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http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2007062002025593.html
2007年6月20日 朝刊
第三次中東戦争で、イスラエルが占領したガザとヨルダン川西岸はその後、多くの自爆テロ犯を生み出した。暴力の連鎖はパレスチナ人同士の殺りく合戦に発展、イスラム原理主義組織ハマスによるガザ支配で、自治区と自治政府の分断という新局面に入った。パレスチナで初めて、自爆テロで民間人を殺害した犯人の遺族は「状況は悪化するばかり」と、今も悲嘆に暮れる。 (ヨルダン川西岸北部カバティヤで、萩文明)
一九九四年四月。イスラエル北部アフラのバス停で車が爆発し、同国人の七人が死亡。車内にいたパレスチナ人ラエド・ザルネ容疑者=当時(19)=の自爆テロだった。
中東では八〇年代、レバノンのイスラム教シーア派組織ヒズボラが自爆攻撃を開始した。当初は兵士が対象だったが、ヒズボラと接点があったハマスはその後、標的を民間人にも拡大。九三年には未遂事件を起こしていた。
初めて民間人の死者が出た新戦術に、イスラエルは驚がくした。メディアは動機を「貧困」と伝え、同容疑者が所属していたハマスは声明で、二カ月前に狂信的ユダヤ人入植者が、礼拝中のパレスチナ人を大虐殺した事件への「報復」とした。
だが、ザルネ容疑者の父、ムハンマドさん(52)は「真相は、いずれも違う」と断言する。
ハマスと対立する穏健派ファタハの一員だったザルネ容疑者は、イスラエルに逮捕され、九十日間、拘束された。ムハンマドさんによると、同容疑者は「刑務所で兵士にレイプされた」という。
ムハンマドさんの奔走で、ザルネ容疑者は釈放され、自宅に戻った。だが、受けた拷問で、全身は傷だらけ。顔の半分は膨れ上がり、片目の視力を失っていた。記憶の一部を喪失、実弟を識別できなかった。
その七日後、ザルネ容疑者は再び指名手配され、逃亡した。ムハンマドさんはイスラエル兵から、ザルネ容疑者が「ハマスに入った」と聞いた。事件を起こしたのは、「レイプ」の翌年だ。
その後、ムハンマドさんも「テロ犯の父」という理由で二度、逮捕された。後ろ手に縛られて一晩中、大音声で眠らせてもらえない。頭部に覆いをかぶせられる。拷問で両手の薬指が機能不全となり、運転手の仕事を失って、困窮に陥った。「息子も同じことをされた。レイプと拷問が息子を変えた」と話す。
二〇〇〇年以降、衝突激化でハマスは自爆テロを続け、ほかの組織にも広がった。イスラエルは大侵攻で応酬し、「テロ阻止」を理由に、パレスチナ分離に着手。その結果、ガザ孤立策と西岸での分離壁建設、地域分断につながり、自爆テロの件数自体は減少した。
自爆犯の事例に詳しい心理学者のマフムード・セワイル氏は「暴力の個人的体験による心的外傷を解決できず、自爆に走る。宗教心や政治的動機は無関係。過激派は、被害を受けた自爆予備軍を常に探している」と話す。
占領と暴力が、攻撃的な新世代と新たな暴力を生み続ける構図。事実上のガザ内戦で憎しみが膨れ上がった結果、いずれパレスチナ人が同胞を標的に、自爆テロを起こさないとも限らない。
自爆テロの嵐の果て、パレスチナは国際的な信頼も共感も喪失。イスラエルの過剰報復を、米国などが常に「自衛権」として擁護する構図が定着した。自爆テロの犠牲者数を大きく上回る民間人を殺害しても。
「遺族は事件後も苦しみ続ける。別の息子が志願したら、絶対に止める。暴力は何も解決しないからだ」とムハンマドさん。ハマスがザルネ容疑者を利用したとは思わないが、占領四十年となったパレスチナの政治には「絶望した」という。