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□イラク開戦史の歪曲 [AERA]
http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20070402-03-0101.html
2007年4月2日
イラク開戦史の歪曲
イラク攻撃に正当性がなかったという見方は国際社会に定着している。
日本では政府も文化人も「道義はアメリカ側にあった」と言い続ける。
イラク戦争開戦から4年、米軍は3200人を超える死者を出し、アフガニスタンを含めて約7500億ドルの戦費を費やしたが、出口は見えない。
開戦の理由だった「大量破壊兵器」もなかったことが確認され、開戦前の2003年2月に国連安全保障理事会で「イラクが大量破壊兵器を保有している」と説いた当時の米国務長官C・パウエル大将は05年9月、米ABCテレビのインタビューで「生涯の汚点」と痛恨の心情を吐露した。
04年9月には国連のK・アナン事務総長(当時)も、英BBC放送でイラク攻撃について、
「国連憲章に沿わず、違法だ」
と語るなど、イラク戦争が正当性を欠いたという評価は世界的にほぼ定着している。
安保理決議履行せず?
ところが日本政府は、いまなおイラク攻撃の正当性を主張し続けている。「理解し、支持する」と表明した小泉前首相の答弁を安倍首相も踏襲し、昨年10月6日の衆院予算委員会、12月12日の参院外交防衛委員会などで、
「安保理決議1441号でイラクに対し(大量破壊兵器を)持っていないと証明する機会を与えたのに利用しなかった」
と述べ、決議を履行しなかったイラクに責任があるとしている。
保守、親米派の論客にも開戦時の米国の論理をいまだに唱える人がいる。劇作家で中央教育審議会の会長、山崎正和氏は3月16日付の朝日新聞のインタビューで、
「フセインは大量破壊兵器の廃絶を積極的に証明しなかった」
「フセインが査察を受け入れるふりをしたので少し攻撃を見合わせようとする国が出てきた」
「道義はアメリカ側にあったのは明らかだ」
と主張している。ブラジルの日系移民の中に戦後も日本が勝ったと信じる「勝ち組」がいたのに似ている。
実際には、イラクは開戦前年の02年11月に出た決議1441号を受け入れ、中断されていた査察が再開された。国際原子力機関(IAEA)と国連監視検証査察委員会(UNMOVIC)の専門家計約230人がイラクに入り、翌年3月までにIAEAは147カ所で247回、UNMOVICは731回、計978回もの査察を実施した。
特に米英が疑惑を示した地点・施設は重点的に調べたが、大量破壊兵器の備蓄や活動の証拠は発見できず、査察に対する妨害もなかったことが報告されている。国連安保理がイラクに対する武力行使を容認しなかったのは当然だ。
情報分析の姿勢に問題
大量破壊兵器の保有の疑いがある場合、それがないことを証明するには査察団を受け入れ、妨害なしに活動させる以上の方法があるとは考えにくく、「証明する機会を与えたのに利用しなかった」という答弁は虚偽に近い。
アメリカは情報収集を通信傍受や偵察衛星などの機械に頼りがちで、人的情報に弱いといわれる。だが、この場合には人的情報に不足はなかった。湾岸戦争直後からイラクで査察に当たり、状況を熟知した核兵器、生物・化学兵器の専門家集団が230人もイラクに入って徹底的に調べた結果は、この上ない「人的情報」だった。
それが自分の意向に合わないと無視し、思い込みを亡命者の迎合的供述で補強し、安保理の承諾もないのに攻撃して、自らを窮地に追い込んだのだ。
「情報能力」とは「収集」のことと思われがちだが、情報は後日振り返れば「あったではないか」と分かるのが普通だ。情報の失敗は収集より分析の段階で起きた例が多い。特にアメリカでは政府上層部が先に「見出し」を決め、情報機関にその証拠を探させることがよくあり、判断がますます一方に傾くことになりがちだ。
この場合、査察団の報告は日本政府も読めたのだから、米国情報に頼らずとも正しい判断が可能だったろう。情報分析の姿勢に対する反省がなく、いまだに「米国の攻撃は正当」と言うようでは情報機能の強化はおぼつかない。
軍事ジャーナリスト 田岡俊次