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http://jcphata.blog26.fc2.com/blog-entry-725.html から転載。
二つの大量殺人事件に思う
長崎でのテロ事件とおなじころに発生した、アメリカバージニアの大学での乱射事件。このニュースをきいて連想したのは、昭和13年5月岡山県でおきた「津山30人殺し事件」である。犯人が自殺した ことでも、銃による殺害でも、計画性がある点でも、そして20歳代前半の男性だったという点でも、二つの事件には類似性がある。
バージニアでの事件は現在進行形なので、これから明らかになることがあるだろうが、津山事件の方はさまざまな記録に残っているので、全体像はつかめむことができる。
この事件に刺激をうけて横溝正史が書いたのが「八つ墓村」であることはあまりにも有名な話である。
犯人のT(21歳)は、幼いころに父母を結核でなくし、姉とともに岡山の山奥の部落で祖母に育てられていた。
聡明だったTは成績も良く、上級学校への進学をめざしていたが、祖母のねがいもあって断念、父母と同じように結核をわずらい部落で養生することになった。
姉が嫁ぎ、部落で結核治療にあたるT。
子どもたちを相手に自分の書いた小説を読み聞かせること、部落の女性たちと夜這いで関係をもつことが楽しみになっていた、徴兵検査で不合格になったあたりから女性たちや地域の目はきつくなった。
ときは日中戦争のまっ最中である。
まして当時は結核は不治の病、兵隊にも行かず、仕事もせずにぶらぶらしている若い男は一人前とは扱われなかった。
次第に地域で孤立していくTは、ルサンチンマンを強め、冷たくされた女性たちや地域の人たちへの復讐を決意する。
田畑を売って猟銃や日本刀を買い求め、銃を改造し、機会を待った(当時の日本はアメリカほどではないにしろ、割と簡単に銃が手に入った)。
昭和13年5月、かつて懇意にしていて他の村へ嫁いでいた女性が村に里帰りしてきた。Tは村への送電線を切り、停電と勘違いした村人たちが早い眠りについた。
翌日、未明。
仕度をととのえたTは、かねてから用意していた斧で、寝ていた祖母の首を跳ね、漆黒の村へ飛び出していった。
犯行を終えたTは、幼いころに父母と過ごした村のみえる山頂で最後の遺書をしたため、銃で自殺する。
バージニアの事件の真相はまだわからない。
津山事件も犯人の深層心理、村人たちとの関係なども未解明な部分が多い。
だが、両方とも大量殺人を可能とする銃が簡単に手に入ったことに、共通性があることは間違いないだろう。
もう一つ。
当時の日本社会は、日中戦争の真っ只中だった。
そしてアメリカはイラク戦争の泥沼の真っ只中である。