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(回答先: Re: 「慰安婦問題」安易な謝罪は、これをネタにして野獣(弁護士)国家が日本を「ゆすり、たかり」の餌食にする 投稿者 鈴木節翁 日時 2007 年 4 月 04 日 01:45:59)
> ドイツのブラント首相はワルシャワゲットー跡を訪ね、ひれ伏して謝罪した。
> シュレッダー首相も謝罪した。ドイツの過去の反省に終わりはない。
「Q.日本はドイツを見習え!
A.それでもいいのか?
韓国人や左翼がよくドイツを見習えと言うが、だいたいそれで自爆する。
なぜなら、日本の方がドイツよりしっかり戦後補償をしているからだ。
http://wwwi.netwave.or.jp/~mot-take/jhistd/jhist4_2_3.htm
ここで問題になるのは、「個人補償」という言葉に関する感傷的誤解である。
ドイツは国家賠償を済ませた後で、それでは足りないからより手厚い、心のこもった人道的措置として、「個人補償」をさらに重ねているという、前提ですべてが語られ、そのためドイツの償いの仕方が礼讃されている。とすると日本はまだ本当の補償をしていないのではないか、という不安と劣等感に襲われてしまう。近代戦争史では敗戦国が、戦勝国に「国家賠償」を支払うのが普通であり、戦勝国の被害者ひとりひとりに、個別に「国家賠償」をしたことはなく、まずここに大きな事実誤認がある。
ところで、ドイツはまだ国家賠償をしていない。これは東西分割国家であったからであるが、さらに、旧交戦国のどの国とも、講和条約を結んでいない。よく考えれば驚くべき事実である。
ドイツの巨額補償は、賠償ではなくナチ犯罪に対する「政治上の責任」の遂行である。したがって、どこまでも「個人」の次元で処理されるべきものであり、「集団の罪」を認めない歴代ドイツ政府の立場は、ここでこそ貫かなければならない。ナチ犯罪に、ドイツ国家は、「道徳上の責任」を決して負わないし、あくまでも個人の犯罪の集積であって、償いは、どこまでも「個人」に対してなされるべきである。ただし、ドイツ国家が「政治上の責任」を果たすために、財政負担をするという理屈ではある。
個人補償は、そのような背景から出てきた例外措置で日本人が感傷的に誤解したような、より手厚い心のこもった、人道的措置ではない。戦後処理に個人補償など考えられないことであり、ドイツのこの例が、おそらく歴史上最初であり最後であろう。
※ドイツの戦後賠償事情
ドイツを見習えということは
日韓基本条約を無視する連中に支払う金はない
日本は悪くない
東京裁判は公式に否定する
国防軍を復活させる
武器の輸出もする
PKOとして武力行使も辞さない
NATO軍として米軍と一緒に軍隊を派遣する
ということなのだが、それでもいいのだろうか・・・」
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1010891130