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私は「憲法」の板に書き出して一週間も経っておりませんような新参のおばさんです。
1950年にこの世に出現してしまいました。なぜこんな時代のところへ出てきてしまったのであろうと思っております。まさに世も末です。中国が近代化を始めて(反中ではありません。日本の残留孤児をよくぞ育ててくれたと思っています)、工業排水を海に流すのでそれが巨大くらげ発生の原因らしいです。七色の川もきれいなので驚きました。
以上は落語で言うなれば「まくら」であります。先日WOWOWで志の輔落語をみまして「日本の第一党は共和党」なーんて聞いたばかりです(4月26日にもWOWOWに入ってます)。
あーそうだ、その落語でお題が「松下松の輔」とかの、歌舞伎の5段目で初めて白塗り破れ傘を用いた役者の物語でした。(うとうとしながら見ていたので間違ってたらゴメン)
初めて何か変わったことをやると、回りがシーンとなる、そういう話。
「本を作ろう」 シーン かな?
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私には「掲示板」がきっとよく分かってないのだと思います。
今日「管理人さんへ提案 聞いて!聞いて! 聞いて!」って題で書きましたので読んでください。まず本を作ることの議論から初めてもいいと思います。
我々は本当に今、どれほどの危機に向かっているのか分かっているのでしょうか?
「これは大変ダー」さんのネームに笑ってしまうけど、ものすごい大変なんですよね。
安保闘争以上に危機でしょ?私の認識違いますか?
私は、国家権力をさまざまに暴く意味はわかります。そして糾弾、批判するのもいいと思ってます。1968年ごろ安保闘争のときは2回だけ集会に行きました。糾弾と批判をやってました。でも仲間に入れませんでした。「批判するのは簡単だけど、対抗策が言えないのであるならば、自分のいる場所を否定してどこに立てばいいのかわからない」と思いました。集会は一回目はわりと静かでしたが、二回目にはもう熱が入っていました。熱狂さえ感じました。あんなふうになれない、と思いました。でも千葉の応援農業には行きました。我々は理念のために行きました。農家の息子は(大人)、農業をしないで遊んでいました。「なーんだろうな」と思いました。
共産主義ってみんな同じように働くという前提なら成立するけど、遊んでしまう人間はどうなのか、処罰するのか、・・・自由主義であるしかないと思いました。
「頭がいい人は共産主義になる」そうです。批判として機能する力があります。私は共産主義は「後攻め」あるいは、後からついてゆくのがちょうどいいと思ってます。
「自由」と「平等」は並立できないのです。@「自由」を「平等」で調整するか、A「自由」の名において「平等」を選択するかです。Aは無理でしょう。
インターネットは軍事的目的で開発されました。皮肉にも、というか。戦争は人類に進歩をもたらしました。
いずれネット検閲も起きてくると思います。時間がないのです。
中堅の知識人がだんまりを決め込んでいます。私にはそう見えます。それを訴える本を書いています。この安保闘争以上に危機である時に、老体鞭打って「九条の会」で叫んで(加藤周一は「私は叫ばない」と言ったかも)いる人たちがいるのに、なぜもっといくらでも本を書ける立場にある現役が頑張らないのか、さっぱり分かりません。
私は「もぐらたたき」はしない、「こっちへおいでよ。平和を選択しよう」と言うのみです。中堅の知識人たちは頭も出さないので、たたく事も出来ませんけど。
私も地方にある「九条の会」に入ってビラを配ってればいいのかもしれないけど、「中堅知識人のだんまりを問う」ことにもう数年とっかかっています。竹田セイジの「排除論」って誰のことだと思いますか?「まさかね」かも。出版界でいろいろ教えてくれる
人がいたのです。余計引けなくなりました。
私は一日二回しか書けないので、質問されても今日は書けません。ここの板を読んでいると「荒野で叫ぶ」感覚の人いるんですね。一緒に叫びませんか?そうすれば、声がもっともっと大きくなります。町にいる無関心な人にも届くかもしれません。