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株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu145.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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キリスト教原理主義の本質は、主に米国が過去に行った過失を正当化
できるからこそ普及しているのであり、キリスト教よりもユダヤ教の亜種
2007年6月8日 金曜日
◆キリスト教原理主義は、米国の過失と『死の商人』を正当化するもの 2004年12月23日 改善案まにあ
http://hoffnungenlied.cocolog-nifty.com/kaizen/cat1966234/index.html
(前略)
一番の問題は、聖書無謬性という偏向なのだが、これはルター派が聖書中心主義を唱えた影響から英米のキリスト教原理主義に多い。
キリスト教において本来一番大切なのは、イエス=キリストの言葉であった筈だが、イエス=キリストの言葉と矛盾する見解を米国人が頻繁に出すのは、聖書無謬性の影響ではないかと思う。
聖書無謬性、というよりも、旧約聖書無謬性こそが、キリスト教原理主義の中心に存在するのではないか。
旧約聖書は、無謬どころか矛盾だらけだが、キリスト教原理主義で重要視されているのは、旧約聖書の内容とヨハネの黙示録なのである。
ヨハネの黙示録の諸派にとって都合の良い解釈することと、旧約の内容が、キリスト教原理主義の根本のようだ。
これでは、キリスト教というよりも、選民思想が極端に強いユダヤ教の亜種である。
まず、北米インディアンの土地を奪ったことについては、「アメリカは約束の地である」と説明する。
鉄砲隊に向かって「特攻」を続けた北米インディアンを、虐殺し続けるのに当たって、「北米インディアンは聖書に書かれていない。だから、あれらは人間ではない」と説明する。
奴隷貿易の中心は実は英国だったが、「黒人は聖書に書かれていない。だから、あれらは人間ではない」と同様に説明している。
聖書の無謬性という信仰を利用することによって、自分達のエゴイズムや貪欲な物欲、選民思想を合理化できるのだ。
どんな人間だとて、異民族でも多数の人間を無差別虐殺すれば、潜在的に罪悪感を感じるものである。
もちろん、本物の「見せかけだけの善人」ならば、潜在的にも罪悪感を感じないだろうが。
米国人の心に在った潜在的罪悪感や不安感を薄れさせ、自らの虐殺・軍事的及び経済的侵略を正当化するために、聖書無謬性は、実に利用価値の高い説なのである。
聖書無謬性は、選民思想を強化し、エゴイズムの発現と経済侵略を正当化する。
だから、英国は「死の商人」として長年成功できたのだろう。日本で有名なグラバーも、英国の武器商人である。
第二次世界大戦後、英国の国土は荒廃していた。
戦争の被害のない米国が「世界の中心」となったのは必然であるが、その世界の中心とは、「世界の武器工場」なのである。この情けない地位は、この先当分揺るぎそうにない。
人殺しで儲ける「商売」は、私は世界中で最も卑しい職業だと思う。
殺傷兵器を多数生産することにも、自己正当化と合理化が必ず必要になる。
「我々は、民主主義を世界に普及するために武器を製造しているのである」とか工場で合理化の言葉を言わなければ、現場の労働意欲が必ず低下していく筈だからだ。
米国で武器を多数製造しなくても、たくさんある別の産業に大半を転換すればいいだけの筈だ。日本は、戦後ちゃんとできたのだから。
だが、恐らく、最早不可能だろう。
なぜなら、米国は「民主的な豊かな社会」から「憎悪と恐怖の対象」「言論を弾圧する強国」へと変質して行っているからである。
報復を恐れて先制攻撃し、無差別攻撃するために、他国民の憎悪と怒りが増し、死を賭しても抵抗を表したいという人々をどんどん増やしているという、ごく当たり前の論理が、米国人には理解できないようだ。
恐らく、欧米人以外の人々を、無意識下で「人間」と認めていないからである。
世界中から恨まれ憎まれていることを、米国人の大半が9.11まで気づかずに済めたのは、エバンジェリカルが米国民が潜在的に持つ罪悪感や不安感を合理化し、選民思想を強化してくれているためである。
戦争があるたびに、米国内のエバンジェリカルは信者数を増していく。
今や、聖書無謬性を信じる米国人が半数以上なのではないか。
例え、神が言ったことが正しかったとしても、転記を続けた古代ユダヤ人が自分達に都合の良い内容に書き換えなかったと何故信じられるのかは、理解に苦しむ。
古代ユダヤ人の知っている世界しか書かれていないからといって、それ以外の土地に住むのは人間ではない、あるいは被差別民族だと信じられるのは、何故なのか。
「木を見る西洋人 森を見る東洋人」に従えば、西洋人の世界観があまりに単純だからと説明できるだろう。
そんなに、世の中、単純なわけなかろうが。
あらゆる物事は、複雑に絡み合っている。
人体の一部が悪くなれば、全体に影響が及ぶようにだ。
潜在的罪悪感を引きずるからこそ、米国は犯罪大国になったのではないか。
エバンジェリカルは「核戦争を待望する人びと―聖書根本主義派潜入記 朝日選書」によると、ヨハネの黙示録の「ゴグとマゴク」、つまりイスラエルに進攻して戦う二つの大国とは、ロシアと中国だと教えているそうだ。
信者を増やすために、「核戦争はすぐ来る」とエバンジェリカルが米国民の恐怖を煽れば煽るほど、「どうせ先はないんだから」と自暴自棄の心境に陥り、犯罪に走る者は増えていったのだろう。
潜在的罪悪感や不安感は、潜在的犯罪者を増加させていき、米国民の人心を荒廃させて行ったのである。(後略)
◆【福音派】聖書の外典・偽書と「聖書の絶対不可謬性」
正確な時期は覚えていなかったが、Wikipediaによると、キリスト教史の中で、旧約聖書が正式に聖典の扱いを受けるようになった歴史は意外に浅く、トリエント公会議(1545)の時である。
2世紀には既に旧約聖書を認めない派が存在し、それに反対するためにも4世紀に聖書のラテン語訳が始まり、397年「正典」が一応決まった。
特に、ヨハネの黙示録を新約に残すかどうかで、随分揉めたらしい。
東方正教会は、長く認めていなかったという。
1世紀末に書かれたもので、「ヨハネによる福音書」「ヨハネの手紙」の著者とは別人が書いているが、今でも諸説あり、作者が福音書作者でないと文献学等で否定されていることを聞くと激怒する宗派もあるらしい。
どの文書が聖書として認められるべきか否かで、長く揉めて来た歴史というのは、大抵の宗教にあることだ。例えば、「北伝仏教の経典の多数は偽書である」という研究もある(「梅原猛の授業 仏教」をご参照下さい)
そんな歴史があるのに、特に、キリスト教原理主義者達を中心に「聖書の絶対不可謬性」を固く信じているキリスト教徒が結構いるのだそうだ。
聖書の中には、これを聖書に含めるかで揉めた文書があるという歴史等を、清教徒は全く知らなかったらしい。そのため、アメリカを中心に「聖書の絶対不可謬性」という、珍奇な教義をもつ教団が多いのだそうだ。
しかも、彼らが「間違いがない」と主張するのは、大抵、本来は聖典ではなかった旧約聖書のほうで、新約と違って間違いだらけの書物だ。
個人的見解としては、終末論など、危険思想に近しい「ヨハネの黙示録」は成立の経緯を見ても実に眉唾で盲信されると害が多いが、マリアが処女懐胎したとか、イエスが復活したとか、その程度の話はご愛敬なので、信者が盲信していいと思うのだ。
だが、旧約聖書は盲信されると、世界の迷惑になる話が多すぎるのだ。
よーく考えれば当たり前だが、神自身が筆を執って、旧約聖書を書いた可能性は皆無だ。
神様が筆を執るかというより、神様に筆を執らせるか、を考えてほしい。
そんな尊大な事、どんな信者が神にさせるのか?
つまり、突然書物が出来ていて、「神が書いて下さった」とか言ったのだろう。
誰が書いたか、バレバレだが。
もちろん、念力とかで一瞬にして神が書かれたとか、信じたければ信じればいいのだが。
神のお告げを受けたとする、古代ユダヤ人が書いたと考えるのが、論理的に正しい。
編纂や編集、どれを聖書に加えるか外すか等の作業をユダヤ人がやっているのは、史実である。
しかも、神がいかに正しくても、古代ユダヤ人が、人として真っ当で他民族の尊敬に値する程度の人物ばかりだったかは、全く、保証の限りではないのだ。
自民族に自信を持たせるために、「隣に住んでる、あの異民族は(我々の伝承では)我々の祖先の○○の、私生児の子孫だ」とか、「○○人は近親相姦で出来た民族だ」とか書いちゃってるのだから。
実に、浅ましい行動だ。
記録に残せば、自分達の嫌っている異民族を他の民族も一緒になって蔑む未来が来るとか、妄想していたんじゃないのだろうか。
少なくとも、これっぽっちも人間として尊敬に値しない人物が多数、旧約聖書の編纂に携わっているのは確かだ。
聖書と言っても旧約聖書は、基本的に泊付けのために導入されたものであり、どう考えても新約聖書の「神」と矛盾している。
旧約聖書の「神」は、所詮民族宗教の神なので、イエスと違い、人を幸福にすることのない神なのだ。
その「神」とイエスが三位一体であると言ったものだから、それから、キリスト教の神は相当残虐な「神」に変化し、教会の教えも残虐なものに変質してしまったのかもしれない。
ローマカトリックが新教の発生と共に今までの教会のあり方を見直して現在に至るのと対照的に、「自分達こそ、(旧教の輩と違って)汚れなき者である」と主張し続けて来た人々は、随分人殺しが好きな人々になっていき、全く自分達の行動を振り返ろうとはしない。
「神に選ばれた」とか「(自分達だけは)清浄なるものである」とか、「アメリカは『神の国』である」とか言うのは、明らかな(誇大)妄想である。
民族宗教の神ならともかく、キリスト教の神が、そんなに驕り高ぶり尊大で、「自分達は選ばれているから何をやっても許される」といった論理で他国民を無差別虐殺するような信者を、そんなに高く評価するだろうか。
「汝の敵のために祈れ」と言った神がだ。
聖書を書き記したのは所詮古代ユダヤ人であり、聖書の中にサハラ以南の黒人、インド以東のアジア人、北米南米・オーストラリア・ミクロネシアの現地人の存在が書かれていないのは、単に、当時の古代ユダヤ人の知識が足らなかっただけである。
ところが、「聖書の絶対不可謬性」を盲信する人々は、聖書に出て来ない人々を「人間として認めてはならない」という、見解になりがちだ。
清教徒が最初にこの考え方を米国に伝え、英国の清教徒が奴隷貿易を擁護した。
自分達は清い名を名乗り、その行動は実に血なまぐさい。
聖書が誤っていることを認めぬ代わりに、世界や現実のほうを自分達の信念に合わせようとすると、随分多数の人々の人権を侵害し、戦争を次々起こし、多数の国を弱体化させ、...たくさんの異教徒をアジア・アフリカ・南北アメリカで殺さなければならない。
実際に、合わせようと今まで努力してきたのが、アメリカ合衆国という国の「裏の歴史」ではないのだろうか。
(私のコメント)
昨日のNHKのハイビジョン放送で「2001年宇宙の旅」を放送していましたが、デジタル処理された映像は非常に鮮明で、オリジナルの映画よりも鮮明に見えるように加工されたのだろうか? 40年も前の映画なのに時代のズレを感じさせないのは、いまだに「2001年宇宙の旅」の世界が実現されていないからだ。当時のアメリカの国力からすれば実現は可能と思われていましたが、ベトナム戦争が予想以上にアメリカを衰退させたのかもしれない。
「2001年宇宙の旅」の映画の冒頭で、猿人が出てくるのですが「進化論」を映画で見せているのだ。猿人が道具を使うようになる過程を描いているのですが、これは明らかにキリスト教の宇宙創成の世界とは異なるものだ。昨日の株式日記でも「進化論」をアメリカ人は35%しか信じていないと書きましたが、大多数のアメリカ人は7日間で神が宇宙を作り上げたと言う旧約聖書の世界を信じているのだ。
アメリカがイラク戦争に踏み切ったのも、キリスト教原理主義者たちのハルマゲドンの世界を信ずる人たちの支持によるものですが、中東で核戦争を起こす事でキリストの再臨を信じているのだ。まさにカルト宗教なのですが、彼らに支持されて大統領になったのがブッシュなのだ。
6月中に米軍がイランを空爆するという噂もありますが、空爆されたらイランだって黙ってはいないだろう。ホルムズ海峡を封鎖して中東から運び出される石油はストップしてしまう。カルト宗教にとりつかれたアメリカがすることだから何をしでかすか分かりませんが、アメリカ人は旧約聖書を神によって書かれた無謬の書として信じているのだ。
その旧約聖書によればアメリカを新たなるイスラエルとして、アメリカ人を神に選ばれし民としているからだろう。だからアメリカインディアンを殲滅しても、日本を原子爆弾を投下しても、神に選ばれしアメリカは許されると思い込んでいるのだ。
アメリカが執拗に東京裁判史観を植えつけて日本を歴史的犯罪国家と神のごとく決め付け原爆を投下したのも、キリスト教原理主義を理解していないと分からない事だ。そして旧約聖書の預言が真実であると証明する為にもハルマゲドンの地で核戦争が起きなければならないと思い込んでいるアメリカ人が数千万人もいるのだ。
同じ白人のキリスト教徒なのにヨーロッパ人とアメリカ人はどうしてこのように違ってきてしまったのだろうか? ヨーロッパでは17世紀の宗教戦争などで宗教と政治が分離されて考えられるようになりましたが、アメリカではそれ以前のキリスト教の伝統が生きている。聖書の無謬性を楯にとって聖書に書かれていない人々を人間ではないと決め付けて、アメリカインディアンを絶滅させている。
フィリピンを植民地にした時も反抗するフィリピン人を数十万人虐殺しているが、彼らにとってはフィリピン人は人間ではなかった。大東亜戦争における日本に対しても同じ事であり、だからこそ原爆を投下して見せしめにしたのだ。
このように強烈なことを書いていると私が左翼の反米活動家のように思われてしまいますが、アメリカのこれ以上戦争はしてくれるなという思いで書いているのです。だからイラク戦争前の時もキリスト教原理主義を批判して書きましたが、アメリカ人にハルマゲドンがデタラメにな作り話であり、旧約聖書の無謬性を信じ込む事を止めさせるにはどうしたらいいのだろうか? やはりバカは死ななきゃ治らないのだろうか?
アメリカのキリスト教原理主義は限りなくユダヤ教に近いものであり、だからこそアメリカはイスラエルを支援している。イスラエルを聖地として巡礼をするアメリカ人が沢山いますが、ブッシュ大統領が米軍を十字軍に例えたのも冗談ではないのだ。信じられない事ですがアメリカは21世紀の現代においてイスラムに宗教戦争を仕掛けているのだ。
言ってみれば米軍のイラク侵攻は第9次十字軍遠征となるのですが、十字軍の兵士たちがアメリカに帰還した時にどのような事が起きるか想定しているのだろうか? 中世の十字軍遠征は生還した十字軍騎士たちは異端者狩りと称して、エルサレムで行なったような大殺戮をヨーロッパで行なった。
ベトナム戦争の時もベトナム帰還兵は問題を引き起こしましたが、イラク戦争も長期化してイラクから帰還した兵士はイラクで行なった殺戮を米国内で行なうかもしれない。長期にわたる遠征による戦争は様々な弊害をもたらす。アメリカ人は歴史に疎いからカルトじみたキリスト教原理主義に犯されて中世の十字軍の遠征を繰り返しているのだ。