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□アジズ副首相の主任弁護士にインタビュー [イラク情勢ニュース]
▽アジズ副首相の主任弁護士にインタビュー (1)
http://www.freeml.com/message/organizer-news@freeml.com/0001598;jsessionid=3eb1ycgca3
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2007/04/18 (水)
[飛耳長目録 today's news list]
☆アジズ副首相の主任弁護士にインタビュー (1)
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☆★ダマスカスにてアジズ副首相の主任弁護士にインタビュー
Interview of Badie Arief Izzat on 12 April 2007 in Damascus, Syria
ダール・ジャマイルの中東速報 2007年4月17日付
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Dahr Jamail's MidEast Dispatches
http://www.dahrjamailiraq.com/
http://dahrjamailiraq.com/weblog/archives/interviews/000569.php
Interview of Badie Arief Izzat on 12 April 2007 in Damascus, Syria
ダマスカスにて4月12日、バディー・アライエフ・イザトにインタビュー
イザトはタリク・アジズ元副首相の弁護士であり、現在はアンファル裁判(1
988年にハラブジャでクルド人をガス攻撃した件)の被告側主任弁護士である
。彼は1988年のハラブジャにおけるクルド人へのガス攻撃はサダム・フセイ
ン政権ではなくイランによるものだとしてイランを非難したことから、イラク人
判事から法廷で脅迫されたあと、最近になって米軍によりイラクから追放された
。
1963年にバグダッド大学を卒業したイザトは情報省の副大臣を務め、イラ
クの政権と対立したあと1972年に辞任して個人で事業を立ち上げた。彼の見
解は、「情報省はイラク国民の見解よりバース党の見解を代弁していたというの
が辞任の理由だ。私はバース党員だったが、1969年に離党した。理由はイラ
クの重要問題で見解が異なったからだ」というものである。
彼のことでアルジャジーラに書いた記事(英文)は次のURLでご覧あれ。
http://www.dahrjamailiraq.com/hard_news/archives/iraq/000568.php#more
以下は彼へのインタビュー全文であり、あわせて読んでいただきたい。
ダール・ジャマイル: なぜ前政権の人々を弁護するのですか?
イザト: なぜ私は前政権の人々を弁護する立場を選んだか? これ(フセイ
ン追放/訳注)がクーデターか国内的な政権交替だったら、おそらく私はこの仕
事に就かなかったでしょう。前政権のシンボル的な存在の人々を弁護することは
ありません。しかし前政権は占領軍によって、つまり外国の権力によって転覆さ
れたのです。それは正しいことではなく、前政権を代表する人々を弁護するのは
私の義務だと感じたからです。
実際、私は強い義務感から拘束された15人の法的代理人を努めています。そ
れは最も多い数だと思いますが、私はこの仕事になんの報酬も求めていません。
ダール・ジャマイル: この裁判での仕事はどんな具合でしたか?
イザト弁護士: 尋問に立ち会ったとき、尋問者(判事)は法律以上に政治に
時間を割いて初めから私をとまどわせたのですが、そのことは私がなぜ法律と同
じように政治に時間を割くのかを説明するものです。
私がタリク・アジズの弁護を開始したときから問題が生じました。彼は副首相
であり政府内で最も地位の高いクリスチャンであり、前政権の機密事項にも多く
通じていることで知られています。そのために現政府は、私がタリク・アジズを
弁護するのがひじょうに気にくわない。彼らが私を黙らせようとし、あるいは国
外に追放しようとする理由がそこにあります。
私は二重の意味で危険な状況に置かれました。生活は民兵から脅かされ、彼ら
は宗教勢力であり前政権に反対してました。そして同時に、私はイラクの内外で
裁判の欠陥を公の前に暴露する人々の一員と見なされて、法廷も私を排除しよう
としました。
私の直接体験では民兵と3度の関わりがありました。私の事務所が焼き払われ
ました。私の子どもも誘拐されました。私の助手の1人は暗殺されました。こん
なことをした民兵にはイランの支援があるものと考えています。誘拐された私の
子どもたちは多くの援助があって救出できました。彼らを安全に連れ出すことは
、即座に最優先で対処されるべき問題でした。家族は脅迫を受けていたので、私
は家族を(国外に)連れ出したのです。
法廷に関しては、まさに初めから、法廷が私の一挙手一投足に注目しているこ
とに気をつけてきました。彼らは私を規制しようとして法廷では私を無視し、私
を弁護団メンバーから排除したがっていました。
ダール・ジャマイル: この裁判が不公正だと感じはじめたのはいつですか?
イザト弁護士: 最初の出来事は5〜6ヶ月前に起こりました。法廷の審理中
に、私が検察官を「博学なる友」(弁護士間で呼びかける敬称)と呼んだのです
。すると法廷は大騒ぎして、判事がそう呼んではいけない、「検察官殿だ」と言
いました。これが原因で判事は私を24時間の拘束処分にしたのです。
これは明らかにアメリカ人を狼狽させました。彼らはまずいと悟り、私を拘束
して2〜3時間後には私を連れだして、「グリーン・ゾーン」内にある安全な施
設に移しました。アメリカ人が私を釈放しないと妨害になると判事を説得して、
私は釈放されることになりました。
ダール・ジャマイル: 現在シリアに滞在するようになった原因として、最近
何があったか説明していただけますか?
イザト弁護士: 15日ほど前、私が出廷して、ある問題について言うべきこ
とがある、と発言しました。私より先に手を挙げた弁護士もいて、彼らの方に優
先権がありました。しかし判事がすぐに私に発言を促したのは、特別の意図を持
っていたからだと思います。判事が階上の傍聴席を見つめるときは、そこにマリ
キ首相その他の政府高官がいるという意味です。それで私が手を挙げると判事が
階上を見上げて、(彼は私の発言を優先したいのだなと思いました)、私にどう
対処するか、あるいはペナルティーを科すかを判事は彼らにはかることができた
わけです。その角度は判事からはガラス超しに見えるものの、私たち弁護士から
は見えません。
私は法廷にこう陳述しました−−法廷とイラク政府はアンファル作戦でクルド
人に化学兵器を使ったのはイラクだという方針に沿ってすすめてきたが、私はCD
収録の証拠書類を持っていて、そこにはシアン系ガスを使ったのはイラクではな
くイランであることが示されているし、この書類はアメリカ人がみずから作成し
たものである、と。そう述べた時点で判事は機嫌を損ねて私に怒鳴りはじめ、私
がイランと親しくしていないとか、イランは決して化学兵器を使ってないと主張
しました。彼は弁護席を指さして、「ハラブジャでクルド人に化学兵器を使った
連中だ」とも言いました。彼があまりにも怒り平常心を失っていたので、判事は
イランに行ったことを覚えておくようにと誰かが言っていた(3月1日のこと)
のを思い出しました。それで私は判事がこれほど怒り出すのはそのせいだなと思
ったわけです。
法の支配のもとでは、判事というのはどちらか一方に肩入れしてはならず、そ
れは犯罪とみなされます。イランは(少なくとも私たちの目には)今回の事件の
被疑者であるのに、彼はイランに行ってイラン政府の賓客として待遇されていま
した。私は彼がイラクからイランに旅行するのを見ていた人々と3月1日に会っ
たのです。そのとき、判事は政府高官たちがいる上階を見上げて、こう言いまし
た−−「何ヶ月か前、あなたがこの法廷を司法の法廷ではなく殺人法廷だと非難
したことを思い出しました。これは法廷への侮辱であり、犯罪手続き第232条
に照らして、あなたは禁固7年とされる法廷侮辱罪を犯している。したがって、
まずあなたを拘束し、ついで同容疑で告発する。4日間の投獄が開始される」。
この時点で、私は廷吏と警官によって法廷から引きずり出されました。手錠を
かけられ、被告のために弁護士としての仕事を遂行することが妨害されました。
この時の被告は元・東部イラク情報局長ファルハン・アル・ジュブーリでした。
これは法廷に訴えるにはきわめて危なっかしい一歩です。この男、つまり判事
は、法廷の外で3〜4ヶ月に私がしでかした容疑とやらで告発しました。彼は裁
判官としての権力を乱用してこの問題で私を告発し、被告を弁護する権利を私か
ら奪いました。これは明らかにあらゆる裁判規則に違反し、イラクの法律に違反
し、裁判と司法と公正さに関するあらゆる協定に違反しています。法律機関と人
権団体あるいは諸国政府のどれ一つとしてこれに・反対の素振りも見せなかった
ことに私は当惑し驚きました。それで私は自分のやり方にまかせたのです。
ダール・ジャマイル: それでどうなりましたか?
(つづく)
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▽アジズ副首相の主任弁護士にインタビュー (2)
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2007/04/20 (金)
[飛耳長目録 today's news list]
☆アジズ副首相の主任弁護士にインタビュー (2)
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☆★ダマスカスにてアジズ副首相の主任弁護士にインタビュー
Interview of Badie Arief Izzat on 12 April 2007 in Damascus, Syria
ダール・ジャマイルの中東速報 2007年4月17日
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Dahr Jamail's MidEast Dispatches
http://www.dahrjamailiraq.com/
http://dahrjamailiraq.com/weblog/archives/interviews/000569.php
Interview of Badie Arief Izzat on 12 April 2007 in Damascus, Syria
ダマスカスにて4月12日、バディー・アライエフ・イザトにインタビュー
(前回から続く)
ダール・ジャマイル: それでどうなりましたか?
イザト弁護士: そのときアメリカ兵がすぐにやってきて私を取り囲みました
が、アメリカ人は判事の態度にひどく怒り当惑しているように見えました。なぜ
なら、これはカメラが向けられている前でなされ、司法がアメリカによって監督
されていることが判るからです。この法廷を設置したアメリカ人は明らかに面食
らっていて、彼らはイラク人に法の支配と透明性を確保すると宣言しました。そ
の日のうちに私は逮捕された弁護士になりましたが、こんなことはサダム・フセ
インのもとでさえありえないことでした。
イラク人とアメリカ人のあいだにちょっとしたやりとりがあり、アメリカ人が
私の身柄を預かりました。私が全面的かつ絶対的に占領に反対しており、またそ
うし続けるという事実にもかかわらず、個人的には、イラク人の手に渡されると
殺されるところだった私の家族を救ってくれた個別のアメリカ人には感謝してい
ます。
これはアシュトン氏ならびにトンプソン少佐の監督のもとにすすめられました
。アシーはこの件を担当した責任者です。2人はイラクの兵士とイラク軍とのあ
いだで交渉を開始しましたが、この交渉はよほどハイレベルのものだったと私は
受けとめています。交渉は両国政府レベルにまで行き、彼らは米軍とイラク政府
の衝突を望んでなかったので、マリキ首相が加わるほどだったと聞かされました
。
私はイラク国内のテロリストを裁く特別法廷に出廷するところでした。もしそ
うなれば私がイラクのテロリストと一緒に拘留されることは明らかで、私たちは
(同様のことを)前にも経験しました。つまり受刑者の1人が私を刺して、彼と
私の間に政治的見解の相違があったなど言い訳することができるわけです。この
(可能性をほのめかす)警告は好意的な関係を持っていた幾人かのアメリカ人か
ら伝えられました。彼らは事態がそのまま進展すればありうることだと言ってい
ました。
その可能性についてアメリカ人が表明した想定はより現実的だといえるかもし
れない−−というのが公式見解ではないものの個人的な見解でした。しかし私は
、今回の拘留事件をめぐって、イラク政府とアメリカ政府のあいだに多くの相違
があったと確信しています。イラク政府と論争したのは米国政府とイラク駐留米
軍だったと理解しています。
ダール・ジャマイル:米軍の対応はどうでしたか?
イザト弁護士: トンプソン少佐は駐イラク米国大使と法廷との連絡係です。
アシュトン氏はイラク駐留米軍司令部の代理人です。彼らはとても温厚で礼儀正
しく、最善の有効な手だてを尽くしてくれたので、私はイラク人の手にゆだねら
れることはありませんでした。彼らが法廷で決着した妥協は、私をグリーン・ゾ
ーン内にある安全な家、アメリカ人が使っていた家の一つに連れて行くというも
のです。私と4人のイラク兵をウクライナ兵が監視し、私は彼らに拘束されては
いましたが、実際にはアメリカ人の監督下に置かれました。
私は4日間その家に滞在するという提案を受け入れるべきだと確信しました。
それは拘留施設ではなく、その時点では私たちにできる最良の解決策です。彼ら
は私を監視するし、私にとっては良い設備と施設で快適なものでした。そこで過
ごすあいだ、イラク兵たちが私に信仰とシスタニの根本主義について、そしてさ
まざまな宗教指導者について話しかけ、それをめぐって少し議論もしました。ま
た、私がテレビ・ニュースを見たいのに、彼らはポルノ映画を見たがるので、「
君たちのその宗教心はなんだ、こんな映画を見ているのか?」と言ってやりまし
た。私と警備兵のあいだに摩擦が生じました。そこで私は、「まぁいい。誰もが
それぞれの宗教を持つことができる。しかし国を治めるには世俗的な(政教分離
の)システムが必要であり、宗教だけではない」と言ったところ、彼らはひじょ
うに不満そうでした。
2日目になると、なぜ私は拘留されているのかと腑に落ちず、ひじょうに腹立
たしくなってきました。つまり、私は自分の国にいて、自分の仕事をし、礼儀正
しい人間であるのに、終日、理由もなく勾留されている。そう考えると腹が立っ
て、ハンガーストに入ることにしました。これにはアメリカ人はたいそう気を遣
い、私の健康をチェックするために日に3度も医者がやってきました。実際、私
の血圧はひじょうに高くなっていました。
2日目には別の事件も起こりました。幾人かの訪問者がイラク人警察に会いに
来て、アメリカ人はひじょうに怒りだしました。アメリカ人は警備を増やし、屋
根には狙撃兵を配置し、イラク人警察からすべての携帯電話をとりあげました。
彼らは電話で人を呼んでいたのです。私が「放っといていい、気にすることはな
い」と言うと、アメリカ人の返事は、「だめだ。お前を殺す人間を呼んでいるん
だぞ」というものでした。
こうした状況が4日間続きました。アメリカ人が少しは自由にさせてくれたの
で、私は家のそばにある庭で体操もできました。
3日目には少佐が米軍の特殊部隊を連れてきて、彼らは夜通し滞在しまいた。
彼らは明日には何かが起こるだろうから備えておくようにと言うのです。「明日
は何かが起こるだろうから貴方を守るようにと上層部から説明を受けており、私
たちが貴方の警護にあたる」ということでした。
ダール・ジャマイル: どのようにしてイラクから連れ出されたか話してくだ
さい。
(つづく)
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▽アジズ副首相の主任弁護士にインタビュー (3)
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2007/04/20 (金)
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☆アジズ副首相の主任弁護士にインタビュー (3)
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☆★ダマスカスにてアジズ副首相の主任弁護士にインタビュー
Interview of Badie Arief Izzat on 12 April 2007 in Damascus, Syria
ダール・ジャマイルの中東速報 2007年4月17日
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Interview of Badie Arief Izzat on 12 April 2007 in Damascus, Syria
ダマスカスにて4月12日、バディー・アライフ・イザトにインタビュー
(前回より続く)
ダール・ジャマイル: どのようにしてイラクから連れ出されたか話してくだ
さい。
イザト弁護士: 4日目、奇妙なことにイラク兵は全員が眠っていました。ア
メリカ人が私を起こして装甲車その他の車両部隊に連れていき、私はそのまま普
段は弁護団が法廷に入るさいに集まる一角に連れていかれました。私を逮捕し監
視していたイラク兵が全員眠っているなかで、その家を離れるのは奇妙なことで
した。彼らが薬を飲まされていたかどかは判りません。
アメリカ人が没収していた私の所持品を返し、携帯電話で外部の者と話しては
いけないと指示されました。アメリカ人は事態をエスカレートさせたくないので
、穏便にすませたいのだと説明しました。
その時、私は別の収容所(クーパー基地)に拘留されていた私の依頼人(被告
)と会うことは許されませんでした。彼らと会えないので、私はハンガーストを
続けることにしました。体調は悪化し、アメリカ人から定期的に健康チェックを
受けていました。私は治療を受けるためにドイツに行くよう明言された心臓病の
診断書を持っていて、そうしないと生命が危ないというものです。
アメリカ人の1人から、判事のもとに出頭して彼に謝罪する意思があるか、と
尋ねられました。私は逆に「何のために?」と聞き返しました。「彼らこそ私に
謝る」べきだろう。私は何も間違ったことはしていない。この件では私は誰にも
謝るつもりはない」と。
9日前、私をテロ容疑で裁きたがっている高等判事と話した、とアメリカ人が
知らせてくれました。アメリカ人は、もし尋問のために私を法廷に連れ出しても
、判事は逮捕・拘束・起訴しないと保証するかと質問しました。彼は保証すると
答えました。だがアメリカ人がそれを文書で回答するよう求めても、彼は文書に
するのを拒否しました。それで彼らは戻ってきて、保証するというのは本当では
ないと判断したのです。その後、アメリカ人たちが私のところに来て、いつでも
イラクから連れ出すつもりだから、その準備をしておくように告げました。私は
、国外に出るのは問題の解決ではないと言って、それを断りました。しかし彼ら
は、「だめだ。われわれは君を連れ出す。君は国外に出て、われわれが解決策を
見つけるまで待つように」と言いました。
午前8時、米軍装甲車と色ガラスの車両が私を乗せ、荷物と一緒にひじょうに
大きな車列を作って空港に向かった。安全上の理由から、状況をかんがみて、私
は一番初めまたは最後の客として機内に移動することになると告げられた。
私は最初に飛行機に乗ったので、他の客が乗るまで約1時間1人で待たされ、
飛行機は予定より少なくとも2時間遅れて離陸した。一般の旅客便だった。he
lpできなかったが、私が大勢のアメリカ人にエスコートされていることに、イ
ラク兵が極端に苛(いら)だっているのが見てとれた。私が彼らの手に渡される
ことなく、イラクから連れ出されることを彼らはresentingしているのだった。彼
らはアメリカ人が事態をコントロールしていることを悔しがった。
私個人としては、アシュトンとトンプソンがそのように私を扱ってくれたこと
に感謝している。しかし、それは私が占領に反対しており、(今後も)反対し続
けるという構図を変えるものではない。
ダール・ジャマイル: この件に関して国際社会へのメッセージをどうぞ?
イザト弁護士: ブッシュ大統領とブレア首相に、私がイラクに戻って被告を
弁護できるよう保証するよう呼びかけたい。そうしなければ、これまで彼らが自
由と民主主義、透明性、法の支配について発表してきた声明は、彼らのみならず
アメリカ国民をも恥ずかしめるものになるでしょう。
私は今、仕事を続けるために帰国することが許されるよう行動が起こされるの
を待っています。しかしイラク政府によって安全が保証されることを強く望みま
す。
アメリカ人とイラク人のあいだには明らかに亀裂があります。そうであるにも
かかわらず、これらのイラク人がアメリカ人の手先であること、すなわちアメリ
カ人が彼らを権力の座につけたり任命したり、彼らに力を与えていることは、私
の目にはひじょうに明らかな事実です。裁判長判事アル・オライビはテレビで公
然と言い放ちました。「このたび告発されたバディー・アライフ(イザト弁護士
)はどこだ? 彼はどこに逃げようとしているのか? アメリカ人は彼を保護す
ることも助けることもできないだろう」。
アメリカ人をイラク人より文明的であるようにみなし、アメリカ人がイラク人
より高等であるかのようにみなし始めたのは、アメリカがイラクに連れてきた者
たちだったことは本当です。これらの人々はほんとうに恥なのです。
事実、オライビ判事はテレビ放送で公然と、私がアメリカ人の友人だと言いま
した。彼こそが(イラク侵攻のさい)アメリカ人に連れてこられた人物の1人で
あるという事実にもかかわらず、彼はそう言ったのです。これを聞いたアメリカ
人たちは彼こそイラン人のような口調だとぷりぷりしていました。
「彼(イザト弁護士/訳者注)の友人であるアメリカ人は彼を助けないだろう
」という判事の明言は信用できません。
私が安全にイラクに戻れるよう、そして依頼人の弁護にあたるたえに仕事を続
けることができるようにしてほしい、と、私はあらゆる国のあらゆる人に訴えま
す。これらの被告が合法的に弁護を受けられないのは、まさしく不公正なことで
す。
私は今、厳密にいうと、逃亡者です。今月16日に法廷が再開されました。そ
して私の依頼人(被告)はといえば、私は彼らを弁護することができず、彼らと
面会することもできません。逃亡者なので私は帰国することもかないません。私
は世界中の礼儀正しい人々にむかって、弁護されるべき人々を弁護するという私
の仕事ができているか注目していてほしいと呼びかけます。
ダール・ジャマイル: なぜ米軍はあなたの生命を守るよう命令されていたと
考えますか?
イザト弁護士: 法廷がアメリカの名誉を傷つけた、というのが主な理由の一
つだと感じています。アメリカ人は事態を収拾しようとして苛立っているのです
。私を国外に連れだし被告人には弁護士をつけさせないのはアメリカ人にとって
の恥であり、このような状況が続くのはイラク当局にとっても恥なので、アメリ
カ人は彼らに事態の収拾を迫るでしょう。今この瞬間にもアメリカ人はそのよう
にしていると私は考えます。このような失態を演じるのはアメリカ人には恥なの
です。
一つのこと、つまり、法廷関係者の多くは民兵組織のメンバーであり、彼らは
イランとひじょうに親密で、密接に結びついていることは、私が保証します。
彼ら(イラク法廷)は今、ひじょうに厳しい判決を下そうとしていて、それで
人々は脅迫され政治的に隔離されるでしょう。判事たちが以前にも他国への政治
的隔離を適用したことを私は知っていますし、彼らは私たち遠ざけようといてい
るのです。
ダール・ジャマイル: タリク・アジズの現況はどうですか?
イザト弁護士: 法廷の実態を暴露し、法の支配を実現するためにその姿勢を
堅持するというこれまでの方針を持続するよう、彼は私を励ましています。私は
タリク・アジズは裁かれないだろうと考えています。タリク・アジズはひじょう
に多大な情報とカリスマと交渉力の持ち主であり、実際、サダム・フセインの裁
判中には彼は少しの情報しか提供せず、判事たちが苛々して彼に追い出してやり
たいと言ったほどでした。したがって私には彼が裁かれるとは思えず、そのかわ
り彼らはアジズを獄中で死に至らしめるか、彼を殺す口実を捜すつもりなのでし
ょう。
彼の体調は高齢と健康全般のせいで悪化していて、ひじょうに悪いのです。彼
は人がかかりたくない病気をすべて抱えています。心臓病と血友病にもかかって
いて、血圧にも鼻孔にも問題を抱えています。
私の被告の1人ファヂル・アッバス・アル・ハマリは軍事工場で働いていまし
たが、末期ガンで死に瀕しています。イラク人やアメリカ人が虐待しなくても、
彼はいつ死んでもおかしくない状況です。彼は治療を受けることを許されず、病
状を気にかける人もないまま、まもなく死ぬでしょうが、まったく残酷な話だと
思います。すでに8人がガンのために獄中で死にました。
(おわり)
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