行し続けたのである。これは現代で言うなら、公娼制が廃止されて売春防止法ができ、管理売春が罰則付きで禁止されているのに、実際には管理売春が盛んである事実と、通じるものがあるだろう。
以上より、「昔は公娼制があったから、慰安婦は問題ない」という主張は、誤りであることが分かる。その日本の公娼制が、問題ありだったのだ。
ヨーロッパなどでも歴史的に娼婦の人身売買はみられるし、公娼制もあったが、廃娼運動が盛んになり徐々に改革が進んだ。日本でも取り締まりは行ったが、どうしてもそれらの国に数十年遅れをとっていると見なされ、当時から日本の公娼制は一種の奴隷制の側面があると思われていた。今日、米国議会(の一部)が日本軍慰安所政策に対する非難決議に熱心なのは、日本のこういう歴史的弱点を知っているからでもあろう。
(4) 皇国人民ノ大恥
「慰安婦問題とは、軍が強制連行したかどうかである」という認識は、誤りである。日本・朝鮮半島(日本の統治下)などの業者の実態が、当時でも問題だったのであり、業者に軍・官憲が加担したとなれば、「皇国人民ノ大恥コレニ過ギズ」の事態にならざるを得ない。
「慰安婦のようなものはどこの国にもある」という人が挙げる例を見ると、(b) と (c) とをごちゃ混ぜにしているのが常である。そんな雑なことでは、外国の日本批判論者に (c) と (d) とを混同されても文句を言えなくなるだろう。日本政府の公式見解は概ね (c) なのに、(d) の意味にとる人がいる。
米国議会では、日本軍慰安婦問題に関する決議案が審議された。日本が指弾され続けるのは、なぜか?「言いがかりを付けられてるだけ」というのは被害妄想である。例えばの話、日本軍による重慶爆撃(1938〜41年)は国際法違反の疑いが言われていたのに、戦犯裁判で処罰されなかったらしい。「戦略爆撃」に関しては米軍の方が大規模で、この問題を俎上に載せると、米国にとって都合が悪いためだろう。一方、米国が慰安婦問題を取り上げ続けるのは、それとは異なり日本に弱点があるからだ、というのが合理的な推理ではあるまいか。バカウヨクは何でも「反日勢力」とやらのせいにしたがるようだが。
米軍の性対策の歴史については、次のサイトが詳しい。
アメリカ軍の性対策の歴史―1950年代まで(林博史、政治学・国際関係論)
http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper71.htm
米軍には、売買春禁圧という考え方もあれば、現地の売春窟を公認して利用するという考え方もあって、対立していたことが分かる。
ところが、産経新聞の古森義久は、ワシントン駐在にもかかわらず英語能力が低いのか、AP通信の報道を誤訳して引用し、記事をでっち上げた。
産経新聞が古森記者の捏造記事を訂正しました(blog*色即是空 )
http://d.hatena.ne.jp/yamaki622/20070522
産経新聞が古森義久記者の捏造記事を謝罪訂正することに決定したよ(美しい壺日記)
http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-69.html
林博史は学問的に旧日本軍も米軍も調べて、貴重な労作を公開している。しかし、林氏の論文の内容を悪用して、「アメリカだって脛に傷持つ身じゃないか」とあざ笑う者がいるかもしれない。
けれども、仮に日本人が「日本軍慰安婦問題」と「米軍の買春・性犯罪」とをリンクさせてチャラにする魂胆なら、米国はそれを逆手にとるだろう。在日米軍の犯罪もチャラになる、というわけだ。結局、日本は得しそうにない。
だいたい、「ほかの奴だってやってる」という言い逃れは、下衆(げす)のすることである。旧日本軍慰安婦問題は、旧日本軍慰安婦問題として解決しなければならないだろう。
日本軍の慰安所政策について(永井和)
http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/~knagai/works/guniansyo.html
この論文の「追記(2005年6月12日記)」の主計少佐の本の「慰安所ノ設置」うんぬんは、拙文(1)の中曽根元首相の話とも通じると思う。
元日本兵の証言に見る日本軍慰安婦(林博史)
http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper02.htm
(引用開始)
元サンケイ新聞社社長鹿内信隆は桜田との対談で、陸軍経理学校時代の話が「慰安所の開設」になったとき、次のように語っている。
「そのときに調弁する女の耐久度とか消耗度、それにどこの女がいいとか悪いとか、それからムシロをくぐってから出て来るまでの“持ち時間”が将校は何分、下士官は何分、兵は何分――といったことまで決めなければならない(笑)。料金にも等級をつける。こんなことを規定しているのが『ピー屋設置要綱』というんで、これも経理学校で教わった。」(桜田武・鹿内信隆『いま明かす戦後秘史』)(引用終り)
「衆院・社会労働委員会・昭和43年04月26日」で、厚生省援護局長・実本博次は、「慰安婦」について「軍が相当な勧奨をしておったのではないかというふうに思われますが」と答弁した。ただし、「慰安婦」と軍「との間には雇用関係はございません」と断っている。
昭和43年(1968年)といえば、吉田清治が『朝鮮人慰安婦と日本人』(1977年)、『私の戦争犯罪』(1983年)を出す前であり、千田夏光が『従軍慰安婦』(1973年)で初めて「従軍慰安婦」という造語を世に送り出す前である。むしろ「従軍慰安婦」問題が喧(かまびす)しくなる以前のほうが、「軍が相当な勧奨をしておった」と、実情を察知した答弁を国会で行なっていたことになる。
(5) 治安地区と敵性地区
解説 中国人元「慰安婦」の証言(林博史)
http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper05.htm
(引用開始)
ところで笠原氏が指摘しているように、日本軍の支配が一応確立していた「治安地区」では「日本軍当局によって婦女陵辱行為は厳しく禁止され」ており、女性を軍が拉致するようなケースはほとんどなかったのではないかと見られる。
要するに抗日勢力が強いなどの理由で日本軍の支配が安定せず、「抗日分子」の粛清=住民虐殺をおこなっていた地域における「慰安婦」の徴集の方法の典型的な事例がここで紹介する四人であると言えよう。(引用終り)
朝鮮半島はほぼ治安地区だったから、(d) はほとんどなかっただろうと思われる。一方、中国・東南アジア・南洋諸島などには、治安地区も敵性地区もあった。「敵性地区」では日本軍人による強制連行事件も発生していた。インドネシアで起こった「スマラン慰安所事件」(被害者は現地のオランダ人少女ら)などが知られている。
同事件は、軍上層部からの命令で行われたのではないが、個人犯罪でもなかった。部隊内で上官が命令して、組織ぐるみで実行された。そのため、連合国による戦犯裁判で、上官は処罰されたが、命令されて犯行に加わった兵には無罪になった者もあった。日本軍は、発覚後もこれを処罰せず(慰安所を閉鎖させただけ)、敗戦後、連合国によって処罰されたのである。
いわば「末端の組織犯罪」だった。軍の組織が、「軍上層部」からいきなり「個人」に飛ぶわけがなく、その間には「末端組織」がある。
慰安婦問題FAQ
http://www006.upp.so-net.ne.jp/nez/ian/
(引用開始)
この事件の重要な点は、「強制連行」の事実が陸軍省まで伝わったにもかかわらず、慰安婦の幽閉処置を解除しただけで、軍としては何等処分を行わなかったことです。日本軍内ではだれも軍法会議にかけられていません。陸軍刑法では「戦地又ハ帝国軍ノ占領地ニ於テ婦女ヲ強姦シタル者ハ無期又ハ一年以上ノ懲役ニ処ス。」とあり、慰安婦の強制連行・集団強姦は、もちろん日本軍の軍規に照らしても大きな罪だったわけですが、まったく処分の対象としなかった所に、慰安婦の強制連行に対する軍の考え方が示されています。軍は強制連行した部隊・軍人を軍律違反とは認定しなかったのです。強制連行を行ったのは方面軍直属の士官候補生隊であり、逃亡兵でも敗残兵でもない、れっきとしたエリート部隊の組織的行動です。 連合軍のバタビア裁判では、この件で人道上の罪として、死刑1名を含む11名の有罪が宣告されています。組織的犯罪に対する裁判ですから命令されて強制連行に加わっただけの兵士は罪を問われていません。「個人的逸脱行為」は通用しないでしょう。(引用終り)
これらの強制連行事件と、慰安所の管理売春の過酷な労働実態とを、「日本軍の性暴力」としてまとめる考え方がある。そのまとめ方で行くと、慰安婦というのは (c) だけでなく一部では (d) もあったことになる。
(6) 物事の相場
「慰安婦は破格の大金を稼いでいた」と言い立てる人がいる。しかし、そういう人は自分の発言の信用度を落としているだけだと、気づかないのだろうか?
「衆院・法務委員会・昭和23年11月27日」の大阪府接待婦組合連合会会長・松井リウの陳情(村教三が代読)から察せられるように、元慰安婦は、戦後も生活が苦しくて娼婦を続けたような人が少なくなかった。大金を手にしていたなら、苦界から足を洗って蔵でも建てただろうから、つまり慰安婦は(ピンハネなどされて)なかなか大金は受け取れないのが相場だったようだ。
通貨で支払われず軍票を押し付けられて、紙くずになった場合もあった。あるいは、多額の前借金で相殺されたのでもあろうが、それは人身売買的な拘束を意味する。中には、募集広告の美辞麗句どおり大儲けした慰安婦もいたとしても、それを慰安婦の標準であるかのように喧伝するのは、「物事の相場というものが分かってない」と思われるだけであろう。
「慰安婦」の給料は高給だったのですか?
No.12回答、No.8回答
http://okwave.jp/qa3045617.html
ミッチナの慰安所 -- 傲慢漫画家の貧困な想像力
http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/hatsugen/ianfu-mitchina.htm
(7) セックススキャンダルの衝撃
慰安婦問題は、売春・性暴力・人身売買などの現代の諸問題と関連付けられ、各国の研究者に論じられるようになった。さらに、ショッキングな題材として外国のマスコミも取り上げ、国際的セックススキャンダルの性質まで帯びてきた。性がらみの醜聞には恐るべき影響力がある。日本のイメージを失墜させるのに、これほど効果的なものはなかろう。
政府でも企業でも、自分たちに都合の悪いことは隠したがるものである。例えば、日本政府・外務省は、中国人強制連行を詳細に記録した報告書を、握り潰そうとした。
「書類は焼却」と口裏合わせ 強制連行の実態政府が隠ぺい(西日本新聞、03年12月08日)
http://www.nishinippon.co.jp/news/wordbox/display/1132/
このように隠蔽体質をもっている政府だが、慰安婦へのお詫びと償いについては、多少頑張って取り組んだ。調査開始は遅かったが、いったん取り掛かった後は比較的速やかだった。その理由としては、韓国などに強く要求されたからでもあろうが、性がらみの醜聞を日本政府が恐れたためとも考えられる。
「日韓条約などで賠償問題は解決済み」、「国家無答責」、「除斥期間」などと言ってみたところで、それは法律論である。政治的・国民感情的な解決はそれとは別で、長引けば長引くほど、日本の評判にボディーブローのように効いてきたのが実情だ。政府の対応が不十分だったら、市民団体や野党などが尻を叩かねばなるまい。日本政府は道義的責任を認め、問題解決のために「アジア女性基金」を設立した。
アジア女性基金
http://www.awf.or.jp/
(引用開始)
アジア女性基金は1995年、政府の決定により設立されました。「慰安婦」とされた方々への道義的な責任を痛感した日本政府が、国民と協力して、償い事業など以下の各事業を行うために発足させたものです。(引用終り)
基金の事業の一環として、専門家たちが集結し調査研究を行なった。その成果は、例えば次のようにまとめられている。
『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成』など
http://www.awf.or.jp/program/index.html
「慰安婦」問題とアジア女性基金(pdfファイル)
http://www.awf.or.jp/woman/pdf/ianhu_wa.pdf
また、macska(小山エミ)は米国議会調査局の報告書を入手し、ブログで公表している。慰安婦問題に対する日本政府の取り組みが、米国でも注視されていることが分かる。
日本軍「慰安婦」問題についての米国議会調査局の報告書(macska dot org)
http://macska.org/article/134
米国外交当局の視点から見た「慰安婦」問題:議会調査局報告・解説(macska dot org)
http://macska.org/article/135
このように、河野談話に基づくアジア女性基金の活動などもあったからこそ、日本は国際的に一定の評価を得ている。批判もあるが、「日本政府はそれなりに努力した。何もしていないという批判は公平ではない」と認められるようにもなった。安倍内閣も、当然その恩恵にあずかっている。それにもかかわらず、河野談話を貶めたがるのは、天を仰いで唾するに等しいだろう。
吉田清治証言もひどいものなら、前出の「従軍慰安婦は民間の業者が連れて歩いていたもので、実態について国として調査することはできかねる(発言要旨)」(参院・予算委員会・平成02年06月06日)という政府答弁もまた、お粗末極まりないものだった。
信憑性の乏しい吉田の著作などに基づき日本を非難するような国が、いまだにあって、それらの事実関係の誤りには反論すべきである。しかし、そうすると今度は「日本はいまだに過去の行為を隠蔽しようとしている」と言われる。要するに、日本の落ち度を隠したまま「局地戦」(例えば強制連行の軍命令の有無)で勝っても、国際的信頼の回復にはつながらない。昔の日本の過ちを自ら剔抉し、全体像を解明して公表することこそ、スキャンダルを克服する道である。
(8) 安倍晋三の二枚舌
意外と知られてないが、そもそも安倍首相は、河野談話の見直しを強硬に要求する「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」の事務局長だった。
自民党・日本の前途と歴史教育を考える議員の会(教科書議連)
http://www.ne.jp/asahi/kyokasho/net21/siryou20051103.htm#4
新しい歴史教科書をつくる会Webニュース
http://www.tsukurukai.com/01_top_news/file_news/news_060216.html
(引用開始)
つくる会発足の直後、「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(現・日本の前途と歴史教育を考える議員の会)が結成された。(引用終り)
97年(平成9)2月に同会を結成して3カ月後、安倍は「衆院・決算委員会第二分科会・平成09年05月27日」で次のように質問した。
(引用開始)
○安倍(晋)分科員
(中略)特にことし、中学の教科書、七社の教科書すべてにいわゆる従軍慰安婦の記述が載るわけであります。(中略)この従軍慰安婦の記述については余りにも大きな問題をはらんでいるのではないかと私は思います。(中略)ことしになって、特にこの記述に疑問を持つ若い議員が集まって、日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会というのを発足いたしました。(中略)そもそも、この従軍慰安婦につきましては、吉田清治なる詐欺師に近い人物が本を出した。この内容がもう既にめちゃくちゃである(中略)
この彼の証言によって、クマラスワミは国連の人権委員会に報告書を出した。ほとんどの根拠は、この吉田清治なる人物の本あるいは証言によっているということであります。その根拠が既に崩れているにもかかわらず、官房長官談話は生き、そしてさらに教科書に記述が載ってしまった。(引用終り)
しかし、「にもかかわらず、官房長官談話は生き」という彼の批判は筋違いである。なぜなら、河野官房長官談話が出たのは93年で、すでに吉田の疑わしさは気付かれており((2) で前出)、吉田証言が崩れても大きな影響はないように、談話は組み立てられているからだ。
そして安倍は、首相就任後まもなく、「衆院・予算委員会・平成18年10月06日」で志位和夫から追及されることになる。
(引用開始)
○志位委員
ここに、一九九七年五月二十七日の本院決算委員会第二分科会での議事録がございます。安倍議員の発言が載っております。(中略)「いわゆる従軍慰安婦というもの、この強制という側面がなければ特記する必要はないわけでありますが、この強制性については全くそれを検証する文書が出てきていない」、こう述べられております。そして、結局、これは、教科書から従軍慰安婦の記述を削除せよという要求です。さらに、教科書にこうした記述が載るような根拠になったのは河野官房長官の談話だとして、談話の根拠が崩れている、談話の前提は崩れていると河野談話を攻撃しています。
河野談話を受け継ぐと言うのだったら、私は、首相がかつてみずからこうやって河野談話を攻撃してきた、この言動の誤りははっきりお認めになった方がいい、このように考えますが、いかがでしょうか。
(中略)
○安倍内閣総理大臣
ですから、いわゆる狭義の強制性と広義の強制性があるであろう。(中略)
○志位委員
今になって狭義、広義と言われておりますけれども、この議事録には狭義も広義も一切区別なく、あなたは強制性一般を否定しているんですよ。そして、河野談話の根拠が崩れている、前提が崩れている、だから改めろ、こう言っているわけですよ。
ですから、これも、河野談話を認めると言うんだったら、あなたのこの行いについて反省が必要だと言っているんです。いかがですか。広義も狭義も書いてないです、そんなこと。あなたが今になって言い出したことです。(引用終り)
志位の言う通り、97年(平成9)の安倍は狭義も広義も区別せず、嵩に懸かって「強制性」を否定し、河野談話を責め立てた。「嵩に懸かって」というのは、吉田証言が崩れたことに乗じてである。
ところが、追及を受ける立場になると、今になって安倍は「狭義」と「広義」を使い分けている。以前の彼は、そのような使い分けを嘲っていたのではなかったか。あれほど攻撃していた河野談話も、継承するという。
このように、首相は慰安婦問題に関して既に国会で食言している。そんな安倍であるから、訪米の際も二枚舌で釈明してみせて、恬として恥じない。その結果がこのざまである。
いっそのこと、参院選敗北後に安倍は辞任して、次はハト派の加藤紘一でどうだ、という仰天アイデアまで飛び出しているらしい。しかし、荒唐無稽というか、加藤はもう過去の人ではなかったか? 彼の外交手腕に期待してみたい気もするが……。