★阿修羅♪ > 戦争91 > 425.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: 米大学乱射:チョ容疑者の両親が自殺か [朝鮮日報] 投稿者 white 日時 2007 年 4 月 18 日 16:01:46)
□米大学乱射:「ほとんど交流なかった」チョ容疑者家族の横顔 [朝鮮日報]
http://www.chosunonline.com/article/20070419000058
記事入力 : 2007/04/19 17:14:15
米大学乱射:「ほとんど交流なかった」チョ容疑者家族の横顔
チョ・スンヒ容疑者の家族は米国で平凡な暮らしをしていた。クリーニング店を営む両親は口数が少なく、近所では親切な住民だと評判だった。姉は名門プリンストン大学を卒業後、国務省に勤務している。しかし事件後の、家族の行方は明らかになっていない。
◆さまざまな噂が飛び交う
父チョ・ソンテさん(61)と母チョ・ヒャンエさん(51)が暮らしていたバージニア州フェアファックス郡のセンタービル・タウンハウスは、事件後固く門を閉ざしている。家の前には放送関係車両と共に米国や韓国のマスコミが押し寄せ、1日中陣を張っているが、誰もチョ容疑者の両親には会っていない。こうした中、両親は精神的ショックから病院に入院したという噂をはじめ、韓国に帰国したという説や、息子の遺体確認のためにバージニア工科大学に向かったという説などが飛び交っているが、現時点ではどれもうわさにしか過ぎない。また、両親は自殺したとの一部の報道に関し、時事週刊誌「タイム」の記者は「バージニア工科大学の関係者が“両親は生きている”と確認した」と報じた。ワシントンのクォン・テミョン総領事も「両親は某所で捜査を受けている」と話している。
◆「ほとんど交流はなかった」
チョ容疑者の両親は米国に移住してから12年以上この地域で暮らしているが、同胞たちとはほとんど交流がなかった。ワシントンの韓国人会関係者は「多くの人に聞いてみたが、知り合いはほとんどおらず、どんな人なのか正確に把握するのは難しい」と話している。
チョ容疑者一家の隣に住むメーンさんは「12年間ここで暮らしているが、チョ容疑者の家族とはほとんど言葉を交わしたことがない」と語った。一方、別の隣人でグァテマラ出身の女性は「チョさん夫妻はとても親切でやさしかった。奥さんはわたしが妊娠したとき、無理をしてはいけないと、旦那さんにうちの自動車の屋根に積もった雪を下ろしてあげてと頼んでくれたこともある」と話している。
一方、寄宿舎で生活していたチョ・スンヒ容疑者は週末になると家に立ち寄り、両親と同居していた姉は2004年にプリンストン大学経済学科を卒業し、現在は米国務省近東局に勤務している。国務省の正職員ではなく、政府業務を支援するマクニル・テクノロジー社から国務省に派遣され、イラク再建担当業務に携わっているという。姉のチョさんは大学時代、2001年に起きた9・11(米同時多発テロ)の被害者を助けるサークルで活動したり、在バンコク米国大使館や国務省の国際労働事務所でインターンとして経験を積むなど、積極的に学校生活を送っていた、とABCテレビが報じた。
◆韓国の親戚たちも衝撃
チョ容疑者の父方の叔母、チョ某さん(47)=ソウル市道峰区倉洞=は「兄の家族が米国に移住した後、ほとんど行き来しておらず、詳しい事情は分からないが、今回の事件にとても驚いた」と語った。チョさんはまた、甥のチョ容疑者について「勉強はよくできたが、子どもの頃から口数が少なく内向的で、暗い性格の子だった」と記憶している。
チョ容疑者の家族は韓国での生活が苦しく、それを抜け出すために移民の道を選んだという。父チョさん忠清南道牙山(昔の温陽)出身で、温陽高校を卒業後上京し、S建設の技術者としてサウジアラビアで勤務、その後食料品店や書店を営んだこともあるという。しかし、移住する前に営んでいた書店の経営がうまくいかず、これをあきらめ米国に移住することを決心したという。米国に向かう前、チョ容疑者一家はソウル市道峰区倉洞にある多世帯住宅の半地下の部屋で暮らしていた。
ワシントン=許容範(ホ・ヨンボム)特派員
朴蘭姫(パク・ランヒ)記者
【ニュース特集】米バージニア工科大銃乱射事件
朝鮮日報/朝鮮日報JNS