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日本兵遺骨 51体集中 インドネシア・ビアク島 民間調査団が発見【東京新聞】
2007年6月10日 朝刊
インドネシア・ニューギニア島北西部のビアク島で、旧日本軍兵士の遺骨が大量に野ざらしになっているのが確認された。岩手県の特定非営利活動法人(NPO法人)太平洋戦史館代表らによる民間調査団が現地を訪れ、確認した。地表に露出しているのが確認できただけで五十一体分あり、実際にはさらに増えるとみられる。調査団は同国北東部のパプア州ゲニム近郊でも百体以上の遺骨が埋まっている可能性が高い場所を確認。戦後六十年以上経てもなお“帰還”できない旧日本兵が多数いる実態があらためて明らかになった。
同戦史館代表の岩淵宣輝さん(65)によると、大量の遺骨が確認されたのは、ビアク島南東部のマンドウ地区。現地の人がトウモロコシ畑を開墾しようとしたところ、旧日本兵の遺品と遺骨が次々と見つかった。岩淵さんらが縦約四十メートル、横約二十メートルの範囲にある疎林を伐採して確認すると、地表に出ている分だけで五十一体分あった。
現場にあった認識票などの遺品から、既に敗色濃厚となった一九四四年六月十七日に応援部隊としてビアク島入りし、二十日ごろから戦闘に加わったとみられる東京編成の歩兵第二一九連隊西原大隊(大隊長・西原登一大尉)の兵士たちとみられる。
遺品の中には、鉄かぶとや銃弾などの装備のほか、ビール瓶、アルマイト製のカップといった生活用品などもあった。
岩淵さんらは、厚生労働省に今回の調査結果を報告し、本格調査と遺骨収集を促す方針。
岩淵さんらは今回、ゲニム近郊のベラップ村でも旧日本兵の遺骨が大量に埋められている可能性の高い場所を確認した。米軍に追われた旧日本軍兵士が敗走したルートにあたり、試掘したところ実際に遺骨が出てきた。現地の人によると、米兵に待ち伏せされた旧日本兵百人以上が銃撃され、埋葬されたと伝えられているという。
岩淵さんは「遺骨は既に朽ち果てたという人がいるが、朽ち果ててなんかいない。『死人に口なし』ではなく、野ざらしの遺骨が、六十年以上ほっておかれた怨念(おんねん)を物語っている。厚労省や政治家は、自分だったらどう思うかという視点で考え、もっと遺骨収集に力を入れるべきだ」と話している。
<メモ> ビアク島の戦い ビアク島は、淡路島の約3倍の広さがある旧日本軍の要所。太平洋戦争時の1943年暮れから飛行場の整備に入ったが、ほぼ完成した44年5月27日に約3万人の米兵が上陸、陸軍歩兵第222連隊を中心とするビアク支隊(支隊長・葛目直幸大佐)と激闘となった。装備と陣容に劣る日本側は次第に劣勢となり、同年7月2日、葛目支隊長が自決し、組織的戦闘は終結した。日本側は陸海軍計約1万2800人のうち、1万2000人以上が戦死した。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2007061002023118.html