★阿修羅♪ > 戦争89 > 673.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
アルカイダの仕業になっているケニア・タンザニア米国大使館爆破テロ事件。
ところが不可思議な事は、他のテロ事件同様ここでも起こっている。
テロが起こればイスラエルあり。テロ事件の鉄則か
http://www.wsws.org/news/1998/aug1998/bomb-a13.shtml
さらには、テロ事件といえば忘れてならない国がもう一カ国ある。英国である
http://www.guardian.co.uk/waronterror/story/0,1361,578454,00.html
he was in frequent touch with British security services, including a named MI5 agent.
イスラエルと米国を代表するテロ組織といえばモサドとCIAである。過去には、こういうテロ攻撃を起こしている。
http://www.wsws.org/news/1998/aug1998/bomb1-a27.shtml
オクラホマ連邦ビル爆破テロ事件もFBIの自作自演説が囁かれている。この話は、次の機会にする事にしよう。
1998年8月7日、実行犯はアラブ人街のヒルトップホテルに集合し、爆薬を満載したトラックで出発した。トラックはアメリカ大使館の裏手に回り、実行犯1名を降ろした。彼は大使館敷地に手榴弾を投げ込み爆破した。トラックは大使館の正門に回り、手榴弾の爆発を合図に大使館内に突入、同時に爆薬が炸裂してトラックもろとも自爆した。
この自爆攻撃によってビル内にいた大使館員と民間人など291名が殺害され、5000名以上が負傷した。また大使館の入っていたコンクリート製の建物は完全に崩壊した。瓦礫の山となったアメリカ大使館の映像は世界に配信され、多大な衝撃を与えた。
8月7日同時刻、タンザニアの首都ダルエスサラームのアメリカ大使館も同様のトラック攻撃に会い10人が死亡、77人が負傷した。
これらの攻撃は「イスラム聖地解放軍」が犯行声明を出した。聖地エルサレムのあるパレスチナを占領するイスラエルと、メッカ・メディナのあるサウジアラビアに湾岸戦争以来駐留している米軍の撤収を命じるもので、1996年にサウジアラビアの米軍官舎が爆破攻撃され、十数名が死亡した事件が思い出された。
しかし、このグループは実態が見えず、アルカーイダのオサマ・ビンラディンが対米宣戦布告していたことから、アルカーイダが関係していると考えられたが、証拠は無かった。今回の事件はアルカーイダ系のテロリストの手口と異なる点が指摘されており、また爆薬が大量かつ高性能で、テロリストの扱う物ではないという意見がある。
エジプトの大統領ホスニー・ムバーラクはテロ直前の7月14日、エジプト海軍学校の卒業式での講演の中で「世界中がテロの舞台となりうる」と述べたばかりであった。これは国連の非難決議を受けてもパレスチナの占領地から撤退しないイスラエルを批判したもので、撤退しない状態が続けば中東にとどまらず、テロリズムその他の暴力行為が増えると指摘したものだったが、発言からわずか20日ほどで現実となり、彼の予言的な発言が注目された。
事件発生後、イスラエル軍が現場に到着して救助作業その他を行い始めたが、それは米国本国からのFBIの到着よりも早かった。イスラエル軍はアメリカ大使館が保有していた機密資料を探しに来たのではないかとも言われている。
アメリカの報復
アメリカ合衆国大統領ビル・クリントンはアルカーイダ関与の可能性を受け、8月20日に報復攻撃の実行をテレビ演説で発表した。対象はアルカーイダの拠点と断定したスーダンの首都ハルツーム郊外20kmにある化学兵器工場と、アフガニスタンのテロリスト訓練キャンプで、インド洋に展開している海軍艦艇からトマホーク巡航ミサイル数発で攻撃し、目標は完全に破壊された。
明確な証拠も無いままでの独断攻撃によって、クリントンは議会から激しく非難される。特にスーダンはすでにアルカーイダと決別していて、攻撃されたのは薬品とミルクを製造している工場であることがすぐに露呈、しかもスーダンの3分の1の需要をまかなっている重要施設であった。アフガニスタンにしても、元々CIAがソビエト連邦に対抗するムジャーヒディーンを養成するために作ったキャンプを攻撃したとされている。
FBIの捜査によって実行犯の一人、元米兵のアリ・ムハマドを逮捕した。ムハマドは「ヘルプ・アフリカ・ピープル」に出入りしており、大使館を偵察していたといわれる。彼がビンラディンと共に作戦会議を行ったと証言したため、これを根拠として11月4日にビンラディンを起訴した。しかし、当然ながら被告不在である。
クリントン政権は18名の兵士を失ったソマリア内戦介入失敗を引きずり、大規模な外征を控えていたが、このミサイル攻撃を皮切りに強行策を次々と打ち出す。同年12月にはイギリスと共にイラクをミサイル400発で攻撃(砂漠の狐)、翌年にはコソボ紛争に介入し、NATOを率いてユーゴスラビアを空爆した。
2006年1月8日に米軍が行ったソマリア南部空襲により、この事件の容疑者を含むアルカーイダのメンバー数名を殺害したと公表した。