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(Photo: John Moore / Getty Images)写真コメント:「2007年5月29日:メアリー・マクヒューは亡くなった婚約者ジェイムズ・リーガンを追悼。特殊部隊所属のリーガン三等軍曹は2007年2月にイラクでIEDの爆発により殺害された。前年のメモリアル・デイ以来、イラクで戦死した兵士の墓は1,000人分ほど増加している。」
05/30/2007
メモリアル・デイ:自問する米軍兵士たち
http://hiddennews.cocolog-nifty.com/gloomynews/2007/05/post_64f7.html#more
戦没将兵記念日(メモリアル・デイ)となる5月28日、全米各地で様々な戦没者追悼行事が行われた。
統合参謀本部議長ピーター・ペース大将はCBS放送に出演し、「9/11テロでは米国人3,000人以上が殺されました。それ以来、自ら犠牲となって戦死した人数はそれを超えようとしています。」と発言した。ペース大将は9ヶ月ほど前にもCNNの取材で同じようなことを言っている:「9/11テロから5年が過ぎようとしています。わが軍の兵士で自ら命を捧げた人数はテロで殺された人数に迫ろうとしています。」
実際、イラク・アフガニスタン両戦地での戦死者数は2006年9月の時点で9/11テロ犠牲者数を越えていた。ピーター・ペース大将がCBS放送に出演していた時点で、9/11テロの犠牲者数は2,996人、米軍兵士戦死者数は少なくとも3,452人だった。戦死者が日毎に増えている事実を米国民に知って欲しくなかったペース大将が、意図的に視聴者をミスリードしたのかどうかは定かでないが、戦争犠牲者への無関心が拡大しているのは事実だ。イラク国民の犠牲者数については、もはや推定数でさえ滅多に報道されなくなった。
戦死者の増加に対する懸念を抑えるために、国防総省は報道規定を以前よりさらに厳格化した。戦死した兵士の名前や顔写真、経歴や従軍事情を記事にするためには、書状による同意書を前もって当人と交わすことが必要になった。戦闘任務に出動する直前に、従軍記者は兵士達に「死んだら記事にしていいか?」と同意書を取り出すわけだ。駐留軍兵士にとって、ジャーナリストは死のメッセンジャーに見えることだろう。
そうした米政府の“戦争情報最小化”努力により、戦地の兵士が伝える苦悩の言葉はメディアの片隅に追いやられているが、今回はハーバード大学のジャーナリズム支援組織『ニーマン報道基金』の公式サイト上に掲載された駐留軍兵士の寄稿文を以下に翻訳して掲載。(文中リンクは訳者による)
兵士は絶望的に自問する:我々はなぜここに居る?
by ドナルド・ハドソン・JR
バグダッド、5月12日:---私の名前はドナルド・ハドソン・ジュニアといいます。実戦部隊に所属して3年になります。私がバグダッドのロイアルティ前線基地に駐留してから4ヶ月半が経過しています。
私がこの地に派遣されたのは、いわゆる“兵力増派”の第一弾によるものですが、今のところ反乱勢力の暴動鎮圧には何の効果もありません。スンニ派とシーア派の暴力の台頭をずっと目の当たりにしてきました。この国は7世紀以来続く内戦の真っ只中にあるのです。
この国は現在でも我々の駐留を求めていないのに、なぜ我々はここに居るのでしょう?なぜ我が国の大統領は個人的課題に没頭し、実際の戦地で何が起きているのか留意しないのでしょうか?
或る出来事の話をさせてください。5月10日、市場から合同保安基地に防壁を移動する車列の護衛任務に私は就いていました。いつもの夜と何も変わらない状況でしたが、今回は私の車列で簡易爆発物(IED)が爆発し、トラック一台の装甲に穴を開けました。たちまちトラックは炎につつまれ、運転手は制御を失いトラックは通りに面した建物に突っ込みました。私は車列の先頭車両を運転していて、爆破された車輌は6台のうち5台目の車輌でした。無線で聞けたのは、6台目の車輌に乗る戦友の叫ぶ声で、5台目の車輌の火災が酷く消火器が足りないということでした。私は車輌の向きを変えて、コンクリート防護壁を通り過ぎ、急いで燃えている車輌に向かいました。現場まで30メートルの場所に停止し、運転席から降りて消火器を取り出し、燃えるトラックまで走って行きました。トラックに向かう途中で何か叫んでいる戦友とすれ違いましたが、聞こえませんでした。運転席のドアを開けると、即座に炎があふれました。ドアの中に向けて消火器を噴出すると、ルームメイトの足が見えました。彼はそのトラックに乗って射撃手をしていたのです。運転席の向こうに転がる足には火が燃え移っており、一方で友人の体はトラック奥にありました。消火器が尽きたので、トラックの中に乗り込み彼を助け出そうとしました。後部座席にある友人の頭までたどり着き、彼の肩を掴んで運転席から引っぱり出そうとしました。友人の頭を先にしてようやくトラックから引っ張り出しました。彼の顔は焼けただれ、足も酷く負傷していました。彼を担架に乗せて救命に最大限尽くしました。彼が息を吸おうとしているのがわかりました。まだ脈があり、呼吸していましたが、応答がありません。彼をトラックに乗せて“グリーン・ゾーン”に急ぎましたが、一時間後に死亡しました。彼の名前はマイケル・K・フランク。36歳でした。大切な友人であり、私達のような若い兵士達にとって良き相談相手でした。
今も私はこの地に居て、部屋に残された友人の遺品を拾い上げながら、なぜこうなったのか考えています。我々がここに居る本当の理由は何なのか?ただ知りたいのです。この国は我が国にとって脅威ではないのです。自国のことすら気にしない国家のために、なぜ我々は善良な人々の命を無駄にせねばならないのでしょうか?周りの戦友はほとんどが私の見方に賛同していますが、勇気がなくて何も言えないのです。
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ドナルド・C・ハドソン・ジュニア初等兵は第1旅団特別大隊、第1旅団戦闘部隊、第82空挺師団に所属。(詳細LINK)