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伊、元ナチス10人に終身刑-800人虐殺(コリエレ紙)
ー記事全訳出開始ー
マルツァボット(中部イタリアの都市)の虐殺 欠席裁判
10人に終身刑
被告のうち7人は無罪
ラ・スペッツィア軍法廷、SSがイタリアで犯した最も残虐な
行為のひとつの裁きに幕引き。
ラ・スペッツィア発
ナチスによるマルツァボット虐殺裁判が幕を閉じた。
ラ・スペッツィア軍法廷は、被告17人のうち10人(全員欠席)に
終身刑を言い渡した。 最終口頭弁論後にヴィンツェンツォ・
サントーロ率いる司法側は会議室に移った。 マルコ・デ・
パオリス検察官は15人に終身刑を求めていたが、うち5人には
虐殺が行われたと特定された日にマルツァボットにいた確証が
得られなかった。
*末尾に被告リスト
犠牲者800人
800人以上の犠牲者を出したこの事件は、1944年の9月29日から
10月5日に遡る。
マルツァボット事件は、SS Panzergrenadier Reichsfurher
16師団による最も残虐なもののひとつで、その目的は43年より
ボローニャ山間部で活動していたパルチザン旅団”赤い星”の
殲滅だった。 9月29日未明、全域を包囲したドイツ人による
犠牲者は、女性、子供、5人の司祭。 民間人が教会に逃げ込んだ
カザーリアでは、祭壇の上で教区司祭が、墓地で民間人が殺された。
チェルピアノ・ア・モンツーノの礼拝堂では手榴弾で49人が殺され、
うち20人が子供だった。
マルツァボット事件では、51年にボローニャ軍法廷が 16師団
”片手の”ワルテル・レデル少佐に終身刑を下したが、その後
オーストリア政府の調停で恩赦となっている。
ドイツ側の傍聴者なし
43年から44年の間にナチス・ファシストがイタリアで犯した犯罪
関係資料273が50年の歳月を経てローマで発見された”恥の戸棚”
から13年後、Certosa di Farneta, Sant'Anna di Stazzema,
Branzolino San Tomè、Falzano di Cortona(全て虐殺が行われた地名)
に次ぎ5番目のナチス・ファシスト裁判には、少なくとも30人の
軍検察官が従事。 空白時間の長さから、作業は困難を極めた。
イタリア側からはおよそ50人が傍聴したが、ドイツ側にはみられ
なかった。
07年1月13日
http://www.corriere.it/Primo_Piano/Cronache/2007/01_Gennaio/13/marzabotto.shtml
被告 Josef Baumann, Wilhelm Kusterer, Max Roithmeier,
Max Schneider, Heinz Frits Trager, Geirg Wache,
Helmut Wulf, Hubertt Bichler, Adolf Schneider,
Kurt Spieler, Franz Stockinger, Gunther Finster
Albert Piepenschneider
(記事には以上13人しか書かれていない)
Hermann Becker, Otto Erhart Tiegel(無罪)
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02年、ラウ独大統領(当時)がマルツァボットを訪れ、謝罪。
(犠牲者数が1800人とあります)
現代イタリア辞典
http://homepage3.nifty.com/bologna/marzabotto.html