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サダム・フセインに対するアラブ人の愛憎
−何かがおかしかった、「正義」で執行された絞首刑 −
http://www.ohmynews.co.jp/News.aspx?news_id=000000004815
本文より
私は暴君の信望者では毛頭ない。若いころから、人権侵害に関して反対の声を上げてきた。カイロでは政府の介入に抗議する学生たちと連帯した。アメリカのシアトルでは、マイノリティー優遇措置の継続を要求する、アフリカ系アメリカ人たちのために機会均等を求める行進に参加した。私は人生の大部分を難民キャンプで過ごした。キャンプはイスラエル軍が占拠していたパレスチナ自治区ガザにある。
フセインは、その風変わりなやり方で、汎アラブ民族主義の最後の原動力を象徴していた。多くの点で、他者の追随を許さなかった。世界中の多くの人がそう見なす「厳しく傲慢(ごうまん)」な米国という存在に対してあえて立ち向かう、数少ない人々の中の1人だった。中東に住む多くの人にとっては、フセインは「2つの災いのうちの『まし』な方」だった。
残忍なイスラエルの占領下で育った若者だった私や私の仲間は、共同のアラブの決意こそが圧制や屈辱から解放される唯一の方法だとおろかにも信じていた。ガザ地区の難民キャンプで、イスラエル軍が課した夜間外出禁止令の中で眠りにつくとき、アラブ軍が今すぐにでもやってきて、私たち全員をこの牢獄(ろうごく)から解放してくれるだろう、と時折考えては安らぎを感じていた。しかし、アラブ軍がやってくることは、決してなかった。
ガザでは、数え切れないほどの友人や家族を、イスラエルの占領軍の手で失った私の悲しみは、ガザの難民キャンプにいる100万人以上の難民たちが共有する宿命だった。新たに何の罪もない人が犠牲になるたびに、「1つのまとまったアラブ」への願望は強くなった。しかし、時が過ぎ去り、アラブ集団の夢は「アラブの混とん集団」に変わってしまった。
アラブ諸国を待ち受ける先行きの不安にもかかわらず、多くのアラブ人は「自分たちの不幸がどこから来ているのか、これほど明らかになったことはない」と感じている。人々は、高く評価されてきた「アラブの文明の宝石」、つまりイラクへの先制侵攻という最終的な結果をもたらした「帝国主義」を憎悪しているのだ。人々は「従属国の政権」に抗議をし、そしてこのような政権から自分たちを引き離してくれる人物なら誰でも支持した。 おそらくこれが、多くのアラブ人が持っている、フセインへの愛憎関係の背後にある理由だ。フセインは残酷な独裁者だった。しかし、米国に、そして米国のアラブ世界への帝国主義的なたくらみに挑戦したのだ。
世界中のアラブ人やイスラム教徒たちがフセインの生涯や指導力に関して感じたことが何であれ、フセインの捕獲、裁判、威厳がない処刑は私たちアラブ人全員にとって共同の屈辱であり、この屈辱感はおそらく長い間消えることがない。