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2007年05月26日イラク宗派対立の実情を知る〜ホッリーヤ地区vsアデル地区の例
バグダッドは様々な民族、宗教、宗派が混在する街だ。悪名高きバース党の独裁者時代、アラブ人・クルド人、キリスト教徒、イスラム教徒は仲良く暮らしていた。シーア派やスンニ派が問題になることも無ければ、命が危険にさらされるようなことも無かった。
シーア派の中にはバース党政権時代、スンニ派は優遇されていたと不満を持っていたものが多かった。しかし、バース党は政権の存続を脅かす全ての脅威を敵視していただけで、サダム大統領の縁故・親戚が贔屓されたことはあったかも知れないが、スンニ派という宗派が優遇されていたわけではなかった。
バース党は政権に不満を持つものを危険分子とみなし、捕らえたり、殺したりした。シーア派やクルド民族には、反バース党政権として組織化され、活動するものが多かったため、スンニ派に比べ多くの人々が殺された。だが、スンニ派とて優遇されていたわけではないので、危険分子とみなされればスンニ派も同様に処刑されていた。
それがイラク戦争後、民主主義の名の下、民族主義、宗派主義、イスラム原理主義が活発化した結果、対立が激化し、バース党政権を上回る被害と犠牲を出す混乱状態を招いている。
バグダッドはいま宗派対立の激化にともない、大きくはチグリス川をはさんで西側区域はスンニ派、東側区域はシーア派地域というように分離されつつある。もともと多民族多宗教・宗派が混在している街だったので、住み分けはすんなりとは進まない。
今回はチグリス川西側区域に位置するホッリーヤ地区とアデル地区を例に、宗派対立がいかようなもので、市民生活はどのような影響を受けたのか、実情をお伝えしたいと思う。
ことの発端は、2006年の冬にシーア派住民が多いホッリーヤ地区のシーア派武装勢力(ミリシア)が活発化して、地区内に住むスンニ派住民を追い出したことに始まった。住居を追い出されたスンニ派住民は、隣接するスンニ派住民の多いアデル地区に逃げ込んだ。
アデル地区のスンニ派武装勢力(ミリシア)は、報復措置としてアデル地区に住むシーア派住民を追い出した。
こうして始まったホッリーヤ地区とアデル地区の宗派対立が市民生活に暗い影を落とすことになった。
〜つづく〜
Posted by abir at 23:35 │Comments(0) │TrackBack(0) │イラク
イラク宗派対立の実情を知る〜ミリシアの台頭の意味
宗派対立の実行手段は武装したミリシアだ。イラク政府を支配する主要政党は独自のミリシアを持っている。そのほか、どのような目的でどこが後ろ盾になっているのかわからない様々なミリシアが存在し活動している。
ある地区でミリシアが活発化する。そこではまず諜報活動が行われ、その地区の一軒一軒の家に誰が住んでいて、どのような民族・宗派・部族に所属していて、家族構成はどうなっているのか、家族の人たちの勤め先、学校...あらゆる情報が収集される。
誰がミリシアに協力するのか、どのような方法で協力者をみつけるのか、はっきりとはわからない。地区にミリシアのメンバーや支援者がいることは容易に推測できるが、誰も公言しない。そのほかにも恐喝や脅迫、買収される場合などもあるらしいが、こちらも関係者は決して他言しない。警察内やイラク軍にもミリシアのメンバーが潜入していることが知られていて、彼らは国家の警察官でありながら、ミリシアの指示で誘拐・殺害に協力していることが報告されている。この場合のミリシアは主にシーア派であるが、全部が全部シーア派というわけでもない。彼らは夜間の外出禁止令がひかれている時間帯に、制服を着て警察や軍の車で押しかけてきて、連行するような形で住民を誘拐していく。秘密の収容所で拷問され、監禁される場合もあるが、多くは遺体になって発見されたり、拉致後どうなったかわからないまま、行方不明になる。
そのような日常の中、一般市民は標的にならないよう、細心の注意をはらい、警戒しながら生きることになる。知らない人を恐れ、警戒し、余計なことにかかわらないようにする。どのようなことでも、どんなに些細なことでも、なるべく情報をもらさないようにする。表札など、部族名や宗派がわかるものはもちろん外す。
そのような細心の防衛策にもかかわらず、ある日写真のような銃弾にまかれた紙切れが投げ込まれるかも知れない。脅迫状では通常48時間の猶予が与えられ、その時間以内に立ち退かなければ、家族全員皆殺しにすると脅される。脅迫状の中には、よほど親しい間柄の人にしか知らないはずの内容が書かれていたりすることがあり、長年親しく付き合ってきた地域住民が裏切ってタレこんだと疑心暗鬼になり、親しい隣近所、友達、同僚を疑う。疑うほうも、疑われるほうも、相手が敵意を持っているように感じ、今のイラクでは敵意は殺意を意味する。かくして人々は不安のどん底に陥り、長年築き上げてきたはずの信頼関係も崩れ去る。
信じられるものは何もない。脅迫状どおりに出て行こうとしても逃げ道で待ち伏せていたミリシアに殺される。どうして待ち伏せられたのか?道路に人影はは無かったのに...、家を出た瞬間を見張っている誰かがいて、ミリシアに報告しているのだ。残された唯一の脱出方法は、待ち伏せる時間を与えないよう、朝一外出禁止令が解除されると同時に家を出ることだけだ。けれども猶予時間内に、外出禁止令の時間帯に家に押しかけられ殺されるかもしれない。絶対安全に逃げられる保障はない。
米軍、大使館、外国企業や新聞やテレビなどメディアに働いている人間は家に近づくことも帰えることも出来ず、毎日寝るところを変え、さすらう。ミリシアや警察の検問所で捕まれば拉致され、殺される。街を移動するのはいつも大きな危険を伴う。いくつもの身分証明書を持ち歩き、取り調べられたとき見つかったら危ない身分証明書は隠したり、持ち歩かないようにしたりする。そのほか銃を持ったり、偽名を使ったり、勤め先を偽ったり、ありとあらゆる手段で身を守る。それでも安全は保障されない。すべてはアッラーにまかせるしかない。運がよければ、アッラーの思し召しがあれば生き延びられる。アッラーに召されれば、死ぬだろう。そう考えるしかない。
そのような死と背中合わせの暮らしに耐えかねて、外国に逃げたり、疎開したり、脅迫を受けたからと家を空ければ、ミリシアがやってきて、家の鍵を壊しドアを破って押し入る。そして勝手にどこからかつれてきた支援者家族を住まわせる。つまり、どのような理由であれ、留守番を住まわせずに家を空ければ、家と土地、家財道具の一切を永遠に失い、二度と我が家に戻れないかもしれないことを意味する。
ミリシアはかなりハイレベルに組織化されていて、先鋭化している。モノをいう人の立場で、ミリシアはクルドのペシメルガのように正規軍とみなされたり、政党のミリシアとみなされたり、レジスタンスとみなされたり、テロリスト集団とみなされる。
しかし、さまざまなミリシアが戦後4年にわたって際限なく武器を購入するカネは、活動資金はどこから供給されているのか?枯渇することは無いところをみれば、かなり強力な国家のような後ろ盾があると考えるのが妥当と思われる。ミリシア同士で対立しているのだから、複数の国家が絡んでいると考えられる。
無法地帯イラクで台頭するミリシアの活動をどう封じ込めていくかに今後のイラクの行方はかかっている。
〜つづく〜
Posted by abir at 03:23 │Comments(0) │TrackBack(0) │イラク
2007年05月28日イラク宗派対立の実情を知る〜敵も味方もない混乱状態
ホッリーヤ地区のシーア派ミリシアの台頭により、住居を追われたスンニ派住民は、隣接するアデル地区に逃げ込んだ。彼らは「ムカーワマ」(レジスタンス)と呼ばれ、スンニ派のミリシアの手引きなどで勝手に空家を占拠して暮らし始めた。
留守宅は必ずしも住民が逃げ出した空家でもなければ、シーア派住民のものでもない。スンニ派住民の留守宅に勝手に上がりこみ、勝手に住みだしたも、家の持ち主が帰ってきて警察なりミリシアなりに訴え、何らかの圧力がかかり追い出されるハメになる。すると彼らは家でみつけた現金、貴金属、高価な貴重品、電化製品、パソコン、衣類など持てるだけもって出て行くため、泥棒呼ばわりされる。
十分な圧力をかけて、追い出すことができなかったものは、占拠されたものに家を取り上げられてしまう。
シーア派に迫害されたスンニ派が何の罪もないスンニ派に危害を加える。スンニ派だったらスンニ派の味方で、スンニ派のミリシアを支持しているとみなしてはイラクの実情を正しく把握することはできない。
シーア派地区でも同様のことがシーア派同士の間で起きトラブルになっている。
Posted by abir at 00:13 │Comments(0) │TrackBack(0) │イラク