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(回答先: スウェーデンのイラク人難民 (ABC) 投稿者 妹之山商店街 日時 2007 年 3 月 17 日 02:53:41)
「イラクの子供を救う会」の西谷文和氏が今月イラクに入りました。
現地からの報告
http://www.nowiraq.com/blog/
アンマンとダマスカスの様子も書かれています。
そのレポートが17日、関西にABC放送の「ムーブ!」で放映されました。
背後から少女は狙い撃たれた
http://www.nowiraq.com/blog/archives/2007/03/post_96.html
スレイマニア市内にある救急病院を取材した。地獄図だった。
バクーバという激戦地から12歳の少女が運ばれてきた。
小学校から帰宅中に、米兵が背後から撃ったのだ。
彼女の通う小学校周辺は、よく米軍の戦車が通過するところだった。
その日、道路わきに仕掛けてあった爆弾が爆発、米軍の戦車は無事だった。
しかしこのような爆弾攻撃の後は、米兵はクレイジーになる。
周囲にいる人はみんなテロリストに見えるのだろう、米兵は銃を乱射した。
その時彼女たちは3人で通学路を帰宅中だった。
1人が殺され、彼女は両足に重傷を負った。
「なぜ米兵は子どもを撃つのか!この子がテロリストだというのか!」
付き添いの父親が嘆いた。
隣のベッドでは6歳の少年が横たわっている。両足は全てギプス。
身体には無数の黒い斑点。クラスター爆弾だ。
3日前、少年は3人で不発弾を触って遊んでいた。
突然クラスターが爆発、2人が死亡し、唯一生き残ったのがこの6歳の少年だ。
身体に空いた無数の黒い穴の中には、今も鉄の塊が突き刺さっている。
スレイマニア大学病院での取材。
かつてはイラク政府は薬の費用の70%を負担していたが、
現在はイラク保健省は1%も負担していないという。
確かに薬の棚という棚が空っぽでした。
スレイマニア救急病院
クルド自治区は治安が良いので、バグダッドやバクバ、キルクークなどから
大勢の重症患者が運ばれてくるという。
バクバから運ばれた12歳の少女は、学校からの帰宅途中、
米兵に背後から撃たれた。
米軍戦車がIEDにやられ、周りじゅうに銃を乱射。
一緒に下校していた友達は即死。
Why Why Why America do this ? Why
This is children
Why Why kill ?
父親は怒りまくっていた。
隣のベッドの六歳の少年には、全身に黒い斑点がある。
クラスター爆弾の細かな破片が全身に突き刺さったままだ。
少年はただ黙って、涙が目に溜まっていた。
西谷氏は、
「米兵が子供を撃っても、何の補償もない。
裁判もないし、米兵は無罪。
その米兵もアメリカに帰ればPTSDになり、
その米兵も犠牲者なんです。
勝者はありません。
犠牲者だけです」
キルクークに入る
http://www.nowiraq.com/blog/archives/2007/03/post_95.html
「ジャーナリストたちは、俺たちの生活を写真に収めるだけじゃないか!
アメリカからも、フランスも、イギリスからも、たくさんテレビや新聞がやって
きたが、写真を撮るだけで何の援助もしてくれなかった。日本はどうなんだい」
と厳しく追及された。
キルクークにいくつもの検問所を超えて向かう。
クルド愛国者同盟に護衛を頼んだ。
キルクークスタジアムはクルド人の避難所となっていた。
学校にも病院にも行くことができないという。
シリアに
http://www.nowiraq.com/blog/archives/2007/03/post_88.html
ディア君(9歳)は小学校3年生だが、
学校には行かず車椅子の生活を家の中で続けている。
2005年7月10日、父親の運転で、母、兄弟とともに
小学校へ向かう途中のことだった。
とあるビルの屋上から、米兵が車に向けて発砲してきた。
バグダッドではこのような「気まぐれ発砲」が後を絶たない。
米兵が撃った数発の銃弾のうち1発がディア君の背中に命中した。
「何が起こったかすぐには分からなかった。
気がつけばおにいちゃんが倒れていて、あたりは血の海だったんだ」。
すぐ下の弟ハムド(8歳)は、ディア君の隣に座っていたのだ。
ディア君は4ヶ月間バグダッドの病院に入院した。
米兵の放った銃弾は、体内に入ってから爆発するタイプのもので、
いまだに50以上の破片が残る。
銃弾は背骨の一部をえぐりとり、ディア君は下半身不随となった。
サッカーが大好きな9歳の少年は、それ以後学校に行かなくなった。
「みんながサッカーをしているのを見るのがつらいんだ。
普段は家にいて、たまに外の通りを車椅子で散歩する・・・」
語りながらデイァ君は泣き出してしまった。
「僕はお医者さんになって、お兄ちゃんを歩けるようにしてあげたいんだ。
車椅子から立ち上がって、前のように一緒に遊びたいよ」
ハムドも泣きながら将来の夢を語った。
米兵が気まぐれで撃った一発の銃弾が
ディア君たち家族の人生を大きく狂わせている。
米軍はいまだに何の補償もしていない。
大量破壊兵器があるというウソで始まった戦争で、
人生を狂わされた家族の「本当の事実」が、ここにも一つ転がっている。
ダマスカス
シリアには150万人のイラク人難民がおり、
その半数は日々の生活にも事欠く状態だという。
ディア君宅での取材では通訳も泣いていました。
通訳の人は、
「日本の人達にこの兄弟のことをきちんと伝えて欲しい」
被爆アオギリ
http://www.nowiraq.com/blog/archives/2007/02/post_84.html
広島の被爆アオギリの苗木を、
イラクの広島と言われるハラブジャに植えるというプロジェクト。
現地テレビ局も取材し、放映される。
来年の三月のハラブジャの20周年の式典に呼ばれているという。
西谷文和氏の著作
「報道されなかったイラク戦争」(せせらぎ出版 600円)
http://www.seseragi-s.com/is/is-162.html