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アーミテージ・レポート (INSS Special Report)
http://www.asyura2.com/0311/hasan32/msg/922.html
投稿者 愚民党 日時 2004 年 1 月 23 日 06:49:44
http://www.sys-tems.co.jp/nexus/attntion/arm_0010.htm
「アーミテージ・レポート」のネクサス流要約
1.レポートの主旨は日米関係を米英関係にまで高める提案である。(日米連合軍創設)
2.レポートの総論は米外交の軸足は欧州からアジアにシフトしつつある。(アジア大乱)
3.アジアには核戦争を含む大規模な軍事衝突の危険性がある。(米中・新冷戦構造)
4.日米同盟こそアジアにおける安定と繁栄の基礎である。(日米連合軍創設)
5.日本の政治家は国家主権の尊厳に覚醒しつつあり同盟強化の好機である。(危機感)
6.日本は集団的自衛権の行使を認めるべきである。(自衛隊を国軍化し米軍の指揮下へ)
7.日米は情報共有化を進める。日本独自の情報衛星を容認する。(盗聴網エシュロン)
8.日本は規制緩和・市場開放によって経済の持続的回復を果たすべきである。(収奪)
9.日本は小切手外交から脱却し独自外交を追求すべきである。(米外交・補完勢力)
新ブッシュ政権の政策基本骨格は、ペンタゴンの戦略家A.マーシャルが作成した非公式文書「アジア2025」がその出発点となっている。
これはアジアの近未来に関する集団思考実験をあえて希望的観測を排除して纏めた衝撃的なレポートである。
この「アジア2025」を起点として、新ブッシュ政権は大統領選挙期間中の2000年秋に、相次いで安全保障と経済の政策を世界に表明した。
それがアーミテージ・レポート(安全保証政策)とリンゼー・スキーム(経済政策)である。
以下は、そのアーミテージレポートの全文(ほぼ直訳)である。
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アーミテージ・レポート (INSS Special Report)
2000年10月11日
About this report (このレポートについて)
このレポートは米国と日本のパートナーシップに関心をもつ(米国の)超党派研究グループの全員が合意した見解を表明するものである。これは政治的な文書ではなく、グループの見解に過ぎない。公表する狙いは、我々が重要と考える米日のアジアとの関係に首尾一貫性と、長期/計画的な方向性を注入することに尽きる。
前記の研究グループとは次の16人である。
リチャード=アーミテージ(アーミテージ共同研究グループ)
ダン=E=ボブ(W・ロス上院議員事務所)
カート=キャンベル(戦略国際問題研究所)
マイケル=グリーン(外交問題評議会)
ケント=ハリントン(ハリントン・グループ有限会社)
フランク=ジャヌージ(上院外交委員会民主党スタッフ)
ジェームズ=ケリー(戦略国際問題研究所)
エドワード=リンカーン(ブルッキングス研究所)
ロバート=マニング(外交問題評議会)
ケビン=ニーラー(スコウクロフト・グループ)
ジョセフ=ナイ(ハーバード大)
トーケル=パターソン(ジオ・イン・サイト社社長)
ジェームズ=プリュジスタップ(国防大学)
ロビン=サコダ(サコダ共同研究グループ)
バーバラ=ワナー(フレンチ&カンパニー)
ポール=ウォルフォビッツ(ジョン=ホプキンス大学)
このレポート中の意見や結論や勧告は執筆者たちのものであって、国防大学や国防総省、あるいはその他の政府機関、もしくは非政府組織のものではない。
アジアは今、歴史の転換期における陣痛の苦しみの中にある。アジアは米国の政治・安保・経済・その他国益のために、非常に重要な場所である。というのは、世界の人口の53%、世界経済の25%、米国との貿易額が年間6000億ドルを占めるアジアは、米国の繁栄を左右しているからである。
日本とオーストラリアから、フィリピン、韓国、台湾、インドネシアなどに至る地域の国々は、政治的には全体として民主主義の価値を謳歌している。ひとり中国のみは重大な社会的、経済的転換に直面しているが、結末はまだ不透明である。
ヨーロッパでは少なくとも今後20〜30年間は大戦争は考えられない。しかし、アジアでは紛争の見通しは遠のいていない。この地域には次のような特色がある。世界最大、かつ最新装備の軍隊のいくつかが存在すること、核武装した(複数の)大国、その能力をもつ国々が存在することだ。
米国を大規模な紛争に巻き込む敵対関係は、朝鮮戦争と台湾海峡にいつなんどきでも起こりうる。インド亜大陸もまた、主要な発火点であり、どちらも核戦争にエスカレートする可能性を秘めている。世界第四の大きな国であるインドネシアで混乱が絶えないことも東南アジアの安定を脅かしている。米国は地域の国々とは2国間安保の一連のつながりで結ばれており、それが地域の事実上の安全構造になっている。
将来、大いに有望だが危険を内蔵するこの地域において、米国の2国関係は今までにまして重要である。世界第2の経済大国であり、優秀な装備と有能な軍隊をもち、そして民主主義の朋友でもある日本は、米国がアジアに関わりをもつ場合の要石(かなめいし)であり、米日同盟は米国のグローバル安保でもその中心に位置しているからである。
日本もまた、今や重要な転換期にさしかかっている。つまり、グローバリゼーションという大きな力に突き動かされて、日本は第二次世界大戦のあと以来といえる社会的・経済的変動のさなかにいるのである。日本の社会や経済や国家意識や国際的な役割に関して、日本は明治維新のときのような根源的な変動を経験しつつある。
この大転換がどんな成果を生むか、まだ十分に理解されていない。明治維新によって生まれた近代国家の潜在的能力を西欧諸国が過小評価したのと同じである。まだ十分に外部からは見えないが、当時に劣らぬ深い意味をもった転換が起こっている。米国にとって重要なのは、今日本に起こっている大きな変動の上に立って21世紀の同盟を強化し、再構築することである。
第二次大戦後、日本はアジアで積極的な役割を果たしてきた。高い教育を受けた進取的な有権者による円熟した民主主義によって日本は平和的な政権交代を地域に見せつけてきており、用意周到な外交と経済的な関わり合いによって地域の安定と信頼関係の構築に寄与してきた。
日本が地域における活動を高めている証拠としては、次のような動きがある。90年代初期におけるカンボジアでの国連平和維持活動への参加、各種の防衛交流と安保対話、ASEAN地域フォーラムへの参加、新たなASEANプラス3(日本・中国・韓国)のグループ作りなどである。とりわけ日米同盟は地域の秩序の基盤となった。
我々は6つの重要な米日関係の要素について考察した。そして21世紀に向けて、今後も長く続く同盟関係の基礎を作るために超党派のアクション・アジェンダ(行動要綱)を提案する。
Post-Cold War Drift {冷戦後の(米日関係の)漂流}
西側の幅広い同盟のパートナーとして、米国と日本は冷戦に勝利するために一緒に行動し、アジアにおけるデモクラシーと経済発展の新しい時代の先導役として互いに助け合ってきた。しかしそれに成功したあとで、米日関係の道筋は焦点と団結を失ってさまよいだした。現実的な脅威と潜在的なリスクに直面しているのにも関わらず、である。
ソ連の封じ込めという戦略的な縛りがなくなると、ワシントンも東京も2国間同盟の現実的で、実利的で、重要な必要性を忘れてしまった。両国の提携と共通の目標のために代用品を探す善意の努力はしてみたものの、生まれたのは散漫な対話だけで、共通の目的をはっきり決められなかった。両国間の安保の新しい概念を探る努力は続いたが、2国間の安全保障の結びつきを再定義し、再活性化することはできなかった。
共通の焦点や追及案件の欠如が米日間で目立ってきた。日本人のある者はアジア化の観念に魅入られ、経済的な相互依存や他国主義的な制度によって地域がヨーロッパと同じ道筋をたどれるという希望にとらわれた。一方、米国では多くの人々が冷戦の終結を、経済優先へ戻る好機と見た。
90年代初期は両国間の緊張、特に日本の市場への(米国の)参入をめぐっての緊張が高まった時期であった。米国人の一部は日本から仕掛けられた経済競争を脅威とみた。しかし、約5年前から貿易をめぐる緊張関係は薄らいできた。日本の経済的な辣腕ぶりに対して向けられてきた嫉妬と懸念は、同じ日本の不景気と増大する財政危機に対する戸惑いに変わった。
どちらの国も同盟関係を再定義し再活性化する必要性に関心を向けなかった。そういう間柄を異としなかったのである。米日関係の漂流が止まったのは、90年代半ばの朝鮮半島危機であり、それに拍車をかけたのが沖縄の少女暴行事件であった。両事件が両国の政策立案者の注意を捉えたのである。
朝鮮戦争危機と沖縄レイプ事件は、米日関係をなおざりにするといかにその代価が高くつくか、遅まきながら彼らに悟らせた。さらに96年3月の台湾海峡危機が、太平洋の両側の米日両国に2国間同盟を再確認させる刺激になった。
96年の米日安保共同宣言は、ワシントンと東京をして同盟の刷新強化に注意を向けさせる方向に大いに歩を進めた。その結果、日米防衛協力のためのガイドラインの改定、96年の沖縄のSACO報告、TMD研究での協力合意が実現した。しかし、96年の米日安保宣言は単なるシンボルに留まり、高いレベルの支えがなく、孤立してしまった。米国と日本は再び、とげとげしく貧しい政治的協調関係に戻った。
米日関係の悪化のコストは、目に見えない場合もあれば、よく目に見える場合もあった。90年代末までに、多くの米国の政策立案者は日本に対する興味を失ってしまった。日本がもはや建て直し不能のように見えたからだ。実際、長引く不況に日本の当局者さえ元気をなくし、意気消沈していた。
東京では多くの人々が、ワシントンを傲慢で、自分の処方箋が他人の経済・政治・社会の万病に効くものではないことが分からない連中だと思っている。多くの政府当局者やオピニオンメーカーたちは米国のやり方を商売でも経済的利益でも自己本位だと考え、グローバル化でも自分のやり方を押しつけてくると腹を立て始めた。
アジアで米国の注意と関心が他の場所へ移ったのは既にはっきりとしている。特に最近になって、米国の政策立案者たちの主要な関心は中国との2国間関係に注がれている。89年の天安門広場における民主主義支持層によるデモ以来の一連の危機によって特徴づけられる米中関係である。
ワシントンも東京も、96年の米日安保共同宣言が取り上げた安保の議題をその後積極的に推進しようとしなかった。というのは、米日安保の再活性化に対しての北京の敵対的反応を恐れたからである。
北京は米日の同盟関係を、「中国の地域外交を束縛しようとするワシントンの幅広い努力の中の重要な要素の一つとみなしている」と明確な言葉で公言してきた。そこで、中国との関係改善を望んできた米国と(米国ほどの必要性に迫られてはいなかったが)日本は、封じ込め政策と見られるようなことは避けるかのごとく振る舞いたかったのである。
事実、米日間の唯一の積極的な安保対話といえば、北朝鮮を孤立状態から引っ張り出すためうまく説得しようとする相談の際の副産物として登場するぐらいであった。米国・日本・韓国は、ピョンヤンに対しては三国の協力と団結がもっとも効果のあるやり方だということでは一致している。
(米日両国が)自信を喪失し、あやふやで、方向を見失っていた時期の以上の記録は、一つの原因によるものではないし、なぜそうなったのかを、単純に非難できない。むしろ以上の経過から米日関係を改善、再活性化し、再び焦点を当てる時期が来たとの新しい認識をもつべきである。
米日がアジアにおいて不確実な安保環境に直面している現在、両国の国内では政治的な転換と重大な変化が起こっている。米国では新しい政権の登場であり、日本では経済・政治・社会的な転換の過程が継続している。同時に、中国とロシアでの政治・経済の不確実な状況、朝鮮半島のデタントのもろい性格、インドネシアの長引く不安定・・・。これらが米日の共有する難題である。
日本が傾きかけて元へ戻れないと論ずる人々は、米国の力が国際舞台で退潮気味だとの記事を信じたのがわずか10年前だったのを思い出すとよい。しぶとい日本の力を過小評価するのが無謀であるのと同様、一部の日本人が80年代から90年代の間、米国が蓄えている底力と持続力を見くびったのは賢明なことではなかった。
Politics (政治)
この10余年、与党の自民党は次のような状況に直面している。内部分裂・既得権益集団の衝突・重要な選挙区での票割れの拡大・・・などである。それでも自民党は衰えた権力にしがみついてきた。
一方野党は、信頼するに足り、十分に練られた政策を提示できないでいた。日本国民は代わりの信頼できる政治的指導者に出会えないため、やむなく自民党を政権につかせている。日本政府は、何とか切り抜けているというよりどっちつかずで何もできない状態である。
しかし、国際経済のとどまることのないグローバリゼーションの圧力による経済的な改革と再構築の必要性が、政治的な転換を促しているように見える。この経済的な圧力が、政官財の癒着であるいわゆる「鉄の三角形」と呼ばれる独占体制を解体し、その力を分散させつつある。日本の政治秩序は時間をかけてゆっくりと変化しつつある。
日本の政治の転換は米日関係を再活性化し、さらに試行する未曾有の好機である。日本の政治の2極に分かれたイデオロギーの対立が終わり、政官界エリートの若い世代の間に安保問題に関する新しいプラグマティズムが出現したことで、新しいリーダーシップを育てる土壌ができたからである。
現在の指導層が突如として改革を受け入れたり、国際舞台でもっと高度な役割を演じたりするのを期待するのは現実的ではない。日本の議会制度の(厳しい)要求のもとでは、将来の長期的な利益のためには短期的な痛みも辞さないという政策を実行するのは難しい。日本の政治制度は、リスクを嫌う体質なのである。
しかし政治家の後継世代、そして一般大衆もまた、もはや経済力だけが日本の将来を保証するものではないことを承知している。それだけではなくて、日本の大衆は国旗と国家に公式の位置付けを与え、尖閣列島のような領土要求に関心を集中して国家の主権および保全を尊重していることを改めて証明したのであった。こうした変化からもたらされる新しい米日関係が内包する意義は非常に大きい。
米国にも同じような動きがある。外交政策に関する議会の役割の増大、州や地域政治機関の影響力の伸張、テクノロジーや個人の力量で経済的転換を先導する私企業の劇的な変質。そんな動きがかつての外交政策決定制度に取って代わりつつある。
リスクを嫌う日本の政治指導層が国家経済の転換を抑え込んでいるのと全く同じように、ワシントンが将来のはっきりした方向を見失っていることも大きな損失を与えてきた。バラバラな行政官僚たちのリーダーシップは、米日関係に関するよく練られたゲームプランを作り出すのに失敗した。このことが同盟の重要さに対する政治的支援と、国民大衆の理解が腐食するのを加速させてきた。つまり、米国で進行中の政治・経済・社会の変化が、行政官僚の外交問題における指導力を求めているのである。
もし、米国が日本との関係において「傲慢さのない卓越したリーダーシップ」を発揮することができれば、両国は過去50年にわたって育んできた協力関係の全体的な潜在力の大きさに気付くであろう。
もし日本で進行中の変化が、より強力でより敏感に反応する政治/経済システムを生み出すなら、米日関係の相乗効果は将来、地域および世界の舞台でよく噛み合い、助け合い、建設的な役割を果たす能力を大いに高めることになるであろう。
Security (安全保障)
アジアでの賭けの成否は非常に大きいので、米国と日本が共通の認識を育み、21世紀における両国関係における両国関係に関して取り組みを進めることが急務である。
アジアで紛争が起こる可能性は、米日防衛関係が周辺の目にはっきり映り、現実的なものであることが理解されることによって、劇的に低くなった。日本の提供による在日米軍基地の使用で、米国は太平洋からペルシャ湾に至る安全環境に影響力を行使することができる。「日米防衛協力のためのガイドライン」改訂版は、日米共同防衛計画の基礎となるものである。しかし、太平洋全域に広がった日本の役割の下限を定めたものとみなすべきで、上限を示すものではない。 そして、冷戦後のこの地域の環境の不確実性は、米日2国間の防衛計画にもっとダイナミックな取り組みを求めている。
日本による集団的自衛の禁止は米日間同盟協力にとって束縛となっている。この禁止を取り払えば、もっと密接で、もっと有効な安保同盟となるであろう。ただしその決定は、日本国民だけにできることである。米国は日本の安全保障政策を特徴づけている内政上の諸決定を尊重してきたし、今後もそうせねばならない。しかし、ワシントンは日本がさらに大きな貢献をし、もっと対等な同盟のパートナーになるのを歓迎することを明確にしておくべきである。
米国と英国のような特別な関係は米日同盟のモデルだ、と我々は思う。それには以下の要素が求められる。
互いの防衛責任の再確認。米国は日本、および尖閣列島を含む日本の行政管轄下である地域の防衛責任を再確認。
新・ガイドラインの誠実な履行。有事法制の国会通過も含む。
米3軍と陸・海・空自衛隊の密接な協力、施設の共用、訓練の統合を推進し、1981年に両軍が合意した役割と任務(5月のレーガン・鈴木善幸共同声明に際し初めて登場した同盟関係と千カイリ防衛)を見直し、更新せねばならない。また古いパターンを脱し、リアルな訓練がやれるよう投資せねばならない。さらに、新しい難題に対して支援し合い、平和維持や平和活創出活動で協力する方法を定めねばならない。新しい難題とは、国際テロや国境を越えた犯罪、長期にわたる潜在的脅威のことである。
平和維持活動や人道救難任務への完全な参加。そのためには日本は、こうした活動への参加に関して92年に設けた制約(PKFの危険な本隊業務への参加凍結)を取り払わねばならない。他の参加国に負担をかけてはならないからである。
機動性に富み、柔軟で、多様で、生き残り性がある戦力構造の開発は何でもやれ。その戦力の増減は人工的な数合わせではなく、地域の安保環境を反映したものでなければならない。そのプロセスが進展するにあたっては、戦力構造の変化について両国で相談し、話し合い、合意するという過程を経ねばならない。米国は技術革新や地域開発を十分考慮に入れて、日本列島における米軍プレゼンを再編せねばならない。我々は日本における米国の軍事的足跡をできるだけ減らす努力を、軍事的能力を維持できる範囲内でなすべきである。この戦力削減の努力の中には96年に締結されたSACO協定にある基地統合とその迅速な実施も含んでいる。
米国の軍事技術の日本による利用を優先させること。軍事技術は同盟関係全般の中で重要な位置を占めている。我々は米国の防衛産業に対して日本の会社と長期/計画的な提携関係を結び、軍事及び軍民両用テクノロジーの米日2方向の流れを助長するよう促さねばならない。
TMDに関する米日協力の範囲を拡大しなければならない。
我々が提唱した日本の役割の拡大について、今後米日両国で有益な議論がまき起こるであろう。その際、米政府当局者や議員は日本の政策がどんな場合でも米国の政策と同じとは限らないことを悟らされるだろう。今や、バードン・シェアリング(費用分担)が、パワー・シェアリング(力の分担)へと進化すべき時期である。次期米政権はこの問題に時間をかけなければならぬ。その実現のためにどうしても必要だからである。
Okinawa (沖縄)
在日米軍の約75%が沖縄に集中している。これは安全保障上と、もう一つ距離上の理由からである。沖縄は東シナ海と太平洋が接する場所に位置し、韓国・台湾・南シナ海へ飛行機でたった1時間だ。
米空軍嘉手納基地は、地域の戦力投射の要といえる位置にある。日本防衛でも重要な役割を果たす。沖縄駐屯の第3海兵隊遠征軍は自力作戦能力をもつ前方展開/即応部隊であり、非戦闘員救出作戦から侵略者を叩く最新戦力の大型作戦までやれる。
しかし、米戦力の過密集中は沖縄県民にとって大きな負担になっているし、米軍にとっても演習の制約などの問題がある。作戦テンポが濃密なことや隊員が若いことから、海兵隊は日本国民から特殊な目で見られ、日本人は最南端の沖縄県における米軍のプレゼンスの変更を望んでいる。
米海兵隊はよき隣人たるべく努力を重ねてきたが、基地の周辺の人口急増によって即応態勢や訓練への支障が増えつつある。米兵の非行事件は統計的には急減しているが、今の政治風土下で、不幸にも発生した事件への関心は過度に大きくなる。
1996年、SACO協定によって在沖米軍基地の再編・統合・削減が求められた。日米両国はその協定を実施することになっており、削減は普天間飛行場も含めて5000ヘクタール、11施設にたちする。
我々はSACO協定が第4の大事な目標を盛り込むべきであったと思う。アジア太平洋地域における(米軍基地の)分散化である。軍事的見地からすれば、米軍が地域全体で広範かつ柔軟なアクセスを確保することは非常に重要であり、一方政治的見地からすれば沖縄県民の負担を軽くすることが不可欠である。そうすることによって、永続的で信頼できるプレゼンスを確保できるのである。日本における米軍の戦力構造に関する検討はSACO協定の段階でとどめてはならない。米政府は、アジア全体を通じて海兵隊のもっと広範で柔軟な展開と訓練のオプションを考えるべきである。
Intelligence (情報技術)
東アジアにおける米日両国に対する潜在的脅威と目に見える危険の性質の変化は、情報技術能力の面でもより一層の協力と統合を必要としている。
米日の2国間同盟の重要性にもかかわらず、米国と日本の情報技術共有に関して見ると、我々が非常に密接な関係をもっているNATOの場合と、日本の場合は対照的である。
NATOの場合は、世界的な情報技術能力の発たちが米国との関係に拍車をかけており、さらに各国の財政不足と、平和維持・平和維持活動がこの分野の協力/統合を促している。
皮肉なことに冷戦後の方が脅威の性質が分かりにくくなり、政治的選択も複雑になって、米日が共有している世界の安保上の脅威に関する情報の収集/分析における協力の必要性が増大した。東京は現在の情報活動面での米日の結び付きがニーズに合わない旨を明らかにしたことがあった。
米国からすれば、日本との協力強化は明白なことである。同盟国は対比的・競合的な情報の収集及び分析に基づいて考えの違いを明確にすると同時に、政治行動では合意にたちする必要がある。情報技術の共有こそがそれを可能にする道である。さらに言うなれば、仕事の割り振り(両者の得意分野を生かしての分析業務の分業)は限りある財源の節約になる。日本は世界各国との関与を生かして、戦略レベルの情報交換に貴重な情報や洞察を提供する能力をもつ。
もっと重要なのは、日本との情報協力の長期/計画的な構想をもっと前からもつべきであったということであろう。もし日本との情報活動での結び付きの強化に失敗したならば、難問への共通の理解と行動が必要な際、見解や政策に齟齬をきたすであろう。
情報技術分野における協力が重要であることは日本にとっても同様である。日本がより大きな国際的貢献を果たすためには、自前の情報技術能力及び米国との協力の両方の強化が必要である。
情報技術の強化によって、日本は政策形成・危機管理・国策決定プロセスなどを改善できる。将来日本はアジアの内外で様々な脅威に直面し、より複雑な国際的責任を負うであろうが、国家安保におけるよりよい判断に必要なのが情報活動である。
情報活動分野での協力は、米日同盟で日本の役割を強める。米日の情報技術共同体の大きさに不釣り合いがあるなら、もっとバランスのとれた形にするには時間がかかる。しかし、長期的には潜在的脅威に関する情報の改善を図り、分析を競い、見方を補足し合うことで協力態勢と情報交換は強化されるであろう。
米日双方の国家レベルの問題として、情報技術協力は国家レベルでの管理が必要であり、新しい形式と現在の協力関係の拡大が必要である。ワシントンは次の項目を義務とせねばならない。
国家安全保障担当の大統領補佐官は、米日情報技術協力の強化を政策に掲げ、優先的に実施する。
CIA長官は、議会と調整のうえで日本の国家安保にかなったやり方で協力関係を拡大する。不法な出入国、国際犯罪やテロといった国境を越えた問題は両国とも役所の縄張りを外した調整が必要。
独自の情報収集能力を開発したいという日本の正当な願望を米国は支援しなければならない。その中には独自の衛星の保有も含まれる。情報の分担/共有の質の改善に速やかに注意を払うこと。
米国は分析センターにおける共同の人員配置、相互教育プログラム、情報技術ネットワークを密にする対等な主導権などを尊重すべきだ。
米国の情報技術分野での協力関係を強化するために、東京は次のような基本的措置をとらねばならない。
日本の指導者は秘密保護法制定への公的、政治的支援を獲得する。
情報技術能力の改善は政策決定の助けとなるが、東京の指導者は政策決定プロセスの改善にも取り組むべきである。つまり、情報の共有を米日間と同様、日本政府部内でも実行すべきである。
従来の経験が教えるところでは、情報活動のプロセスにどのような内閣を組み入れるかの討議が必要である。民主主義の下では情報技術の監視が、それを政治的に支援する場合には必要である。
日本が将来の防衛上の諸問題と取り組み政府を再編するにあたって、米日の情報技術協力関係を密室の中からおもてに出すときが来ている。
Economic Relations (経済的な関係)
日本が経済的に健全であることが、米日関係がうまくいくためには欠かせない。アジアの全地域における米国の国益は繁栄し、成長し、そして強健な日本経済の恩恵を被っている。日本は米国産品の3番目のお客であり、日本の不況が続けば米国の労働者や企業は大打撃を受ける。日本が経済的に弱くなると、世界のカネの流れは不安定かつ不確実なものと化す。さらに日本の国民が内向的になり、挫折感を感じ、自身を失えば同盟も活気がなくなる。
不幸なことに日本はすでに10年にわたって経済的停滞と後退に陥ってきた。92〜99年に実質の年間平均の経済成長率は1%であった。97〜98年で10年目となり、99年後半に再び悪化した。
自立的な経済成長を回復できるかどうかは、ひとえに市場の開放と、私企業がグローバリゼーションの勢いに乗るのが解決策と悟ることにかかっている。ここで大事なのは規制緩和や貿易障壁の低減を続行することであり、市場開放を助けるもっと強力な規制や制度を作ることである。
このことは日本でも一部の政策エリートには理解されていることであり、1986年にまとめられた前川レポートをはじめとする公式レポートの多くにも記述されている。70年代半ば頃から、外国人たちは日本の政策立案者たちに日本経済の透明度とオープン性高めるよう促してきた。この欲求不満はますます高まり、その後の米政権は東京に次から次へと新しい貿易政策や経済政策の選択肢の採用を促してきた。
改革の前に立ちふさがる障害は大きい。熟練労働者(そのうち2〜30%が終身雇用という居心地のよい聖域にいる)や、保護されてきた産業や、各種の産業に采配を振るうのに慣れてきた官僚たちは現状維持に懸命である。さらに日本人は、他に選択がない場合を除いては過度な変化を嫌がる。国の経済がまだ危機という状態にはなっていないと主張する連中さえいる。日本人の切迫感の欠如・公な行為として急激な変化を拒む国民性が、政治的及び心理的に骨の折れる改革を妨げるのである。
それと同時に、日本が経済問題と取り組んで一定の成果を挙げてきたのを認めることも大切である。例えば、西側の多くのエコノミストは東京がやったビックバンと称する一連の財政分野での統制撤廃や1998年の銀行救済を高く評価している。外国の直接投資は(他の主要工業経済における場合と比べるとまだ少ないが)劇的に増えた。こうした局面での進展は競争や新しいビジネスのお手本を導入した。企業は米日相互関係を通しての収益率に重きを置くようになり、こうした転換は時代遅れの「系列システム」を弱めた。起業家精神が盛んになり、ベンチャー資本市場が育ってきた。
情報通信産業(IT)の業界が急成長している。新しい会社がスタートし、いろいろな経済分野に及ぼす潜在的恩恵は並々ならない。しかしエコノミストの間では、IT分野の成長が過去10年間の不景気から経済を救ってくれるかどうかで意見が分かれている。
いろいろな制約の障壁が他の産業におけるITテクノロジーの成長を妨げ、採用を遅らせているからである。このIT分野が経済に果たす潜在的な重要性が、経済システムのさらなる明るい未来を保証する。情報技術産業によってもたらされる最大の貢献は、模範的なビジネス育成のため統制撤廃と柔軟性のクサビを打ち込むことである。
しかし、経済回復への邪魔者がまだある。特に銀行に関しては、未だに適切な取り組みがなされていない。また、財政上の刺激があまりにも情実的な公共投資に偏り過ぎている。それは長期的成長にほとんど役に立たなさそうに見える。こうした財政的にうまくないやり方は国内産品の価格を上昇(1.2倍)させ、借金を増やしている。日本の借金は他の主要経済国の借金合計よりはるかに多い。
私企業のダイナミズムを使って経済転換を推進しようというもっと刷新的な試みが軌道に乗っている。日本の物価はさらに上昇しそうである。日本経済が長期的な健全性を取り戻すには、日本の政治家が実行するのを嫌ってきた短期的な犠牲もやむを得ぬ方法が必要である。米国は以下のような政策の採用を日本に促さねばならない。
日本経済のさらなる制度的な改革。誰にでもオープンな開放市場こそ、長期的な経済回復に必要である。
短期的な財政上、金融上の刺激を続けること。借金の増加とは別に、東京は将来の成功を約束する分野に努力を集中すべきである。橋やトンネルや高速鉄道作りは何の効果もなく、中止すべきである。
会計やビジネス運営や規則作りにさらなる透明度が必要である。日本の経済統計の質を向上させねばならない。また財政当局や地方官庁には、彼らの財政状況に関する真実の会計報告が要求される。政府も情報公開にもっとオープンであるべきである。
統制撤廃を、特に経済発展に大きな恩恵をもたらす遠距離通信のような分野において急がねばならない。
日本とシンガポールとの間の自由貿易協定の締結を督促すべきである。韓国・カナダ・米国、そして他の関心ある国々と同じ協定を結ぶテストケースになるからである。
日本に市場を開放させ、構造改革を促すために米政府が主導権を発揮する能力は低下している。米国は不十分な改革が米国の会社に悪影響を及ぼす時か、世界経済を危うくする時にのみ妥当な関心をもつ。この分野では立派な企業統治基準や事業運用の透明度を作り出すことなどで米政府は注目と行動を続けてゆく。
米日関係改善のため、米国は以下のことをたち成せねばならない。
米国の経済的関心を端的に表明しなければならない。ワシントンは日本が今取り掛かっている制度的な変化に対処することに優先度を置くべきである。時期政権はこの経済的課題に取り組むために米国民の支持を得なければならない。
日本への外国の直接投資を増やす問題で、ワシントンは対話を始めるべきである。外国の会社によって新しいテクノロジーと、新しいビジネスのお手本がもたらされる。それは日本の経済を直接的に、また競争による刺激というかたちで間接的に手助けする。
次期政権は、最高の優先目標の一つに世界貿易交渉の新ラウンドを置かねばならない。米国のリーダシップの死活は、この主導権を握るかどうかに掛かっている。そのための努力をするにあたって、米国とパートナーの諸国は工業関税・農業交付金・資金サービスに関する貿易障壁・・・などの撤廃を目指すべきである。そして、国際的な会計基準の設定、とりわけ財政制度設立のための話し合いを求めるべきである。
米日経済関係の重要性にかんがみ、たとえ両国が世界貿易機構(WTO)に懸案事項の解決を任せたり、協力のための新しい扉を設けたとしても、依然として2国間貿易は重要手段である。
米国は日韓の間に始まったばかりの経済協力を督励すべきである。
Diplomacy (外交)
これまでずっと米国は日本が次第に国際的に大きな役割を果たすようになるのを励ましてきた。大体のところは、日本は米国の激励に応えてきたと言える。とりわけ人道的救援や、安全保障の非伝統的な分野(戦闘行動以外の分野)で日本はそうしてきたのであって、その多くが米国の活動への協力の形であった。
日本は世界銀行や国際通貨基金(IMF)、国連、アジア開発銀行において指導的、もしくは第2の貢献者としての役割を果たしている。その他の主要な他国間制度においても同じである。現在の2国間協力を維持し、新しい協力に向けて扉を開くには双方の国民の支持が不可欠である。
米日の外交関係の中で抜けがけはやるべきではない。日本はワシントンとの調整なしにアジア通貨基金のような発想をしばしば打ち出した。一方米国が、先行した外交路線に後になってから日本を招き入れたこともしばしばあった。米日外交で不愉快な思いをするのは、相手に先んじられて慌てて自分の政策を決定するときである。過去に米国が日本の外交を「小切手外交」と見てイメージダウンを感じたこともあった。日本は、国際的なリーダシップとは彼らの伝統的なばらまき外交ではなく、リスクの負担を含むものであることを悟るべきである。
米国は、ある議題が東京によく理解され積極的に支持されていると確信しているときでも、日本の最終的な狙いについて考慮を巡らさねばならない。ワシントンは、東京にとって多国間の枠組みを作る努力が重要であるということを知るべきである。日本政府は、こうした形で主導権をとるのを国家意識の表現とみなす。米国のリーダシップを傷つけるやり方だとは受け止めない。首脳会議の最後に出す大げさな声明より、静かな舞台裏の根回しの方が効果的である。
外交案件における日本の独自性の追及が、全て米国の外交政策と相容れないわけではない。以下のように両国は多くの利害関係を共有している。
アジアにおける米軍の約束された前方展開プレゼンスの維持。
紛争予防・平和維持・平和創設の活動により効果的に取り組む制度としての国連の改革。米国は安保理事会の常任理事国になりたいという日本の要求の後押しをしなければならない。しかし、常任理事国入りには集団安全保障への参加という義務があり、日本はそれに取り組むべきである。
中国が地域の政治・経済に積極的な役割を果たすように促すこと。この件に関する米日の対話の続行。
朝鮮半島における和解を支えること。ワシントンと東京は韓国・日本・米国の3者グループへの肩入れと、朝鮮半島問題への取り組みを続行。さらに3者協力を拡大する好機を追及すること。
極東におけるロシアの安定を支え、ロシアの莫大な天然資源の開発助成。対露政策のより効果的な調整。
ASEANを活発で、独自的で、民主的で繁栄する方向へ向かわせるための元気づけ。ASEAN加盟諸国の個々に対しては、米日の政策の違いはあるが。
インドネシアの領土統一と景気回復へ向けての支援の調整。
世界第2の経済規模である日本は現在の経済状況を、海外援助政策を後退させる言い訳にしてはならない。与える側より受け取る側の立場を大事にする政策をやめてはならない。日本人はアジアにおいて経済成長とオープン性を推進すべきである。円の国際化という東京の要求は、日本の財界マーケットの透明度が増した時にのみ成功するであろう。
Conclusion (結論)
150年近く前にペリー提督の黒船が東京湾に来航して以来、米日関係が日本とアジアの歴史を作ってきた。将来はどうあれ、これは確たる事実である。
21世紀の夜明けにあたって、逃れようのないグローバリゼーションの力と冷戦後のアジアにおける安保環境の激動が米日に複雑な課題を突き付けている。
どのように両国が個別的に、またパートナーとしてその課題に対応するかがアジア・太平洋地域の安保と安定、そして新しい世紀の可能性を決めるであろう。過去において両国の相互作用が地域の経済・政治・戦略に影響したのと同じである。
以上
http://www.sys-tems.co.jp/nexus/attntion/arm_0010.htm