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(回答先: フランス大統領選が露呈したグローバル化の現実(ビデオニュース・ドットコム) 投稿者 近藤勇 日時 2007 年 5 月 20 日 15:41:18)
2007.5.9
第11回 戦後体制からの脱却にひそむジレンマ
http://kayano.yomone.jp/
戦後体制からの脱却ということが政府与党からよく言われるようになった。教育基本法が改正されたのも、憲法が改正されようとしているのも、まさにこの目的のもとでだ。
戦後体制とはそもそもなんだろうか。戦後体制とは、そこからの脱却をめざす政治家たちがいうように、第二次世界大戦の戦勝国(連合国)が敗戦国を―二度と暴走して戦争をしかけてこないように―管理するためにつくられた体制である。連合国側の主要国が国連の安保理常任理事国になったのはその具体的なあらわれだ。日本についていえば、国家機構が脱軍事化され民主化され、それが憲法に書きこまれた。
これをもうすこし構造的な観点からとらえるとどうなるだろうか。
連合国側が管理しようとしたのはファシズム国家である。ファシズムとはなにか、ということがここで重要になってくる。ファシズムは、恐慌という資本主義の危機をまえに、革命がおこらないように国内の治安を強化しながら、戦争経済によってその危機をのりこえようとした。
資本主義にとって戦争とは、たんに資源や市場、あるいは覇権を暴力によって獲得するためだけのものではない。戦争そのものが資本の形成にとってのモーターとなるからだ。ちょうど朝鮮戦争が、敗戦によって疲弊した日本の資本主義を好転させたように、である。戦争は最新のテクノロジーを集約しながら兵器製造をはじめとするさまざまな産業をおこし、人びとを動員し、そして破壊と建設をくりかえす。これによって資本蓄積の運動が効率化されるのである。「戦争は明らかに資本主義と同じ運動を行っている」とドゥルーズ=ガタリは述べている(『千のプラトー』)。戦争は、資本主義を効率的に動かすための、いわば特殊な公共事業なのだ。
ファシズムはこうした戦争の働きを、国民を総動員する全面戦争の形態をつくりあげることで、極限までおしすすめた。戦後体制がファシズムを管理するためにつくられたということは、だから、戦争によって資本主義を活性化していくというやり方を戦後体制がコントロールしようとしたということにほかならない。
ただし注意しなくてはならない。資本形成のために戦争をもちいることに戦後体制が一定の歯止めをかけようとしたとはいえ、だからといって戦後体制は戦争経済そのものを捨てようとしたわけではない。というのも、ファシズムの時代をへて、戦争経済は資本主義の進展にふかくくみこまれるようになっていたからだ。じじつ、アメリカもまた恐慌をのりきるためにニューディール政策だけでなく戦争経済を必要とした。つまり戦後体制は、戦争経済によって資本蓄積を効率化していくというフレームそのものはファシズムから継承したのである。戦後体制がめざしたのは、戦争経済そのものの放棄ではなく、戦争経済を全面戦争から切りはなすことだった。そうした切りはなしとして、戦後体制によるファシズムの管理はあったのである。
戦後体制において、そうした〈全面戦争なき戦争経済〉を体現したのは冷戦である。冷戦とはまさに、実際の戦闘行為がなくても戦時体制が創出されつづけるという特殊な戦争にほかならない。冷戦においては、アメリカとソ連をそれぞれの盟主とする東西対立によって過剰な軍拡がおしすすめられ、それが資本蓄積の運動を牽引した。その過剰軍備をつうじて、「軍事、産業、金融等のテクノロジーのたがいに連続する複合体」(ドゥルーズ=ガタリ『千のプラトー』)がつくられた。
しかし冷戦も終結する。では冷戦の終結とともに戦争経済を土台とした資本主義のあり方も消えていったのかといえば、まったくそんなことはない。冷戦後、今度は「テロとの戦い」が戦争経済を担うようになったからだ。
「テロとの戦い」においては、日常における「見えない敵」がその対象となり、戦時と平時の区別は意味をなくす。つまりそこでは「軍事、産業、金融等のテクノロジーのたがいに連続する複合体」は日常的なレベルにまでみずからの活動の場を広げるようになるのだ。日常的な「見えない敵」に対処するために、最新のテクノロジーをつかったさまざまなインフラや法制度が整備される。現在、アメリカのイニシアチブのもと日本ですすめられている新しい入国情報管理システムの構築もそのひとつだ。
戦後体制はこれまで、旧ファシズム国家である日本が戦争経済をつうじた資本蓄積の運動に全面的にコミットすることを許してこなかった。戦後体制からの脱却というスローガンはまさに、「テロとの戦い」という状況のなか、そうした戦後体制の足かせをとっぱらうことをめざしている。
とはいえ対外的なレベルで戦後体制から脱却することは容易ではない。安保理の常任理事国入りは、国際的なレベルで日本が戦後体制から脱却するためのもっとも大きな契機のひとつだが、それは日本が期待するほど簡単ではないことがこの間露呈した。また、戦後体制からの脱却をみずからの政権の中心課題とする安倍首相ですら、すくなくとも公の場ではサンフランシスコ講和条約を認めることで、みずからの政権の正当性を示さなくてはならなかった。そして今度は慰安婦問題をめぐるアメリカ議会内でのバッシングだ。そこに込められているのは、日本は依然として戦後体制の管理下におかれているのだ、というアメリカからのメッセージにほかならない。
対外的なレベルでは困難をきわめる以上、戦後体制からの脱却は国内的なレベルで追求されるほかない。目下の問題はまさにここにある。対外的なレベルで行き詰まっている分、その埋め合わせとして国内的な締めつけが厳しくなっているのだ。戦後体制からの脱却という目論見は戦後民主主義への攻撃に置きかえられ、その攻撃は対外的な行き詰まりに比例して、よりヒステリー化している。そして、戦争経済との相同物を実現するために、ますます人びとを酷使するような労働体制がつくられようとしているのである。
第1回 変貌する国家
http://blog.yomone.jp/kayano/2006/11/post_b0f1.html