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http://www.okinawatimes.co.jp/day/200703301300_01.html
アジア・太平洋戦争中、旧南洋群島のパラオで、日本軍がハンセン病患者を虐殺した事件があり、沖縄県出身男性も犠牲になっていたことが、三十日までに分かった。ハンセン病問題を研究する藤野豊富山国際大助教授が三月上旬、パラオ共和国を訪問、被害者と同じ療養所にいた生存者の証言で確認した。藤野助教授は「強制収容された島の近くに、日本軍の軍事機密とされる海域があった。患者が逃走したため、米軍の捕虜になると情報が漏れると殺害した。沖縄戦の住民殺害と同じ構図だ」と指摘した。(編集委員・謝花直美)
コロール市在住の男性、オデュ・レンゴスさん(86)の証言で、県出身男性が虐殺されたこと、氏名や教師だったことも分かった。一九四四年にパラオの大空襲後、隔離されていたゴロール島から逃走した。藤野助教授が入手した南洋庁文書には「沖縄人一人アリタルモ昭和十九年七月二十五日空襲以降所在不明」と記録されていたが、氏名は判明していなかった。
藤野助教授の聞き取りでは、レンゴスさんは患者が逃げた理由を「日本陸軍に食糧を奪われ、島で生活できなくなったため」と説明。逃走した患者十六人はバベルダオブ島のグラスマオ村に潜んでいた時に日本兵と警察に捕まった。
レンゴスさんらは、その場に穴を掘るように命じられた。それが自らを殺害し埋める穴と気付き、慌てて逃げたが、逃げ遅れた二人は殺害された。
その後、患者らは散り散りになり、レンゴスさんは偽名を使いながら地元民や親せきを頼りながら逃げ続けた。しかし、沖縄出身と朝鮮半島出身の二人は、ゴロール島に戻ったところを日本軍に殺害された。レンゴスさんはその事実を地元民の警察官助手から聞いた。
降伏後、南洋庁が米軍に提出したハンセン病患者に関する報告では、逃走患者中、十人が「嘉留島守備隊長ニ引渡シ同島ニ収容セルガソノ後ノ消息不明」と説明。しかし、レンゴスさんの証言では戦後に生存していたのは四、五人、残りは虐殺されたと見られる。
藤野助教授は「ゴロール島の対岸には、日本海軍基地があった。四四年には陸軍守備隊が駐屯し、軍事上の重要性をさらに増した」と指摘。情報が漏れることを恐れ、虐殺が起きたとみる。三十日には、厚生労働省に戦争犯罪として調査するよう要請する予定だ。