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Gangs of Iraq
http://www.pbs.org/wgbh/pages/frontline/gangsofiraq/
http://www.pbs.org/weta/crossroads/about/show_gangs_of_iraq.html
Adhamiyah (VIDEO 6:09)
http://www.pbs.org/wgbh/pages/frontline/gangsofiraq/view/extra2.html
僕はずっとアザミーヤで育ってきた。
僕の家族は、ずっとここで暮らしてきたんだ。
両親も祖父母も曽祖父母も皆ここに住んできたんだ。
僕達にはアザミアしかない。
しかしここに住むのは難しくなってきた。
綺麗な水、綺麗な通りという当たり前のものが欠けてるんだ。
ここ二年間も、ゴミ収集車なんて見たことがない。
戦争前には、アザミーヤは夜でも賑わってたんだ。
灯りは朝まで一晩中絶えなかったんだ。
バグダッドでも最も美しい街の一つだったんだ。
24時間開いているカフェやレストラン。
でもアザミーヤは変わってしまった。
暗い場所になってしまった。
米軍がやって来て、カフェを無理矢理閉鎖してしまったんだ。
僕達は自分達で自分の街を守り始めたんだ。
夜には自警団が立つんだ。
暗くなってから僕達を守ってくれるんだ。
自前の武器でどんなよそ者も攻撃するんだ。
アザミーヤは東バグダッド最後のスンニ派の拠点の一つだ。
周囲はシーア派とシーア派の民兵に囲まれてる。
マハディ軍は夜やって来るんだ。
奴らは家の中から人々をさらって行くんだ。
そして朝にはその遺体が通りに転がってる。
朝学校に向かう子供達のすぐ傍に。
僕達は歩いて地区を回る。
マハディ軍の検問所がある。
僕達はまるで大きな監獄に入れられてるようだ。
何もかも変わってしまった。
近所にはシーア派の人達もかつては一緒に住んでたんだ。
でも彼らは追い出されてしまった。
シーア派の人達が追い出された後、
戻って来れないようにと武装勢力が彼らの家を焼いたんだ。
去年、事態はとてもひどくなった。
特に、サマラの後で。
今は、迫撃砲攻撃を受けてる。
「階段を降りていたら、突然、迫撃砲弾が着弾したんだ。
僕は落っこちて、気絶したんだ。
何が起きたのか分からなかった。
神が私の仇を討って下さる。
神が私の仇を討って下さる。
神の御意思で復讐を遂げる」
時には、シーア派地区の友人や親戚から警告を受ける。
迫撃砲を撃つ準備をしていると電話してきてくれるんだ。
すると数分後には、迫撃砲の爆発が聞こえてくる。
数か月前、僕の叔母の家に着弾したんだ。
幸いなことに、家はまだ建ってるけどね。
日に日に事態は悪くなってる。
アメリカは何もしないし、イラク政府は完全に派閥主義だ。
去年の車爆弾の時のことは覚えてる。
負傷者を病院に運ぼうとしたんだ。
そしたら、イラク軍が辺り構わず撃ち始めたんだ。
奴らは、お前らなんか皆死んじまえと叫んでた。
奴らは皆シーア派さ。
たったの一人もスンニ派の兵士はいない。
病院には医薬品が足りない。
保健省はシーア派の民兵が取り仕切ってて、
供給しないんだ。
強い怒りと深い哀しみ
家族を誰か失ってない家族なんて僕は知らない。
最近は、アザミーヤでは、モスクと墓地が最も慌しい場所さ。
「彼は八月三日に誘拐され、八月八日に遺体を取り戻しました」
<誰が連れて行ったんですか>
「マハディ軍だと言われてるけど、私には分からない」
ここは特別な場所だ。
民兵に殺された殉教者だけが与えられる場所だ。
「出かけた時、検問所で止められたんだ。
マハディ軍の。
緑色のヘッドバンドをした奴らだ。
後ろから心臓を撃ったんだ。
即死だった」
「私を替わりに殺せば良かったのに」
行方不明の人の名前と写真があらゆる通りの壁に貼ってある。
アザミーヤに来たら、嫌でも目につくさ。
アザミーヤは、とても哀しい街になってしまった。
でも哀しみはアザミーヤだけじゃない。
イラクじゅう、どこでもがそうさ。