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□日本のインテリジェンス機関にも取り入れたい「胆力をためす試験」=佐藤優 [SAPIO]
http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20070613-01-0401.html
2007年6月15日
日本のインテリジェンス機関にも取り入れたい「胆力をためす試験」=佐藤優
インテリジェンスの世界で重要な能力は、眼力と胆力である。眼力とは洞察力のことで、インテリジェンスの資質がある者ならば、書物や資料を読んだり、経験を積み重ねることでついていく。他方、胆力については、生まれつきのところがある。
故エリツィン大統領は、1991年8月、ソ連共産党中央委員会の守旧派がクーデターを画策したときに、ホワイトハウス(当時のロシア政府・国会建物)の前で戦車の上に乗って国民に抵抗を呼びかけた、たいへんに胆力のある人物のように見られている。
しかし、エリツィンの側近達から筆者が聞いた話では、実態はそうではない。優柔不断なところがあり、このときも最初は、狙撃されるのではないか、逮捕されるのではないかと相当怯えていたとのことだ。しかし、一旦、執務室の外に出て、一般大衆とテレビの前に出ると、エリツィンは胆力のある人物であるという演技を始め、演技をしているうちに一時的に胆力のある人物になった。筆者は側近らの話を信じている。
なぜなら、93年10月、エリツィン大統領側とハズブラートフ最高会議(国会)議長が対立し、モスクワが内乱寸前に陥ったとき(モスクワ騒擾事件)、エリツィン氏は茫然自失の状態で、適確な措置をとることができなかった。あのときは、ブルブリス元国務長官、ガイダル元首相代行たちがクレムリンに入り、軍や連邦防諜庁(FSK、連邦保安庁=FSBの前身)の幹部を説得して、ようやく治安出動を行なったのである。筆者は、当時、文字通り30分ごとにクレムリンの司令部と連絡をとっていたので当時の状況はよくわかる。いずれにせよ政治家にとって胆力は不可欠な要素だ。
北朝鮮に乗り込んだ某情報大国の最高幹部の胆力
一般の行政官僚には、この類の命を投げ出すような胆力は求められない。ただし、インテリジェンスに従事する者は、政府から給与をもらうということでは官僚であるが、胆力が必要とされる職務に従事することもある。特に周囲を敵に囲まれた国家の場合、インテリジェンス担当官は相当無理な仕事に直面することがある。
某情報大国の最高幹部に同行して京都観光をしていたときである。この幹部が筆者に、「ところで、佐藤さんは平壌にはいつ行ったのか」と尋ねてきた。筆者が「一度も行ったことはない」と答えると、相手は怪訝な顔をして、こう言った。
「どうして、北朝鮮と裏のチャネルを開いておかないのか」
「閣下、日本は北朝鮮と外交関係がありません。そういう状況で外務省員である私たちが北朝鮮に渡航するのは容易な事じゃないんですよ」
「外交関係がないからこそ、裏でチャネルを開いておかなくてはならないんじゃないか。日本の外務省、内閣情報調査室、警察庁、公安調査庁、さらに民間がもっている北朝鮮情報は世界第一級だよ。ただ、このままじゃ情報のための情報、分析のための分析になってしまう。これだけのインテリジェンスをもっているのだから、それを北朝鮮に対して使わないと。
そのためには裏でチャネルを開いて、北朝鮮側に『日本は北朝鮮のことをこれくらい調べているんだ』ということをさりげなく伝えておくんだ。北朝鮮の連中は、北朝鮮についてよく知っている外国人に畏敬の念を抱き、きちんとした話をしてくる。だから、わが国は地理的には北朝鮮から相当離れているけれども、インテリジェンス機関に国際スタンダードで対応できる北朝鮮専門家を養成したんだ」
この話が筆者の知的好奇心を刺激した。 そこで踏み込んだ質問をした。
「ところで、そこまでおっしゃるのですから、閣下は平壌に行ったことがあるのですね」
「ある。金容淳労働党書記(故人、金正日総書記の側近とされる)と会ってきたよ。あいつはよく訓練された頭のいい男だ」
この情報大国には仮想敵国がある。この仮想敵国に北朝鮮が弾道ミサイルを売却しようとしているという有力情報が入ってきた。そこで、この最高幹部はヨーロッパの某国で、北朝鮮関係者とコネをつけて、北朝鮮にカネを払うことで、弾道ミサイル開発計画を中止させようとしたのである。結局、この工作は成功しなかったが、1990年代インテリジェンス史に残る工作だったことは間違いない。
「週1回、旧東ベルリンのシェーネフェルト空港に北朝鮮のイリューシン62型旅客機が飛んでくる。これに乗ってモスクワ経由で平壌に行くんだ。ファーストクラスに乗ったが、エコノミークラスには段ボール箱が満載されていて、乗客が座る場所がない。北朝鮮にとって、この定期便はヨーロッパから物資を運ぶライフラインなんだね」
「乗り心地はどうでしたか」
「悪くなかったよ。ただし、モスクワがつらかった」
「どうしてですか」
「ロシアにわれわれの動きを察知されないようにするために飛行機の中にとどまっていたんだ。清掃員も入れない。モスクワでも北朝鮮側が荷物を搬入する関係で機内で1泊したんだが、エンジンを切ったので、暖房が止まり、機内の温度が5℃くらいになった。歯がふるえてきたよ」
「ロシア人はアエロフロート(ロシア航空)機の国内線を『空飛ぶ強制収容所』と言いますが、まさにそんな感じですね」
「ハッ、ハッ、ハッ。平壌から『帰りもモスクワ経由のファーストクラスでどうぞ』と言われたが、『是非、またの機会にします』と言って、北京に出してもらった。北京からスイス航空でチューリヒに出た。印象に残る出張だった」
「身に危険を感じなかったんですか」
「少しは感じたよ。ただ、僕たちに乱暴なことをすれば、あとでわが国がどういう対抗措置をとるかを北朝鮮側もわかっているから無茶はしないよ。敵地で交渉するときは何よりも胆力が必要になる。胆力さえあれば、あとは何とかなるよ」
「閣下、胆力はどうやってつけるんですか」
「それは生まれつきだね。ただこの組織に入るときは胆力の試験がある」
「どんな試験なんですか」
この情報大国では、インテリジェンス担当官のほとんどが縁故採用である。まず、履歴を徹底的に調査する。配偶者の履歴も徹底的に洗う。そして試験が始まる。最初数百人いた候補者が10名程度に絞り込まれ、最後に胆力の試験がある。例えばこんな“指令”が出される。
胆力試験を突破した候補者の見事な「回答」
「○月×日、午前2時、身分証明書や運転免許証など、人定(人物確認)ができる書類を一切もたずに首相官邸の前に来い。親、家族、友人など、われわれの組織関係者以外と連絡をとることは一切禁止する。万一、解決不能のトラブルに巻き込まれた場合、××庁に連絡し、認識番号△△△△が助けを求めています、と言え」
それと同時に、インテリジェンス機関関係者が、匿名で警察に「挙動不審者が深夜、首相官邸付近に現われるという情報がある。テロリストかもしれない」という通報の電話をする。警察は本当にテロリストが来るかもしれないと思い、警戒する。そこにやってきた採用候補者は職務質問をされるが、身分証明書がないので説明できない。ここで身の証しを示すために家族と連絡をとった者は不合格になる。警察署に連行され、留置される場合もある。それでも機転を働かせて、うまく逃げた者だけが採用されるのだ。
「いったいどのようにすれば切り抜けることができるのですか」
「いろいろな例があるよ。双眼鏡をもっていて、野鳥のバードウオッチングをしているといって、鳥類に関する詳細な知識を披露して、警官を煙に巻いた例が印象に残っているな」
「警察署の尋問で殴られることもあるのですか」
「あるね。警棒で叩かれたりすることもある。それでも上手な嘘をつき通して頑張っていると、われわれの方から『もういいよ』といって救出に行く」
「認識番号を言って、組織と連絡をとってきた者はどうなるんですか」
「不合格だ。採用基準でそう決められている。このような機転や胆力は、組織に入ってからの研修で身につけることはできない。生まれつきのものなんだよ。資質のない者がインテリジェンスの世界に入ってきても、本人にとっても組織にとっても不幸なことになる。そして何よりも国益を毀損する」
日本のインテリジェンス機関を創設する場合にも、このようなユニークな試験が取り入れられるべきと思う。(起訴休職外務事務官)