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From: Aoki Masahiko
Sent: Thursday, February 01, 2007 9:36 AM
Subject: [nmw] イラク戦争米兵重傷者のルポ
もしベトナム戦当時の医療水準ならイラク戦での米兵の死者は1万人を超えて
いるかもしれない。米兵の重傷者の施設をルポ。
自衛隊は今はトラウマでの自殺者だけだが、まもなく”米軍によって”派遣さ
れた地でこのような運命が待っている。米でも日本でも、命令した人間は(慎太
郎のように)高級料亭で毎晩ガハハハハ・・、命令された人間は命か体の一部を
失うというこの「格差」。
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東京2月1日
米重傷兵終わらぬ闘い
もう一つのイラク戦争
3月で開戦から4年を迎えるイラク戦争。米兵の死者は3000人を超えたが、
負傷兵も約2万3000人に上る。中でも爆弾テロなど新たな形の戦闘で、複雑
な障害を抱え帰還した重傷兵専門の治療施設を、米フロリダ州に訪ねた。社会復
帰への苦しい闘いは、出口の見えない戦争のもう一つの重荷になっている。
(米フロリダ州タンパで、石川保典、写真も)
■ポリトラウマ
フロリダ州タンパの復員軍人病院にある「ポリトラウマ(複数の外傷)リハビ
リセンター」。
イラク中部ファルージャで昨年十一月、武装勢力が道路脇に仕掛けた簡易爆破
装置(IED)により、軍用車ごと吹き飛ばされた米海兵隊員ジョン・ロックウ
ッドさん(26)は、折れた不自由な左腕で木製ピンをつかむ訓練に取り組んで
いた。
親友は死亡。ロックウッドさんのけがは比較的軽いとはいえ、左目が陥没し嗅
覚(きゅうかく)も喪失。車いすに乗せた両脚には、砕けた骨を固定する五十四
本のピンと百九十二針の縫いあとが生々しい。「立てるまで二年はかかる。まだ
手術が必要」と医師は言う。
■1人平均4種
全身に及ぶ傷は「米軍がイラク戦争で初めて遭遇した、テロ時代特有の負傷
だ」と、スティーブン・スコット同センター所長。特に直近で爆発するIEDに
よるけがが多く、衝撃波や爆風による頭部外傷、手足の切断、破片で脊髄(せき
ずい)を損傷しての半身不随、失明や聴力喪失、やけどなど、患者は平均で一人
四種類のけがを負っているという。
ベトナム戦争時代に、米兵の致命傷となることが最も多かった胸部は今や防護
服に守られ、負傷から二十四時間以内にドイツへ、数日以内には米本土へ空輸さ
れる。イラクでの手厚い医療態勢は、過去の戦争より格段に致死率を下げた。そ
の半面「より長期の治療とリハビリが必要な重い障害を伴う負傷も増えている」
(スコット所長)。
米軍は二〇〇四年、こうした新時代の戦傷「ポリトラウマ」に同時対応できる
施設を、タンパなど国内四カ所の復員軍人病院に整備。これまでに約三百人が治
療とリハビリを受けたタンパのセンターでは、各分野の医師やセラピストら四十
五人が連携している。
リハビリでは、痛みや不安との闘いが数カ月から一年以上も続く。脊髄損傷で
胸から下が不随の海兵隊員マイク・ドランシーさん(21)は、入所して三カ月。
顔をゆがめリハビリに取り組む右腕には力が少し戻ったが、無感覚の脚は回復の
見通しが立たない。「歩ける日がいつくるのか、考えるのは毎日そのことばかり。
だけど、あきらめはしない」とつぶやいた。
■重度の失語症に
IEDなど爆弾による頭部のけがは、とりわけ社会復帰に影を落とす。ある陸
軍軍曹(23)は〇五年十月、IEDの衝撃波による脳梗塞(こうそく)で重度
の失語症になった。リハビリに当たったリンダ・ピコーン氏によれば「最初は会
話や読み書きもできず、人の話はほとんど理解不能」。訓練は「あなたは寝てい
るの?」などの簡単な質問を、仕草や絵で理解させることから始まり、九カ月後
には単語で意思疎通が可能なまでに回復した。依然、簡単な足し算すらできない
が、それでも「脳の記憶力と注意力の部分に損傷がなかった彼は、言葉を習うこ
とができ幸運だった」とピコーン氏は言う。
脳の損傷はほかにも、歩行困難や発声、視覚、知覚の異常、適切な社会的行動
が取れないといった障害をもたらし、治療は長期にわたる。一方で頭部は無傷な
のに、頭痛や悪夢、めまい、抑うつ、怒りっぽいなど、心的外傷後ストレス障害
(PTSD)に似た症状に悩む帰還兵も増えている。爆風によるこの“隠れた脳
の傷”は、イラク戦争で初めてクローズアップされた。十万人以上の米兵が帰還
する「イラク撤退」後も、米政府はさらなる難題を抱えることになる。