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年末から年始にかけて読んだ新聞、雑誌、書籍の中で興味深いものを紹介して年始のコラムとしたい。
そのひとつは栗林中将の最期をめぐる史実である。文芸春秋2月号でノンフィクションライターの梯久美子がこの説を検証している。梯はその著書「散るぞ悲しき」(新潮社)で軍人栗林を描き、これがベストセラーになった。またクリント・イーストウッドが描く「硫黄島からの手紙」の栗林は感動的だ。しかしその栗林の最期が、兵士の先頭に立って勇敢に突撃し散っていったという通説とは異なり、降伏しようとして部下に斬殺されたとすればどうか。この説を知らなかったと素直に認めた梯は旧防衛庁に眠る戦史叢書などを独自に調査した。結論から言うと、梯はいずれが真の史実か断定できなかったとし、それでも「絶望的な状況下で最善を尽くした栗林は、軍人として生き、死んでいった事は間違いない」と締めくくっている。
2つ目は1月7日の読売新聞がスクープした松岡洋右元外相の言葉である。「国連よさらば」という文句を吐いて日中戦争に突き進んだ松岡はまた日独伊三国同盟を推進した外相でもあった。その松岡は、通説では対米戦争に道を開くことになった三国同盟締結を、「一生の不覚であった。死んでも死に切れない」と泣いて悔やんだことになっている。ところが読売のスクープでは親しい友人の徳富蘇峰にあてた手紙の中で、真珠湾攻撃の戦果を「実に痛快、壮快!」「唯戦へ、唯闘へ、闘ひ抜ひて勝て!」「『ル』(ルーズベルト)大統領色を失ふと、伝ふ。左もありなん」などと喜んでいたという。現代史家の秦郁彦はこの書簡を知って「元外相が庶民並みに浮かれていたことがはからずも明らかになったことは寂しい限りだ」と嘆く。
最後は元陸軍兵務局長田中隆吉が終戦直後に軍閥の専横を告発した「敗因を衝く」(中央文庫)の中で明かされているキーナン検事の言葉だ。キーナンは絶対に口外するなと断わった上で次のように田中に話したという。「……私はトルーマン大統領から極めて重要な指令を受けて日本へ来た。そのことはマッカーサー司令官も了承済みで東京裁判の最大の任務だ。それは天皇に責任がなかったという結論を打ち出すことだ。協力しろ」
我々はどこまで真実を知らされているのか。9・11事件が捏造されたものだったと明らかにされる日が来るかもしれない。
(隔週月曜掲載)「日刊ゲンダイ」1/16(15発行)