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号外:自衛隊派兵差し止め名古屋訴訟が確定(4月6日)しました。以下、転載します。
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池住義憲20070406『平和的生存権はすべての基本的人権の基礎』〜歴史的、画期的判決がでました!〜
歴史的、画期的判決が出ました。3月23日、自衛隊イラク派兵差止訴訟の第7次訴訟の判決(名古屋地裁民事7部 田近正則裁判長)です。敗訴判決ではありましたが、判決文のなかで、今までにない初めての判断が示されました。以下にあるのは、本日(4月6日)、名古屋で記者会見にて公表した訴訟弁護団の判決解説とコメントです。本訴訟を起こして丸3年。いままでは「訴える資格なし」とされて門前払いの却下の連続でしたが、大きな前進です。私はこの判決で、厚い「扉の向こうの細い道筋」を感じ取ることができています。みなさん、最後まで是非読んでください。
*本訴訟の今までの経緯等詳細は、訴訟の会のホームページをごらんください。
http://www.haheisashidome.jp/
自衛隊イラク派兵差止訴訟名古屋弁護団20070406<自衛隊イラク派兵差止訴訟 第7次訴訟判決>原告控訴せず、3月23日付判決は確定へ(団長:内河恵一弁護士、 事務局長:川口創弁護士)
3月23日付で名古屋地裁民事7部(田近裁判長)より出された自衛隊イラク派兵差止訴訟第7次訴訟(原告李誠姫)判決について、高く評価出来る点があることから、控訴をしないこととしました。6日を徒過する時点で判決は確定します。この判決では、「憲法9条に違反する国の行為によって個人の生命、自由が侵害されず、又侵害の危機にさらされない権利」「同条に違反する戦争の遂行ないし武力の行使のために個人の基本的人権が制約されない権利が、憲法上保障されている」と正面から認めるなどしています。イラク派兵自体の違憲性には言及していませんが、イラク派兵に裁判所もかなりの危惧を抱いていることが分かる判決です。
弁護団としては高く評価し、原告との協議の上、控訴をせず確定することとしました。現在イラクでは、航空自衛隊が明らかな戦闘地域であるバグダッドに武装した米兵を輸送しています。その上、今国会でイラク特措法を延長させようとしています。しかし、アメリカにおいてさえもイラクからの撤退の大きな流れがわき上がっており、この世界的な動きを正面から受けとめて、裁判所も日本政府に対し、自衛隊のイラク派遣に対して警鐘を鳴らした判決だと受け止めることが出来ます。政府は、この裁判所の声に真摯に耳を傾け、イラク特措法延長を見直すよう強く求める次第です。
●第1 平和的生存権の具体的権利性を一般論として肯定
<判決文>
「平和的生存権は、すべての基本的人権の基礎にあってその享有を可能ならしめる基底的権利であり、憲法9条は、かかる国民の平和的生存権を国の行為の側から規定しこれを保障しようとするものであり、また、憲法第三章の基本的人権の各規定の解釈においても平和的生存権の保障の趣旨が最大限に活かされるよう解釈すべきことはもちろんであって、(もとより国家の存立にかかわる国の行為についての違憲性の判断は間接民主制の統治システムが円滑に機能している限り慎重かつ謙抑になされるべきであるが)憲法9条に違反する国の行為によって個人の生命、自由が侵害されず、又侵害の危機にさらされない権利、同条に違反する戦争の遂行ないし武力の行使のために個人の基本的人権が制約されない権利が、憲法上保障されているものと解すべきであり、その限度では、他の人権規定と相まって具体的権利性を有する場面がありうる」
<解説(判決文が意味するもの)>
1)平和的生存権を全ての人権の基礎にあり、その享有を可能にする「基底的権利」だ、とした点で、平和的生存権が全ての人権を保障する上で最も大事な人権であることを明示しており、高く評価出来ます。
2)また、平和的生存権を国の行為の側から規定し、平和的生存権を保障するものが憲法9条だ、とした点も、今までの判例にない極めて重要な指摘です。(1)と併せれば、憲法9条は全ての権利の共有を可能にさせる大事な規定だという結論を示しているからです。
3)また、全ての人権の保障を考える際に、平和的生存権の保障の趣旨が最大限活かされるように解釈すべきとした点は、例えば平和を求める言論活動(ビラ配りなど)に対する弾圧においても、表現の自由だけでなく、平和的生存権の保障の趣旨も考慮するのだ、ということを示しており、平和運動に取り組んでいく際の大きな力になる司法判断です。
4)さらに、山梨判決以降、間接民主制の元に、司法判断の余地がないかのような判決が続きましたが、間接民主制の統治システムが円滑に機能していない場合には、違憲性の判断も積極的に行うべきであることを裏から示した点で、憲法が踏みにじられつつある今日に裁判所が正面から向き合わねばならない覚悟がにじみ出ています(ただ、その覚悟を先送りした点で残念ですが…)。
5)そして、何より「憲法9条に違反する国の行為によって個人の生命、自由が侵害されず、また侵害の危機にさらされない権利」「同条に違反する戦争の遂行ないし武力の行使のために個人の基本的人権が制約されない権利」という「新しい権利」を正面から認めました。裁判所がこのように明確に新しい「権利」を明言することはまずありません。
しかも、この権利は「憲法9条に違反する行為」がある場合に、個人の「自由」(かなり広範です)が「侵害の危険」に「さらせれた」場合には権利侵害を主張出来ることとなります。
通常は人権の「侵害」があって始めて人権侵害です。「侵害の危険」に「さらされた」という場面は、人権・自由の侵害よりもかなり手前の段階を想定しています。この結果、今後政府の違憲行為がさらに進展していく際には、裁判所は積極的に憲法9条違反の判断をする可能性を認めているものです。他の人権侵害の場面と違って、9条違反行為がなされたときにはより手前の段階で司法判断に踏み込んでいく積極的な姿勢を示した点で、極めて大きな意味があります。
6)さらに、これまで、長沼判決以外では平和的生存権は抽象的権利であって救済の対象にならないとされてきましたが、「他の人権規定と相まって」としながらも、「具体的権利性を有する場面がある」としました。裁判の土俵にしっかり載せて裁判所が人権侵害を救済する可能性を認めた点で歴史的・画期的判決です。
●第2 憲法9条違反による人格権侵害の可能性肯定
<判決文>
「憲法前文及び9条の法文並びにそれらの歴史的経緯にかんがみれば、憲法の下において、戦争のない又は武力行使をしない日本で平穏に生活する利益(かかる利益を平和的生存権と呼ぶか否かは別として)が法的保護に値すると解すべき場合がまったくないとはいえず、憲法9条に違反する国の行為によって生活の平穏が害された場合には損害賠償の対象となり得る法的利益(人格権ないし幸福追求権)の侵害があると認めることもまったく不可能なことではない」
<解説(判決文が意味するもの)>
1)まず、今まで政府の憲法9条に反する行為に関する訴えでは、民事訴訟上「訴えの利益なし」として門前払いをされてきました。しかし、この判決では、憲法9条や前文の歴史的経緯にまで言及した上で、憲法9条違反の問題が民事訴訟上の土俵に乗る可能性を認めた点でとても画期的です。
2)さらに、「憲法9条に違反する国の行為」の結果、「生活の平穏が害された」のであれば損害賠償請求が可能だ、とした点も画期的です。「生活の平穏」という概念は、現在判例法上で認められている私法上の利益の中でも、最も緩やかな「利益」です。(1)で認めた土俵の大きさをかなり広く認めたこととなり、民事訴訟の範囲で憲法9条違反を訴える可能性を大きく切り開いたと言えます。
●第3 全体の評価
結論は敗訴ですし、違憲判断にも踏み込んでいません。その意味で、手放しに評価出来るものではありません。しかし、「憲法9条に違反する国の行為によって生活の平穏が害された場合」という緩やかな要件を示し、広く憲法9条違反の訴えが民事裁判の土俵に載ることを認めた点で、憲法9条を守る闘いに一定の展望を示したのではないかと思います。名古屋の弁護団では、壁の向こうに進む道はないと言われていたところで、扉があることを示され、その扉の向こうの細い道筋もかいま見ることが出来た点で、極めて前進した判決だと一定評価しています。これは、それまでの各地の裁判の闘いがあってこその結果ですし、イラク派兵の問題と現在の軍事国家への大きな流れに対する危機感を裁判所と享有出来た結果だとおもいます。この判決は、確定した判決としては(長沼地裁判決は確定していませんので)、憲法史上最も高い到達点にたどり着いたといえます。とはいえ、富士山で例えればようやくスタートが切れて、2合目にたどり着いたというレベルです。憲法9条を壊す動きがある限り、憲法9条を守る闘いを絶やすことなく続け、富士山頂に至るまで憲法を守るたすきをリレーしていく他ないと思います。
以上