★阿修羅♪ > 戦争92 > 720.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: 反G8闘争:6月2日の日本人逮捕者の報道について レイバーネット 投稿者 Kotetu 日時 2007 年 6 月 05 日 01:25:34)
「独北東部 反サミットデモ衝突1000人負傷 黒装束集団大暴れ
6月4日8時0分配信 産経新聞
■「無政府主義過激派が利用」
【ベルリン=黒沢潤】ドイツ北東部ロストクで2日、主要国(G8)首脳会議(ハイリゲンダム・サミット)に反対する無政府主義過激派と警官隊が激しく衝突し、約1000人が重軽傷を負った。3日は当局による厳戒態勢の中、事態は沈静化しているが、過激派は各国首脳の訪独に合わせ、会場までの幹線道路を封鎖するとも伝えられており、警官隊と再び衝突する恐れもある
サミット反対のデモで多数の負傷者が出たのは、2001年にイタリアで行われたジェノバ・サミット以来。
独メディアによれば、2日はサミットに反対する野党や市民ら約3万人が平和裏に集会を実施していた。しかし、暴動を起こすことを目的とした“黒装束姿”の過激派が警察車両に放火し、警官隊と激しく衝突。過激派は石や火炎瓶を警官に投げつけ、消防車の窓ガラスも破壊した。警官隊は高圧放水銃などで反撃したものの、約430人が負傷(うち重傷30人)、過激派も約520人負傷(同20人)した。拘束者は150人にのぼり、3日も事情聴取が続けられている。
集会の主催者は「無政府主義過激派に集会が利用されてしまった」と憤慨、おおむね警察の対応を擁護している。ただ、警官隊が冷静沈着に行動していれば、衝突拡大は防げたとの見方も強い。
警察はここ最近、1960年代以降、下火になっていた左派活動がサミットを前に再び強まることを懸念し、バルト海に面したサミット会場の周囲12キロを高さ2・5メートルの鉄条網で包囲した。また、かつて旧東ドイツの秘密警察「シュタージ」が行ったように、サミット直前に左派活動家の留守宅を急襲して体臭がついた衣類などを押収し、捜査に利用しようとした。また、一般市民の郵便も開封するなど、神経過敏になっていた。
「反グローバル化」のデモの歴史は、米シアトルで99年に行われた世界貿易機関(WTO)の閣僚会議の際に始まる。だが、今回の過激派による暴動行為は、大多数のデモ参加者にも背を向けられており、「反グローバル化」に直結したデモといえるか微妙でもある。
【ベルリン=共同】ドイツ公共ラジオは3日、ロストクで2日起きたサミットに反対するデモ隊と警官隊の衝突で、警察に拘束された外国人の中に日本人1人が含まれていたと報じた。
最終更新:6月4日8時0分」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070604-00000007-san-int
「集会の主催者は「無政府主義過激派に集会が利用されてしまった」と憤慨」ですか。ならばこの「無政府主義過激派」を「利用」したのは・・・、という話も出てきそうですね。