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シオニストの犯罪シンジケートとその大量破壊兵器
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まずお断りしなければなりません。この文章は2002年3月にインターネッ
ト上に公表された文書ですが、それ以前の同名タイトルのバージョンもあります。
日本語サイトの中には、古いバージョンを翻訳掲載しているところがあります。
イスラエルが核兵器を持っていることは、公然の秘密だった。その戦略をひと
言で説明する言葉がシーモア・ハーシュ氏のルポの題名にもなった「サムソン・
オプション」である。本文中にも出てくる「サムソン・オプション」とは、国家
存亡の危機に際して最後の手段に核兵器を使用することだと説明されている。
旧約聖書土師記に登場する怪力の英雄「サムソン」。1950年にセシル・
B・デミル監督ビクター・マチュア主演で映画化されアカデミー賞を受賞し、オ
ペラでも有名な「サムソンとデリラ」に描かれたサムソンの最後は、計略でペリ
シテ人によりガザの神殿に捕らえられたサムソンが最後に神に祈り、奪われた怪
力を取り戻すとともに神殿の柱を押し倒し、三千人のペリシテ人と共に滅びると
いうものである。
「サムソン・オプション」とは、核兵器を使って敵を滅ぼすと同時にイスラエ
ル自らが滅びることもやむをえないという趣旨の「戦略」だと説明されている。
しかし現実はそんな神話的な話ではない。巨大な核戦力を持つイスラエルは、
その影響力を軍事・外交戦略で核カードとして使い、巨大な力を発揮した。
「サムソン・オプション」は、アラブ諸国に囲まれたイスラエルの核武装を正
当化するための方便という性質を持つ。ヒロシマ・ナガサキなど被爆の現実を知
るものにとっては、究極の防衛などはあり得ないと思うのだが、世界的にはそれ
を信じるものは多い。国際司法裁判所も、そこまでも国際法違反とは言えないと
いう勧告的意見を出している。
東アジアでは、朝鮮民主主義人民共和国の核兵器開発疑惑が地域の平和にとっ
て大きな問題なのだが、日本の影も忘れてはならない。究極的にはそれこそイス
ラエル並みの高性能核弾頭をも製造可能な技術も各種材料も保有をしているのだ
から。いつの日か日本がイスラエルのようにならないとも限らない。
もちろん、それを止めるのは私たちの責任である。
それを考えても、イスラエルの核武装が中東地域の核戦争という恐ろしい危機
を示していることは、米ソ中の核兵器の脅威にさらされ続けてきたと同時に米国
の核の傘のもとにいる私たちにとって、身近に感じられるはずの問題ではないだ
ろうか。
イスラエルの核武装が、現在でも国家最高機密で機微な国際問題であることを
物語るエピソードがある。モルデハイ・バヌヌ氏が釈放された2004年4月
21日の後の5月26日に、イスラエルを訪れていた英国人のジャーナリスト、
ピーター・ホーナム氏が突然イスラエル治安部隊に拘束されるという事件が起き
た。ホーナム氏は18年前はバヌヌ氏の証言に基づくイスラエル核武装を暴露し
た「サンデー・タイムズ」紙の記者であった。彼の記事が世界に始めてイスラエ
ルの核武装を具体的に報じたのである。
バヌヌ氏の支援者と会う直前に、ホーナム氏は身柄を拘束されている。翌27
日には釈放されたが。
バヌヌ氏は依然として出国禁止、外国人との接触禁止、電話や外国公館への接
近などを禁止する措置がとられている。
解説・翻訳:山崎久隆/TUP
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イスラエルの大量破壊兵器 平和に対する脅威
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ジョン・スタインベック
「中東で再び戦争が起こり...あるいはイラクがそうしたように、アラブの
国がイスラエルに対してミサイルを発射したなら、かつてなら最後の手段として
しか考えられなかった核のエスカレーションの起こる可能性が、今やきわめて高
くなっている。」シーモア・ハーシュ(1)
「アラブ人は石油を持つかもしれない。しかし我々はマッチを持つ。」
アリエル・シャロン(2)
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イスラエルは200〜500発の熱核兵器と精密な発射システムを有し、いつ
のまにか核武装第5位の座を英国に代わって占めるに至った。現在では核兵器の
量と精密さにおいて、フランスと中国に匹敵するかもしれない。それぞれ1万発
以上の核兵器を有している米国やロシアの核兵器量に比べれば小さく見えるが、
それにもかかわらずイスラエルは核大国であり、そして公的にもそのような国と
して認知されるべきである。
1991年の湾岸戦争以来、イラクの大量破壊兵器による脅威に対しては惜し
みなく注意が注がれたのに、この地域の主要な「犯罪人」であるイスラエルはほ
とんど無視されてきた。
極めて高度化された核兵器と生物・化学兵器、それらを実際に使用するための
攻撃的な戦略を有するイスラエルは、中東における大量破壊兵器の開発を刺激す
る大きな要因であり、この地域の平和と安定に対する深刻な脅威となっている。
イスラエルの核開発計画は核軍縮と拡散防止に対する重大な障害であり、イン
ド、パキスタンとならぶ核の潜在的発火点である。(拡散防止が意味を持つとい
う見方は、核兵器保有国が自国の兵器を維持することに固執する限り、妄想に過
ぎない)
イラクに対する制裁、中東における正義を伴う平和、および核軍縮に関心を持
つ市民は、イスラエルの核開発計画に対し強力に反対を唱える義務を持っている。
イスラエル核爆弾の出生
イスラエルの核開発計画は1940年代後期、「イスラエル核爆弾の父」と呼
ばれたエルンスト・デビッド・ベルクマンの指導の下に始まった。彼は1952
年にイスラエル原子力委員会を設立する。
しかしながら、イスラエルの核開発の初期に援助を行ったのはフランスであり、
それはディモナの重水減速炉、天然ウラン原子炉と、ネゲブ砂漠ベエルシェバ近
郊にあるプルトニウム再処理工場の建設によって頂点に達した。イスラエルは、
フランス核兵器開発計画に最初から積極的に参加し、決定的に重要な専門技術を
提供していたのであり、イスラエルの核開発計画も、それまでの協力の延長線上
にあるものと見てよい。
ディモナは1964年に稼動し、その後まもなくプルトニウム再処理が始めら
れた。イスラエルはディモナを「マンガン工場、あるいは織物工場」など、いろ
んなふうに言っていたが、そこでは極度に厳格な警備態勢が敷かれており、実体
はおよそそれどころでないことを示している。
1967年にイスラエルはディモナにあまりにも近くまで接近した自国のミ
ラージュ戦闘機1機を撃墜した。1973年には、コースを逸脱して飛行してい
たリビアの民間定期旅客機を撃墜して乗客乗員104名を殺した。(3)
イスラエルは、イスラエル・エジプト国境近くのネゲブ砂漠で1960年代中
ごろに少なくとも1個おそらくは複数の核爆発装置を爆発させたことがあり、ま
たアルジェリアでフランスが行っていた核実験に活発に参加していたという、相
当に信頼できる推定がある。(4)
1973年の「ヨム・キプール戦争(訳注:第四次中東戦争のイスラエル側呼
称)」までにイスラエルの保有する運搬可能な原子爆弾の数はおそらく数十発に
達し、最大限の核警戒体勢に入っていた。(5)
先進的な核科学技術と「世界一流の」核科学者を有していたイスラエルは、ど
うやって必要なウランを得るか、という大きな問題に直面していた。自身のウラ
ン資源はネゲブ砂漠のリン酸塩鉱床で、急速に拡大する計画が必要とする量をま
かなうにはまったく不十分だった。短期的な解決策は、フランスと英国で奇襲部
隊により首尾よく輸送中のウランを乗っ取ることであり、1968年には、西ド
イツと共謀して輸送中のイエローケーキ(酸化ウラン粉末)200トンを奪った。
(6)
こうしてディモナ原子炉用のウランが秘密裡に取得されたことを、その後関係
諸国は隠し続けてきた。同様に、50年代半ばから60年代半ばにかけ、「核物
質と付属設備株式会社(NUMEC)」と呼ばれる米国企業がイスラエルに何百ポン
ド(100ポンドは約45キログラム)もの濃縮ウランを移転したという告発が
あった。
FBIとCIAの調査や議会聴聞会でも、今までに誰も訴追もされていない。
多くの捜査員は横流しはすでに起こっていたと信じていたのだが。(7)(8)
1960年代後期にイスラエルは、南アフリカの「アパルトヘイト爆弾」のた
めに技術と専門知識を供給する見返りとして、南アフリカがイスラエルにウラン
を供給するという相互協定を結び、イスラエルはウラン問題を南アフリカとの間
で親密な絆を育成することで解決した。
南アフリカと米国
1977年にソ連は、衛星写真をもとにして南アフリカがカラハリ砂漠で核実
験を計画していると米国に警告し、アパルトヘイト政権は圧力を加えられ実験を
見合わせた。
1979年9月22日に米国の人工衛星が南アフリカ沖のインド洋で小規模熱
核爆弾の大気圏核実験を検出したが、状況証拠からみてイスラエルの明白な関わ
り合いがあったため、慎重に選定された科学委員会による報告は素早く「ごまか
され」重要な詳細についての秘密は守られた。
後にイスラエルの情報源を通して得られた情報では、イスラエルが実際に小型
化された3発の核砲弾を使った、厳重に警戒された核実験を行ったことがわかっ
ている。
イスラエルと南アフリカの協力関係は核実験だけでは終わらず、特に中距離ミ
サイルと改良型火砲の開発と試験についてはアパルトヘイト政権が倒れるまで継
続された。南アフリカはウランと核実験施設提供の他にもイスラエルに巨額の資
本投資を行い、その見返りにイスラエルが南アフリカ製品を大量に輸入すること
で、アパルトヘイト国家が国際的な経済制裁を回避するのを助けた。(9)
主にイスラエルの核開発計画に関して責任があったのはフランスと南アフリカ
だが、米国も同じ責任の大半を共有しており、十分非難に値する。
マーク・ガフニーは「(イスラエルの核開発計画が)可能であったのはなぜか
(引用原文では文字を強調)それは、イスラエルの側に立てば計画的な詐欺であ
り米国の側に立てば自発的共謀だ」と書いた。(10)
米国はイスラエルの核開発計画のまさに最初の段階から、1955年の「平和
のための原子力計画」(訳注:1953年12月の米大統領アイゼンハワーが国
連総会で行った「アトムズ・フォー・ピース」演説以後の政策)の名のもとで小
型研究用原子炉のような核関連技術を提供したりと、大きく関係していた。イス
ラエルの科学者が広く米国の大学で養成され、核兵器研究室でもおおいに歓迎さ
れた。
1960年代初期にディモナ原子炉の制御装置は、明らかに国家安全保障局
(NSA)とCIAが黙認するなか「トレーサー研究室」と呼ばれる米国軍用原
子炉のコントロールパネルを製造している会社から、ベルギーの子会社を通して
購入され、秘密裏にイスラエル国内に運び込まれた。(11)
1971年にニクソン政権は、イスラエルに何百個ものクライトロン(高性能
核兵器の開発に必要な、ある種の高速スイッチ)の売却を認可した。(12)
そして1979年にカーター政権は、KH−11スパイ衛星が撮影した高解像
度の衛星写真を提供し、イスラエルはそれを2年後にイラクのオシラク原子炉爆
撃の際に使用した。(13)
米国からイスラエルへの先端技術移転は、ニクソン政権とカーター政権とを通
じて行われ、さらにレーガンの下で加速的かつ劇的に、現在まで減退することな
く継続している。
バヌヌの暴露
1973年の戦争後もイスラエルは意図的な「核の不透明」政策を続けるとと
もに、その核開発計画を強化した。
80年代半ばまではイスラエルの核兵器の数について、多くの諜報機関は2
ダース程度だろうと推定していたが、ディモナのプルトニウム再処理工場で働い
ていた核技術者モルデハイ・バヌヌの爆発的な暴露は一夜にしてすべてを変えた。
パレスチナの支援者で左翼支持のバヌヌは、世界にイスラエルの核開発計画を
暴露することが人類に対する彼の義務であると信じていた。彼は多数の写真と貴
重な科学資料をイスラエルから密かに持ち出し、1986年に彼の話はロンドン
の「サンデー・タイムズ」紙に掲載された。
バヌヌの暴露は厳密な科学的調査により、イスラエルが約200発の極めて精
巧で小型化された熱核兵器を所有しているという発表につながった。彼の情報で
は、ディモナ原子炉の容積が何倍かに拡張されており、イスラエルが1年に10
から12発の爆弾を作るのに十分なプルトニウムを生産していることを示してい
た。上級のアメリカ情報分析官はバヌヌの資料について「これは我々が想像して
いたよりずっと大規模で、とてつもない作戦だ」と語った。」(14)
バヌヌの情報が出版される直前に、彼はイスラエル秘密諜報機関モサドの「マ
タ・ハリ」に誘惑されてローマに誘き出され、殴打されて薬物投与されたうえ、
イスラエルへ拉致された。イスラエルの報道機関は情報操作と中傷キャンペーン
を行ない、非公開の機密法廷が「反逆罪」で有罪を宜告し、18年の禁固刑に処
せられた。彼は6×9フィート(約1.8×2.7メートル;訳注)の小部屋の
独房に11年以上監禁された。バヌヌはその後一般受刑者の中に1年の「解放」
(彼はアラブ人との接触を許可されなかった)の後に、最近また独房に戻されて
3年以上ものあいだ強化された投獄に耐えねばならなかった。
予想された通りバヌヌの暴露は、主要な世界の報道機関、特に米国に無視され、
イスラエルは核武装国の地位から得られる利益を比較的労せずして享受し続けて
いる。(15)
イスラエルの大量破壊兵器
今日ではイスラエルの核兵器数の推定は、最小200発から最大約500発に
及ぶ。数がいくつであるとしても、イスラエルの核兵器は中東で「戦争を戦いぬ
く」のために設計されており、世界でも最も洗練されたものであることに、ほと
んど疑いの余地がない。
イスラエルの核兵器の主要なものは「中性子爆弾」である。この小型化された
熱核爆弾は、核兵器の性質である爆風効果と残留放射能による被曝を最小限にと
どめ、建物などを大規模に破壊しないかわりに人間を殺戮するためにγ(ガン
マ)線が最大になるよう設計されている。(訳注:原文はγ線としているが実際
には中性子線を最大にするよう設計されているのが中性子砲(爆)弾である)
(16)
核兵器にはモスクワまで到達可能な弾道ミサイルと爆撃機、巡航ミサイル、地
雷(1980年代にイスラエルはゴラン高原に沿って核地雷を仕掛けた(17))
と核砲弾を撃てる45マイル(訳注;約72キロメートル)の射程を持つ火砲が
含まれる。(18)
2000年6月、イスラエルの潜水艦が巡航ミサイルを発射し、950マイル
(約1500キロメートル;訳注)離れた標的に命中させた。これは米国とロシ
アに続いて世界で3番目に獲得した能力である。イスラエルは将来、それぞれ4
基の巡航ミサイルを搭載可能な、事実上難攻不落の潜水艦3隻を実戦配備するで
あろう。(19)
核兵器の威力は、広島原爆より大きい「都市破壊兵器」(戦略核)から戦術的
なミニ核兵器(戦術核)にまで及ぶ。明らかにイスラエルの大量破壊兵器は、他
の全中東諸国が実際保有しているか、あるいは保有する可能性がある兵器を合計
したものさえ矮小化し、想定しうるいかなる形の「抑止」の必要量よりもはるか
に過大である。
イスラエルはまた、多種の生物・化学兵器も所有している。
「サンデー・タイムズ」紙は、イスラエルが精密な運搬手段と共に生物・化学
兵器の両方を生産したというイスラエルの情報関係幹部の言葉を引用している
「既に一般的に知られているか、あるいはまだ未知の生物・化学兵器もある...
ネス・ツィヨナ生物学研究所で生産されないものはない」(20)
同じレポートでは、「生物・化学兵器が搭載できるようF-16戦闘機を特別
に設計変更し、整備員は警報が出れば短時間のうちにそれらを実戦投入できるよ
う訓練されている」と記述している。
「サンデー・タイムズ」紙は1998年に、イスラエルが南アフリカから入手
した研究成果を利用して「民族標的爆弾」を開発していたと報告した。「その
「民族標的爆弾」を開発するために、イスラエルの科学者は医学の進歩を利用し、
一部のアラブ人が持つ遺伝的特長を識別し、そこから遺伝子改変された細菌ある
いはウイルスを作ろうとしている。科学者は、その遺伝的特長だけを攻撃する、
特有な遺伝子耐性を持つ致死性の微生物を開発しようとしている。」
イスラエル議会(クネセト)の左派メンバーであるデディー・ズッカーは、
「道徳的にも、我々の歴史と我々の伝承と我々の経験に基づいても、こんな兵器
は怪物であり、否定されるべきだ」と言い、研究を非難した。(21)
イスラエルの核戦略
一般的なイメージだと、イスラエルの爆弾は「最終手段の兵器」として、国家
消滅の危機に際してのみ使われると考えられて考えられおり、善意ではあるけれ
ども公式情報を鵜呑みにした多くのイスラエル支援者たちは、まだそれが本当だ
と信じている。
この公式化が初期のイスラエルの核戦略家の考えの中でどんな真理を持ってい
たとしても、今日イスラエルの核兵器戦力は、全般的にイスラエルの軍事および
政治戦略とあまりにも不可分に一体化している。
シーモア・ハーシュは彼一流の控えめな言葉で「サムソン・オプションはもは
やイスラエルにとって唯一の核の選択肢ではない」と言う。(22)
イスラエルはベールに包まれていたといっても、アラブ諸国とソ連(その延長
で冷戦終結後のロシア)に対して無数の核の脅威を与えた。1つのぞっとする例
がアリエル・シャロン、現在のイスラエル首相による「アラブ人はオイルを持っ
ているかもしれないが、我々はマッチを持っている」に現れている。(23)
(1983年にシャロンはインドに対し、パキスタンの核施設を攻撃するために
イスラエルと手を結ぶことを提案した。70代後期に彼はイラン皇帝(訳注:
パーレビ国王のこと)を支えるためにイスラエルの落下傘部隊員をテヘランに派
兵することを提案した。そして1982年に彼はイスラエル防衛の影響力を
「モーリタニアからアフガニスタン」まで拡大することを指示した)
イスラエルの核専門家、オデット・ブロシュが1992年に言ったもう1つの
例がある。
「・・・我々を攻撃する人たちに対する抑止力として、核オプションが防衛の主
要な手段であることを恥ずかしく思う必要はない」(24)
イスラエル・シャハークは言う。
「平和への願望は、常にイスラエルの目的と考えられているようだが、そうで
はなく、イスラエルの政策の原則はイスラエルによる支配と影響を拡大すること
であると私は考える」そして「イスラエルは、常に戦争の準備をしている。もし
それが中東諸国の何カ国か、あるいはどこかで起こるなら、その好まざる国内の
変化を避けるという利益のため、もし必要なら核をも使用するであろう。イスラ
エルが全中東への覇権を拡大する準備を整えているのは疑いなく明確だ。その目
的のために核を含むすべての手段を使うのをためらわない。」(25)
イスラエルは抑止という文脈以外でも核兵器を使う「し、また直接の戦場でも、
あるいはもっと微妙ながら重要な場合にも使う、」と。
例えば、大量破壊兵器の所有は現体制維持にとって強力なテコになり得るし、
穏健アラブ国家を内乱から守るとか、アラブ国家同士の戦争に介入するなど、明
らかにイスラエルの国益に沿って影響力を行使するためにも役立つだろう。
(26)
イスラエルの戦略上の特殊用語でこの概念は「非通常強制力」
(nonconventional compellence)と呼ばれ、シモン・ペレスの次の言葉がその
内容を説明してくれる。「優れた兵器システム(核兵器と読む)を獲得すれば、
それを使って強制的に我が国の要求を呑ませることができる。この場合の要求に
は、現状を受け入れさせて、和平条約に署名させることも含まれるだろう。」
(27)
少し異なった見地からロバート・タッカーは、イスラエルの核防衛論評を扱っ
た雑誌論文で「イスラエルに……現状凍結のため核抑止力を使用するというタカ
派的政策の追求を思いとどまらせるには、どうすればいいだろう?」と書いた。
(28)
圧倒的な核の優位維持こそ、イスラエルが世界的な反対をものともせず大手を
振って行動することを可能にしているのだ。
アリエル・シャロンが指揮し最大で民間人2万人の死をもたらした1982年
のレバノン侵略とベイルートの破壊はその好例だろう。
シリア空軍の殲滅は言うにおよばず、隣国レバノンを国ごと潰滅させながら、
イスラエルが何ヶ月も戦争を遂行できたのは、少なくとも核の脅威が一役買って
いたからだ。
もう1つのイスラエルの爆弾の主要な用途は、それが米国の戦略上の利益に反
して動くときでさえ、米国に対しイスラエルに有利な行動をとるよう強制するこ
とである。
1956年という早い時期に、フランスの核兵器開発計画の責任者であったフ
ランシス・ペランは「我々はイスラエルの爆弾は米国に向けられたと思っていた。
それは米国に向けて発射するためではなく『もし貴国が重大な局面で我々に手を
貸そうとしないならば、我々は貴国に手を貸すように要求するであろう。さもな
ければ我々は自らの核爆弾を使うであろう』と伝えるためである」と書いた。
(29)
1973年(の第四次中東戦争中)に、イスラエルは核の恐喝を、大量の軍需
品の空輸を強要するためにキッシンジャーとニクソンに対して用いた。
イスラエルの大使シムハ・ディニッツはその時、こう言ったとされる。「もし
イスラエルへの大規模な空輸がすぐに始まらないなら、私は米国が約束を破って
いると理解する・・・そして我々は非常に重大な結論を出さなければならないで
あろう。」(30)
この戦略の一例をイツハク・シャミール首相の経済顧問エイモス・ルービンが
1987年に説明している。彼はこう言った「イスラエルがもしも孤立するよう
な事態になれば、さらに危険な防御手段に頼ること以外のいかなる選択肢をも有
していない。自身も含め世界全体をも危険にさらすかもしれない。イスラエルが
核兵器への依存を控えるために、米国からの支援を年に20〜30億ドル要求す
る」(31)
その時からイスラエルの核兵器は質・量共に急激に膨張し、他方米国の資金援
助の蛇口は広く開きっぱなしとなった。
(訳注:これがいかに巨大な額であるかについては、日本が在日米軍駐留経費を
負担している額(いわゆる思いやり予算)が年間約50億ドルであることと比較
すればよい。)
地域および国際的な関係
世界的にはほとんど知られていないが、中東は2001年2月22日に危うく
全面戦争で爆発寸前になった。
イスラエルに本拠を置く「対テロリズム」情報サービスDEBKAfile
(訳注:インターネットの中東情報サイト)とサンデー・タイムズによれば、シ
リア・イラク国境に沿って配備されたイラクの6個機甲師団による地対地ミサイ
ルの発射準備の動きが米国から通知された後に、イスラエルは高度ミサイル防衛
体制に入った。DEBKAfileは、イラクのミサイルが米国とイスラエルの
反応を試みる目的で、あえて最高度の警戒態勢レベルにおかれたと主張している。
米英軍の42機が直ちに攻撃を開始したものの、イラクは見た目には大きな損害
をほとんどこうむらなかった。(32)イスラエルはイラクに対し、ミサイルに
よる先制攻撃に対して中性子爆弾を使う用意があることを警告した。
イスラエルの核兵器は中東和平にとって、そして、真にこの惑星全体の平和と将
来にとって重大な鍵を握っている。
イスラエルが自身の用語により規定される平和以外に関心を持たず、その核開
発計画を削減するか、あるいは真剣に核を保有しない中東を論じるために誠意を
もって交渉する意図を持っていないことは確実であり、それはイスラエル・シャ
ハークの言葉からも明確である。「独自の判断でイスラエルが核兵器を使用する
という主張は、イスラエルの主要な戦略の依って立つ基盤として見ることができ
る」(34)
シーモア・ハーシュによれば、「イスラエルの大規模で精密な核兵器戦力は、
アリエル・シャロンのような男たちをして、核兵器の無言の脅威を背景とする中
東地図の書き換えを夢見させるまでになった」(35)
前イスラエル参謀総長アムノン・シャハーク・リプケン大将は言う「それでは
決してイラクと話をすることはできない。それでは決してイランと話をすること
はできない。間違いなく、核の保有についてシリアと本当の話をすることができ
ない」(36)
イスラエルの軍事専門家ゼエブ・シフがイスラエルの「ハーレツ紙」に「誰が
信じるだろうかイスラエルがいつか核拡散防止条約に署名するなどということ
を・・・まさしく白日夢だ」と書き、イスラエル兵器開発研究所のムンヤ・マー
ドック所長は1994年に「核兵器の道徳的な、そして政治的な意味は、それら
の使用を放棄する国家は大国の属国となることを甘んじて認めているということ
である。孤立しても通常兵器を所有することで満足しているように感じられるす
べての国家は属国になることが運命づけられている。」と書いている。(38)
イスラエル社会がよりいっそう偏向していくと、急進的な右翼の影響はさらに
強くなる。
シャハークによれば、「ガッシュ・エミュニム(訳注:ユダヤ原理主義組織)、
またはいくつかの非宗教的右翼イスラエル熱狂者、または血気に逸ったイスラエ
ル陸軍大将のだれかが、イスラエルの核兵器の制御を奪うという見通しを・・・
排除することができない。イスラエルのユダヤ人社会が確実に偏向している中で、
イスラエルの防御組織はますます極右集団の動員に依存している」(39)
アラブ諸国はイスラエルの核兵器開発計画を以前から知っていた。その強引な
意図が腹に据えかね、存在そのものを地域の平和に対する最高の脅威であると見
なした結果、自身も大量破壊兵器が必要だと考えた。将来、もし中東に戦争が起
こるとしたら、イスラエルによる核兵器使用の可能性を見くびるべきではない。
(1953年のキビアにおけるパレスチナ市民の大虐殺からサブラとシャティラ
における1982年のパレスチナ市民大虐殺、そしてさらにその後も血なまぐさ
い前科を持っていのに、訴追を逃れている戦争犯罪人アリエル・シャロンが首相
に就任したことを考慮するならば)
シャハークによれば、「イスラエルの用語では、爆薬であろうと毒ガスであろ
うと何が搭載されているかにかかわらず、イスラエルの領土に対しミサイルを発
射することは「非通常型の攻撃」であると見なされる」(40)(これに対して
は「非通常型の反撃」で受けて立つのが筋だが、湾岸戦争時イラクにスカッドミ
サイルを撃ち込まれても反撃をしなかったのは、おそらく唯一の例外だろう。)
一方、このような不安定な地域での大量破壊兵器の存在は、未来の軍備管理と
軍縮交渉と核戦争の脅威にとって重要な鍵となる。
シーモア・ハーシュは「中東で再び戦争が起こり...あるいはイラクがそう
したようにアラブのどこかの国がイスラエルに対してミサイルを発射したなら、
かつては最後の手段としてしか考えられなかった核のエスカレーションは、高い
確率で起きるであろう。」と警告する。(41)
現イスラエル大統領エゼル・ワイツマンは「核問題は重要性を増しつつあり
(そして)次の戦争は通常戦争ではないであろう(訳注:つまり核戦争だという
意味)」と語った。(訳注:現在の大統領はモシェ・カツァヴである。エゼル・
ワイツマンの在任期間は93年5月13日〜2000年7月12日)(42)
ロシアとそれ以前にソ連は、こんにちまで長い間(主要ではないとしても)1
つの大きなイスラエルの核攻撃目標であった。ジョナサン・ポラードがイスラエ
ル・スパイとして活動していた主要な目的が、ソ連の戦略目標に関する衛星画像
と、そのほかの米国の戦略核攻撃目標設定に関連する最高機密資料を入手するこ
とだったことは広く伝えられている。(43)(1988年に自ら人工衛星を打
ち上げてから、イスラエルはもう米国スパイを必要としなくなった。)
ロシアの中枢地域に向けられたイスラエルの核兵器は、軍縮と軍備管理交渉を
深刻かつ複雑にし、そのうえ少なくともイスラエルによる一方的な核兵器保有は
途方もない不安定化につながり、さらに全面核戦争勃発までいかずとも、核兵器
使用の敷居を大幅に下げてしまうのである。
マーク・ガフニーは言う。「・・・もし、よく知られたパターン(米国の共謀
により大量破壊兵器を改良し続けているイスラエル)が、直ちに逆転しないので
あれば−理由が何であれ−深化している中東の対立は、世界に大火災を引き起こ
し得るであろう」(44)
多くの中東和平活動家は、これまでしばしばイスラエルの中東地域における核
の独占に挑戦することはもちろん、論じることさえ渋っており、不完全かつ無知
な分析に基く、欠陥だらけの行動戦略だった。
イスラエルの大量破壊兵器問題を直接かつ誠実に議論のテーブルに乗せ、協議
事項にすることは、いくつかの点で有益な効果を現すはずである。
第一に、中東の軍拡競争を煽り、周辺国に自らの「抑止力」を持たざるをえな
くした、主要な不安定化要因を暴くだろう。
第二に、米国とヨーロッパが一方的にイラク、イラン、シリアの大量破壊兵器
開発を強く非難している一方で、同時に主要な犯人を保護し大量破壊兵器開発を
可能にするといった奇怪なダブルスタンダードを暴くだろう。
第三に、イスラエルの核戦略を暴露することで国際社会の目を集中させ、その
大量破壊兵器を除去し、そして誠意をもって公正な和平交渉に臨むよう圧力かけ
ることが可能となるだろう。
最後に、核を保有しないイスラエルは、核を保有しない中東を作ることができ
る。そして包括的かつ有望な地域和平合意締結の可能性はずっと高くなるであろ
う。
国際社会が秘密の核開発計画について、イスラエルとはっきり事を構えない限
り、イスラエルとアラブの対立は、いかなる有意義な解決も見込めない。その閉
塞状況こそ、イスラエルにとってはシャロン時代の夜明けにもってこいだからで
ある。
翻訳:山崎久隆/TUP
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脚注:
1.シーモア・ハーシュ サムソン・オプション:イスラエルの核兵器とアメリ
カの外交政策 ニューヨーク、1991年ランダム・ハウス 319ページ(多
くの独自研究と才知に長け、そして予言的な仕事)
(訳注:邦訳は同名で1992年2月1日に文藝春秋から出版されている)
2.マーク・ガフニー ディモナ、第三の神殿:バヌヌの暴露 バーモント州ブ
ラットルボロ 1989年アマナブックス 165ページ(イスラエルの核開発
計画に関する、系統だてられ優れた分析)
3.米陸軍中佐ワーナー・D・ファー、第三の神殿:イスラエルの核兵器、米空
軍核拡散対抗戦略センター、航空大学1999年9月
http://www.fas.org/nuke/guide/israel/nuke/farr,htm (おそらくイスラエル
核開発計画の最も良質の短くまとめられた歴史文献)
4.ハーシュ前掲書131ページ
5.ガフニィ前掲書63ページ
6.ガフニィ前掲書68〜69ページ
7.ハーシュ前掲書242〜257ページ
8.ガフニィ前掲書1989年65〜66ページ(NUMEC問題に関する別論)
9.バーバラ・ロジャース&ズデニック・セルベンカ 核の枢軸:西ドイツ、南
アフリカ、ニューヨークの極秘の協力 1978 タイムス・ブック325〜
328ページ(アパルトヘイト爆弾の決定的な歴史)
10.ガフニィ前掲書34ページ
11.ピーター・ホーナム、:モルデハイ・バヌヌの苦悩 イスラエル秘密諜報
機関モサドから来た女 ロンドン1999年ビジョン・ペーパーバック、
155〜168ページ(バヌヌの物語でも最も完全で最新のもの。それはイスラ
エルが2つめの隠されたディモナ型原子炉を持っているかもしれないという身が
凍り付くような推測を含む)
12.ハーシュ前掲書1989 213ページ
13.同上198〜200ページ
14.同上3〜17ページ
15.同上189〜203ページ
16.同上199〜200ページ
17.同上312ページ
18.ジョン・パイクとアメリカ科学者連盟 イスラエル特殊兵器ガイドウェブ
サイト、2001
http://www.fas.org/nuke/guide/israel/index.html(非常に貴重なインターネッ
ト情報源)
19.ウジ・マナイミとピーター・コンラデ イスラエル巡航ミサイル実験と新
しい軍拡競争の恐れ サンデー・タイムス 2000年6月18日
20.ウジ・マナイミ 化学戦の準備体制にあるイスラエルのジェット機 サン
デー・タイムス 1998年10月4日
21.ウジ・マナイミとマリー・コルビン イスラエル「民族」爆弾計画にサダ
ムは降伏する サンデー・タイムスタイムス 1998年11月15日
22.ハーシュ前掲書319ページ
23.ガフニィ前掲書163ページ
24.イスラエル・シャハク、公然の秘密:イスラエルの核と外交政策 ロンド
ン1997年プルート・プレス、ページ40(すべての中東および反核活動家は
絶対に「読まなくてはならない」)
25.同上2ページ
26.同上43ページ
27.ガフニィ前掲書131ページ
28.「イスラエルと米国:従属から核兵器まで?」ロバート・W・タッカー
1975年11月41〜42ページ
29.サンデー・タイムス 1986年10月12日
30.ガフニィ前掲書147ページ
31.同上153ページ
32.DEBKAfile2001年2月23日付け WWW.debka.com
33.ウージ・マナイミとトム・ウォーカー、サンデー・タイムス 2001年
2月25日34.シャハク前掲書150ページ
35.ハーシュ前掲書319ページ
36.シャハク前掲書34ページ
37.同上149ページ
38.同上153ページ
39.同上37〜38ページ
40.同上39〜40ページ
41.ハーシュ前掲書19ページ
42.アーロンソンとジェフリー「隠された課題:合衆国とイスラエルの関係そ
して核疑惑」中東ジャーナル1992年秋619〜630ページ
43.ハーシュ前掲書285〜305ページ
44.ガフニィ前掲書194ページ
原文:URL=http://globalresearch.ca/articles/STE203A.html
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