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http://onuma.cocolog-nifty.com/blog1/2007/04/post_8dec.html から転載。
2007-04-24
〔イラクから〕 あの女性ジャーナリストの死
バグダッド発の米紙特電が、米政府が運営する「ラジオ自由ヨーロッパ」で働いていたイラク人女性ジャーナリスト、ハマエル・ムーセンさん(54歳)の死を伝えた。
夫のサディクさんから取材して、彼女の生と死を報じた。
ハマエルさんはサダム・フセインの時代、テレビのニュースキャスターをしていた、バグダッドの有名人。
夫婦はともにシーア派ながら、バグダッド西部のスンニ過激派支配地域に暮らしていた。
夫のサディクさんは家を引き払って、ここを出ていこうと言ったが、ハマエルさんは聞かなかった。彼女が何者かに拉致された4月3日朝も、「臆病者、まだ寝てるの? どこかデートに連れ出してよ」と言って、職場に向かった。
家で彼女の電話を待ったが、かかって来なかった。代わりに、彼女の兄弟から電話があった。「アルカイダを名乗る男から、電話があった」と。
その「アルカイダ」の男は言った。「ハマエルは頂いた。彼女がどこで働いていたか、言ってみな」
そう聞かされ、彼女は殺されたと、サディクさんは直感した。
警察に通報すると、その日のうちに道端のゴミ捨て場で、死体で見つかった。遺体の回収は翌日に持ち越された。収容作業の安全を確保するためだった。
頭を撃ち抜かれていた。左目だけが開いていた。
翌日、夫はモスクでの葬儀と埋葬のため、妻の遺体を洗った。
頑固な女性だった。出会いは91年の湾岸戦争時。空襲下、エンコしていた彼女の車を直してあげた。その後、花屋で偶然、再会。結婚して2女をもうけた。母親が殺されたとき、娘2人はシリアの親類にいた。危険を避け、疎開していた。
勇敢な女性だった。家に爆弾が仕掛けられても、仕事に出かけた。銃撃戦に巻き込まれても、車の陰に隠れて現場に踏みとどまり、テレコで録音した。
夫が「あやうく自動車爆弾を免れた」と言うと、「すぐ家に戻って来て」。心配してくれているのだな、と思って帰宅したら、彼女の取材が待っていた。
そんな妻の生と死の物語を、夫は米紙連合(マックラッキー新聞連合)のバグダッド特派員に、市内のホテルで語った。
夫は「妻はこういう物語を書きたかったと思う」と言った。「そして、いま彼女の物語は物語られた」と。
記事の結びはこうだった。
「そこで彼は口を噤んだ。もはや言葉は何も残されていなかった……」
米軍のイラク侵攻以来、犠牲になったジャナーリストは、イラク人を中心に、少なくとも「158」人。ハマエルさんは、そんな「統計」のひとりだ。
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http://www.realcities.com/mld/krwashington/17116804.htm
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米軍が要塞化して「政府」とともに立て篭もる「グリーゾーン」(安全地帯)の外、バグダッド市内の現場に踏みとどまり、命がけで取材・報道を続ける英紙インデイペンデント特派員のイラク・ルポ。「占領」の真実とは何か?……
四六判、372頁。定価2800円+税。