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ブラジルについての討論(1) かけはし2007.6.25号
新しい時代に対応する国際主義とは何か
時代おくれのセクト主義を超えて新しい左翼再編成へ
社会主義的民主主義(DS)
解説
「左派」政権の新自由主義政策と反資本主義の展望
二〇〇三年一月に発足したブラジルPTのルラ政権に、PT内の第四インター潮流であるDS(社会主義的民主主義)は、DSの同志であるミゲル・ロセット(元リオグランデドスル州副知事)を農業改革相として入閣させた。しかしPTは議会内で少数与党であり、ルラ政権は新自由主義政策を継続して労働運動や土地なき民衆の運動(MST)の期待を裏切ることになった。こうした中でルラ政権の政策に上院で反対投票を行ったDSのエロイザ・エレナをはじめとする三人の左派議員がPT執行部から二〇〇三年十二月に除名処分を受けたことは、ルラ政権の評価とPT内部での左派としての闘いを継続するDSの路線をめぐる対立を一挙に顕在化させることになった。エロイザ・エレナらはPTにかわる独自の左派新党形成に向けた準備を開始し、DSの一部メンバーらとともに社会主義と自由党(PSOL)を結成する。
他方、ルラ政権への入閣路線がルラの新自由主義的政策を支持することとなり、それは第四インターナショナルの綱領的立場と相反するものであるという批判が、インターナショナルの指導部や多くの支部からDS指導部に対して提起され、第四インターナショナル多数派とブラジル支部であるDSの多数派の対立が発展した。
二〇〇四年二月の国際委員会はDS多数派とエロイザ・エレナなど「新党」路線を歩む同志の双方の出席の下に、ブラジル問題についての討論をインターナショナルレベルで開始したが、その後の国際委員会での直接の討論をDS多数派は拒否してきた。こうした中で、第四インターナショナル二〇〇五年と〇六年の国際委員会でルラ政権の新自由主義政策とDS多数派の入閣路線を批判する立場を明確にしつつ、DS多数派の同志とPSOL内の第四インターナショナルの同志との組織的関係を維持しながら、左翼の統一に向けた論議を進めようとしている(それぞれの決議全文は本紙05年4月25日号、06年5月22日号に掲載)。
昨年十月の大統領選でPTのルラは再選されたが、大統領選に立候補したPSOLのエロイザ・エレナは六・八五%、六百五十万以上の票を獲得して第三位につけた(本紙06年12月4日号、12月11日号参照)。
このブラジルをめぐる対立と論争は、新自由主義に対する民衆の抵抗運動の中で成立した左派政権が階級間の国際的力関係がいまだ全体としては労働者・市民にとってきわめて不利な状況の中で必然的に生じる困難さの表現でもあり、労働者・民衆の社会的抵抗を体現する左派が「左派」政権との関係でどのような路線を追求しうるのかをめぐる問題を提起している。それはまた、第四インターナショナル15回世界大会が提起した反資本主義左翼に向けた再編成と「新しいインターナショナル」に向けた闘いへの問題提起ともなっている。
本号から三回にわたって、DSの立場、それに対する第四インターナショナル指導部の応答、ならびにこの四年間の論争についてのヤン・マレウスキ同志(仏語版「インプレコール」編集部)の総括を掲載する。ぜひ検討していただきたい。(「かけはし」編集部)
はじめに
PT(労働者党)内のテンデンシーである社会主義的民主主義(DS)は、当初から自らを国際主義者として特徴づけてきた潮流である。この文書の目的は、新しい地域的・世界的情勢と、世界とラテンアメリカの左翼の状況を考慮しつつ、この特徴づけの意味を時代に即したものにすることにある。
ラテンアメリカの
新しい政治的時代
ラテンアメリカにおける新自由主義プロジェクトの正当性の危機は、このプログラム自身の行き詰まりとその適用に対する民衆的抵抗の結果であり、この地域での新しい政治的時代を切り開いた。社会的闘争の高揚と、制度的レベルにおける左翼と進歩的諸政党の前進は、この新しい情勢の表現である。ここを自らの「裏庭」と見なしてきたわれわれの地域における北米帝国主義の伝統的ヘゲモニーは、異議を突きつけられている。
左翼にとって
の新しい情勢
一九八〇年代末から一九九〇年代前半にかけた新自由主義のヘゲモニーの頂点における「現存社会主義」の危機は、国際左翼に深刻な影響をもたらした。それは単にスターリニズムとその末裔の危機であるという、ここブラジルのわれわれ自身の中でも促進されてきた考え方は、時代に耐えられるものではない。この危機は、大きな物差しで計測すれば全世界における左翼の再形成を意味していた。かなりの部分が新自由主義陣営に移行し、あるいは政治活動を放棄したことは、重大な損失であった。しかし、とりわけソ連と東欧に関する議論に示される、二十世紀に構築された古いイデオロギー的境界は、新しい現実と二十一世紀が生み出した新しい挑戦に直面して、徐々に浸食されていったことも事実である。このプロセスは、幾つかのケースでは以前は対立していたグループ間の統合をもたらした。
一九九〇年代末と現在の社会闘争の再登場は、新しい政治的地平を解き放った。前世紀の左翼の歴史とは異なり、もはや確立されたヘゲモニーもなく、このプロセスを自力で指導することができるいかなる政治勢力もいない。
しかし、新しい戦略的疑問や新しい理論的・政治的挑戦課題が存在する。そしてこうした問題に直面する中で、社会主義的・国際主義的政治の建設という領域が、新しい分極化とともに登場しはじめている。われわれは、臨時総会(二〇〇五年四月)において、われわれがブラジルとラテンアメリカで経験している現実に基づいて、こうした中心的問題の一つを強調した。
「われわれは新自由主義が被っている正統性の危機を理解する必要がある一方で、社会主義革命の新時代のための参照点とそこに引きつける極を提供することのできる、反資本主義的性質を有する革命の歴史的展望は、短・中期的には予見できないことをも考慮する必要がある。われわれはこうした時期において、プラグマティズムの危険、改良可能とされる資本主義に適合するユートピア的展望の形成という危険、そして解放勢力をブルジョア国家と市場の秩序に統合することで彼らを無益なものにさせていく危険に抵抗しなければならない。こうした危険は、PTのように自国の政府に参加することになった社会主義政党にとって重大なものである。ブルジョア秩序への適応と統合との闘いは、歴史的回答を要求している。それは、複数主義的で参加型の民主主義、市場の民営化論理の進歩的克服という枠組みの中で、また支配的世界秩序の変革プロセスとの弁証法的関係の中で、民主主義的過渡期を社会主義へと導く能力を前進させる挑戦を取り上げる、革命的社会主義の伝統に基づいたものである」(DS臨時全国総会の決議、二〇〇五年四月)。
21世紀の国際
主義の諸前提
「二十一世紀の国際主義」をめぐる討論は、存在した四つのインターナショナルの諸価値と積極的遺産を回復するものであるべきだが、その失敗のバランスシートをも作成すべきである。それは現存する新しいアクターとともに、生き残りのアクター(一九九〇年代初期の左翼の全般的危機以後の)の性格を規定すべきである。そして、何よりも、現に遂行されている諸闘争と密接に結びついたオープンで複数主義的な国際主義を推進する能力を持つべきである。
われわれは、国際主義をその本質的で戦略的な価値とする社会主義運動の伝統に属している。われわれの闘いは、全世界を通じて共通の目標を持つべきである。
諸国民の普遍的な友愛は追求されるべき価値であり、資本がその支配をグローバル化している時に、一国やそこいらでの社会主義の孤立した発展はありえない。一貫した形でのポスト新自由主義のプロジェクトは、社会主義的で国際主義的なものでなければならない。反帝国主義、わが民衆の国民的主権の防衛、わが国の低開発状況と支配階級の国際資本との同盟への非難と対決、社会主義への闘いにおける理論的・イデオロギー的な推敲、政治における倫理と道徳、参加型民主主義のための継続的闘争、階級的独立を保ち、闘争を最後まで貫く能力を備えた政治勢力の発展の必要性――これらは過渡期と新自由主義克服のための根本的諸条件である。
前世紀の分割線
はもはや失効
前世紀は、左翼の側の国際構想の間の一連の衝突を特徴としている。社会民主主義(第二インターナショナル)対共産主義(第三インターナショナル)、スターリニズム(各国共産党)対トロツキズム(第四インターナショナル)、モスクワ路線対北京路線、ラテンアメリカではキューバ革命をアイデンティティーとする諸組織対各国共産党。二十世紀における左翼の戦略的論争は根本的重要性を持ちつづけているとはいえ、こうした分割線は、その適切性の多くを失ってしまった。しかし新しい分極化も生じており、そこでは依然として巨大な挑戦と回答が発酵しつつある。
古い分割線も、しばしば階級闘争がさまざまな左翼潮流の機構間の論争の論理に従属してきたことを意味していた。これは階級闘争それ自身を妨げたこともあった。
二十世紀における第四インターナショナルの経験は、特異なものだった。他の潮流とは違って、第四インターナショナルは概して大衆的政党の一部にはならず、大衆組織を指導したこともなく、どのような国家の政策にもならなかったからである。スターリニズムに対する左翼反対派の闘いの結果として一九三八年に創設された時、第四インターナショナルは、トロツキーによって革命的綱領(一方ではスターリニズムによる、他方では社会民主主義による堕落に抗して)を防衛する手段として見なされていた。当時、中枢諸国での労働者階級は、スターリニスト的共産主義あるいは社会民主主義の指導下にあり、ないしはナチ―ファシズムに直接的に従属しており、世界は第二次大戦の前夜にあった。
この創設時の枠組み(綱領の防衛)は、長期にわたる労働者階級との関係での周辺的状況や、組織の小ささによって育まれたセクト主義的・純理論主義的慣習の持続ともあいまって、多くの第四インターナショナルの諸組織が政治的セクトへと堕落(内向きで、政治情勢の外部に止まり、相互の闘いに集中するなどといった)することになった路線の正当化をもたらすことになった。
トロツキズムか革命
的マルクス主義か
DSと第四インターナショナル(統一書記局)の一致は、幾つかの要素の結果としてもたらされた。第一に、それは根本的には、第四インターナショナルが一九七九年の第十一回世界大会で採択した決議文書「社会主義的民主主義とプロレタリアート独裁」が、社会主義建設のための民主主義のビジョンをラディカルに復活させたことによる。
第二に、当時、第四インターナショナルが自らを「革命の世界党」と見なすことや、諸国支部を中央集権化した国際的指導部を持とうとすることを止めたことによる。
第三に、第四インターナショナルが大衆的・革命的インターナショナルを自らの「周囲」に、あるいは自らの「指導下」に形成するという考え方に基づいて活動することは不可能であると述べ、第四インターナショナルは、あれこれの潮流が覇権をふるうのではなく、共有の前衛という展望の下に自らがその大衆的・革命的インターナショナルの構成要素となると述べたことである。この展望は、とりわけ一九八〇年代において中米の他の革命的潮流との対話を開始する上で根本的に重要であった。
第四に、第四インターナショナルと結びついたさまざまな思想家たちが、すでに専らトロツキーへの言及を超えて、すべての批判的・革命的思考(その多くはトロツキストの遺産とは矛盾するものだった)をふくむ革命的マルクス主義の見解に沿って活動していたことである。
第五に最も重要な点は、DSが第四インターナショナルに接近する中で、DSのユニークな経験がそのまま受け入れられたことである。ほとんどのトロツキズムとは異なり、DSはPTへの参加を「加入」戦術とは見なさなかった。この特殊性を理解するためには、DSのPT内での軌道を、現在のPSTU(統一労働者社会主義党)の前身組織であるモレノ派の「社会主義結集」潮流のそれと対比するだけで十分である。
この時期、第四インターナショナルとの討論と交流の関係は、民主主義、民族問題、過渡期の問題についてのわれわれの戦略的定式化に貢献した。
民族的ルーツ
をどうみるか
ペルーの偉大なマルクス主義思想家であるホセ・カルロス・マリアテギは、一九二八年に次のように述べている。
「われわれは確かにアメリカの社会主義がコピーや複製であることを望んでいない。それは英雄的創造でなければならない。われわれはインド―アメリカン社会主義に、われわれ自身の現実をもって、われわれ自身の言葉で、生命を吹き込まなければならない。これは新しい世代の価値ある課題である」(「記念日とバランスシート」、「アマウタ」誌第3期17号、リマ、1928年9月)。
これはマリアテギが第三インターナショナルの中で、その決定の機械的適用に反対して闘っていた時期であった――その決定は、マリアテギが一九三〇年に死んだ後に初めてスターリニズムがなんとか実現できたものだった。第三インターナショナルは「革命の世界党」であると主張しており、その少し後(一九四三年)に、ソ連と帝国主義諸国の協定の一環として活動を停止した。
マルクス主義はわれわれの大陸で「自生」のイデオロギーとなった。マルクス主義はすでに百五十年にわたって、マルクス主義を自らの解放の手段として求めてきたわが民衆との間で相互交流しており、普遍的な思想の学校であるべきマルクス主義は、自ら脱ヨーロッパ化する必要がある。トロツキズムもまた同様の問題にぶつかっている。
DSはPT内に自ら「移植」されたものとして位置づけなかっただけではなく、当初からPT左派ならびに全体としてのPTとともに、総合化の集団的プロセスに加わってきた。革命戦略、社会主義、そして革命党建設に関して一九八〇年代、九〇年代にDSが行ったすべての討論は、このビジョンに貫かれている。一九八〇年代半ばにDSが第四インターナショナルへのアイデンティティーを表明した時、第四インターナショナルはこの軌道とこの展望の尊重を決定したのである。こうして国際主義とは、われわれにとって国民的ルーツを否定したり、革命的マルクス主義を再適用・再創造する必要を否定することを意味するものではない。
時代を担う主体
をどう考えるか
新自由主義の危機とわれわれの地域における民衆的高揚の結合は、新しい情勢を作りだしている。左翼の危機の後での民衆闘争の復活の中で、新しいアクターが登場し、古いアクターが再生している。良かれあしかれ、今や世界は異なったものになっている。新自由主義的グローバリゼーションの様々な表現に対決する統一した闘争を切り開いた広範なスペースは、左翼のさまざまな勢力が自らを国際的な、そしてとりわけわが大陸規模の存在として見いだすこの新しい情勢によって、はじめて可能となっているのだ。
DSのメンバーたちは、国際的なスペースを築き、世界社会フォーラム、社会運動会議、FTAA(米州自由貿易協定)に反対する大陸キャンペーン、大陸間社会連盟、世界女性行進、労働組合連合南米南部調整委員会、社会的経済のための労働者フォーラムなど、新自由主義グローバリゼーション、帝国主義、戦争、そしてわが大陸における家父長制に対する闘いの重要な前進を代表するイニシアティブとの連携を築き上げていく上で、傑出した役割を果たしてきた。
マルデルプラタで開催された民衆サミット(大陸間社会連盟が推進した)での、ブッシュとFTAAに反対する最近の行動の巨大な影響は、この国際主義的政策の正しさを具体的に示したものだった。今年(二〇〇六年)一月にカラカスで開かれた世界社会フォーラムでなされた重要な政治的前進は、同様のことを示している。
こうした達成物は、われわれの国内的方針にとって外在的なものではないし、矛盾したものでもない。そうではなく、それらは同じものの国際的拡大なのである。そしてこの方針は、われわれのこの間の二つの総会決議で表現された、われわれの大陸における情勢と課題についてのビジョンに基づいている。
サンパウロ・フォーラムは、十五年前に異なった政治的文脈の中で最初に作られたものだが、ラテンアメリカにおける広範な左翼と進歩的諸政党の会合のスペースとしてなんとか存続してきた。われわれは、地域における政府の経験のバランスシートを討論し、異なった政党イニシアティブ間の連携を築き上げ、ラテンアメリカの社会運動が発展させたキャンペーンとの戦略的パートナーシップを構築する中で、サンパウロ・フォーラムがより積極的な役割を果たすべきだと主張している。
国際主義をめぐる
2つの政治的分岐
ルラ政権の路線をめぐる討論の中でブラジルの左翼が被った危機は、第四インターナショナルの同志たちが何年もの間DSとの間で存在してきた相互協力のやり方を、著しく転換させる口実となってきた。第四インターナショナル国際執行委員会(IEC)多数派は、彼らが持っていない権限を当然のごとく主張してきた。彼らはDSに介入し、誰がIECでDSを代表すべきかを決定し、誰をDSのメンバーと見なすべきか、DSが何者かを決定した。同様に、ブラジルの政治情勢との関係でDSがブラジルで何をすべきかをヨーロッパで決定しようとし、DSが内部民主主義に基づいた独自の決定機構を有していることを無視している。
当時DSにいた一部の部分の二年間に及ぶ分派的で反民主主義的振る舞いは、第四インターナショナルの諸機関からなされるマヌーバーによって支持されていた。こうして第四インターナショナルの指導機関の主導によって、共同活動と相互尊重の歴史の遮断が訪れたのである。
他方、われわれの地域において、この間IEC多数派はラテンアメリカ左翼の中で進行している再編成のプロセスから距離を置き、われわれの大陸で生き残ってきた小さな「トロツキスト」グループとの対話と共同活動を優先させる決定を行った。
国際的にもラテンアメリカでも左翼の再編成の豊かなプロセスが存在しており、DSはその積極的な一部となっている。この点で、そしてその内部で、われわれは自らの捉え直しと貢献を発展させるべきである。
新しい国際主義が必要であり、そしてそれは闘争の中で、キャンペーンの中で、そして統一した地域的・国際的スペースの中で築き上げられている。一部の者が時代錯誤的に逃げ込んでいる分派主義とセクトの精神によって汚染されてこなかった部分は、この構想におけるわれわれの当然の同盟者である。DSは、すでに相互協力の関係を持っている第四インターナショナルの諸セクターとともに、そして国際主義を刷新し、二十一世紀の社会主義を築き上げる挑戦に立ち向かうことができる準備を整えているインターナショナルのすべてのセクター、地域とブラジルの左翼とともに、国際主義的活動を継続するだろう。
(「インターナショナルビューポイント」電子版07年5月号)