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第1回はここ ⇒ http://www.asyura2.com/07/war87/msg/845.html
以下は http://blog.goo.ne.jp/nakanisi-sakai/e/9b8d8aabd13f9fef012c062c38199fcc からの転載
★遊牧民★です。
私の尊敬する友人であるダルマ先生の論説を数回に渡り連載します。
今夜は第2回です。
《9・11事件の真相》 著者 ダルマ先生
1−1.ジャンボ旅客機操縦の難しさについて
◎『Boeing 767の操縦とハイジャックテロ』
〔以下は『航空情報』誌の依頼によりAURDO 前田仁機長が現役パイロットの視点で事件を分析し考察した 記事(2001年10月執筆)からの抜粋、出所原文はhttp://www.remus.dti.ne.jp/7Ewings/maedahijack.html 〕
B767は1982年7月に米国で形式証明を取得した、いわゆる第四世代のジェット旅客機である。 経済性に優れ騒音が小さく2名で操縦できるように最新のデジタル技術を駆使したものである。この技術により離陸から着陸までの操縦操作を自動化出来るようになった。
FMC(フライトマネージメントコンピューター)は、フライトディレクター「FD」(飛行監視装置)、オートパイロット「AP」(自動操縦装置)、オートスロットル「AT」(自動推力装置)へ情報を送り、バーチカルナビゲーション「VNAV」とラテラルナビゲーション「LNAV」を行う。 〔中略〕 B767にはB767-200、-300、-300ER(長距離路線仕様)、それに形式証明を取ったばかりの-400型まであり、ここでは-300型ERで説明してゆく。
-300ERの大きさは、幅47m、長さ55m、高さ16mほどあり、重量は110トン〜160トンと使用目的(短距離〔伊丹〜松山〕から長距離路線〔成田〜シドニー〕)により幅があり、長距離飛行の場合には機体重量の約35%が燃料の重さになる。 〔中略〕 操縦室には、前方に向かって左側に機長、右側に副操縦士が座り、彼らの後ろに2席のジャンプシート(補助席)が用意されている。オーバーヘッドパネル(天井)には、油圧、電気、燃料、与圧、空調などの調整装置とIRS(慣性航法装置)、ボイスレコーダー(音声記憶装置)、APU(補助動力ジェットエンジン)の始動スイッチ「SW」、ワイパーSW、ライトSW、EVAC(非常脱出指示)SW、燃料放出SW、防氷調整SW、エンジン始動SW、操縦室ドアー開錠電磁キーやインターフォーン選択SWなどが配置されている。
グレアーシールド(前方窓下の棚)手前にFD、ATとAPの選択SW類があり、両側にVOR(超短波全方向式無線標識)の受信機が配置されている。 両パイロットの正面には飛行に必要な計器が同じ配列で、それぞれ並んでいる。 〔中略〜離陸・飛行・着陸などの操縦技術を詳細に説明〕
B767の限定変更訓練に投入されるパイロットの資質は、事業用操縦士、マルチエンジン(双発以上)資格、 計器飛行証明資格を持っていることが最低条件である。
a.GS(座学) 〜 B767の各システムを理解する為のGSを約1ヶ月半CRT(視聴覚装置)で行う。 機体、電気、油圧などシステムごとにまとめられているCDをコンピューターに入れ、画面とレシーバーから流れる解説を聞き勉強する。 内容は写真、図面、系統図、更にそれらが作動して変化してゆく状態をアニメ化したもの等である。理解できない場合のみ、教官を呼んで説明を受けるセルフスタディー方式である。各システムの最後にテスト問題があり、80点以上取れないと次ぎのシステムへ進めない。CDは、何度でも再生 できるがテストは1回だけの再生でお終いである。不合格の場合は教官へ申し出ると、再試験が出来る。
b.FBS(システムトレーナー)訓練(2週間) 〜 システムトレーナー(計器、SW、レバー、表示ランプなどが実際と同じ作動や表示をする)装置を使い座学で学んだ内容を実際に操作する訓練。通常のエンジン始動、 代替操作から緊急時のSWワーク(操作)までを学ぶ。
c.FMCトレーナー(1週間) 〜 FMCトレーナー装置といい、FMC表示器、入力テンキーパッド、これらに連動されたコンピューターとFMCモニター(TV画面にルートや飛行場が表示され、ミニチュア飛行機が画面上を動いてゆくもの)を使ってFMC操作に精通する訓練。FMCの通常入力方法、応用オペレーショ ンと故障時の対処方法を学ぶ。
d.FFS(シミュレーター)訓練(30時間=1ヵ月半) 〜 フライトシミュレーターを使い通常飛行と異常運 航からの回復操作などを訓練する。(中略)
e.ローカル訓練(実機訓練)(6時間=1週間) 〜 訓練所が航空局の指定養成施設の許可を持っていないと実機試験もしなければならない。本物のB767を使い、エアポートワーク(場周飛行)でタッチアンドゴー(離 着陸)の訓練を受ける。
f.ラインOJT(見習)GS(10〜12日間) 〜 航空会社が持っている全路線と使用する空港についての知識 や特性などを学ぶ。
g.ラインOJT(80〜120着陸=2ヶ月) 〜 乗客を乗せて飛ぶ実路線の飛行機に、機長、副操それに「見習い操縦士」の3名編成で乗務し、副操見習訓練を受ける。正規の副操はジャンプシートで各操作の監視業務をして、何かあれば見習と交代する。ここでは航空局の試験は無い。(社内資格)会社試験官が合格を出すと、初めて正規の副操縦士として発令され、乗務ができるようになる。最初のGSから正規の副操として乗務するま でに、最短でも半年間はかかる。
〔航空テロ犯人達の操縦技術について〕
想像であるが、今回のハイジャック&自爆テロ事件の犯人達の操縦技術には、事前にかなりの訓練が行われていたと思われる。この本文を読んだ読者の方も、なまじな操縦技術(小型機の操縦資格)でB767を飛ばすことが難しい事を認識したはずである。 それは、ハイジャックが行われた際、それぞれ、かなりの高空にあったと思われ、飛行機の全システムは自動操縦で西海岸へ向かっていたからである。〔以下省略〕
◎ 公表されたハイジャック機の飛行経過 ハイジャックされた旅客機4機は、航空交通管制機関に航跡を突きとめられないようにトランスポンダー(電波の受信-再発信装置)のスイッチが切られていた。アメリカン航空11便とユナイテッド航空175便の両機は、ロスアンジェルス行のボーイング767型機で、ボストンのローガン空港をそれぞれ現地時間午前7時59分と7時58分の1分以内の間隔で離陸した。
連邦航空行政局航空交通管制部の管制官によると、それら両機は初め北東の方角へ向かい、ある時点でぶつかるほど近づいたと云う。この奇妙な行動はハイジャックされた後の 飛行航跡ではないかと考えられている。 ハイジャックは離陸後早い時期に行われたようで、アメリカン航空11便のトランスポンダーは機体がニューヨークにコースを変えたときに切られたが、機体は主要レーダー上では依然として映っていた。時折パイロットが無線スイッチを押したままでハイジャック犯達の会話が送信されていたので、これを聞いた管制官がハイジャックであることを知り、警備部門に警報を出したと云われる。
その後、乗客81人と乗務員11人を乗せたアメリカン航空11便は、南に方向を変え、8時45分に世界貿易センター(WTC)のノース・タワーに衝突し た。(飛行時間は7時59分〜8時45分の46分)
他方、乗客56人と乗務員9人を乗せたユナイテッド175便機は、途中で進路を南西方向に変え、ニューヨークを通過してから再び進路を北東に変えて、WTCに向かった。同機は、衝突の直前に機体を左に傾けて9時5分に サウス・タワーに突入した。(飛行時間は7時58分〜9時05分の1時間07分) ハイジャックされた3機目のサンフランシスコ行ユナイテッド航空93便機は、午前8時01分にニュアーク空港を離陸し、一旦南へ向かった後、1時間ほど西に向って飛んでから東へ進路を変えた。同機が首都ワシントン に向かうコースに変ったことを知ったホワイトハウスは、急いで職員を避難させた。
同機が2時間の飛行中には、乗客や乗務員から携帯電話によって機内の様子が伝えられていたと云う。パイロット二人と客室乗務員らは、乗客と一緒に機体後部で犯人らの監視下におかれ、乗客たちは生き残りをかけて犯人制圧の機会をうかがっていたとも伝えられている。緊急発進した空軍のF-16戦闘機は、ハイジャック機飛行の後半部分を尾行していたが、機体は突然急角度で降下し、10時10分にピッツバーグ市の南東郊外に墜落した。この墜落が犯人らの意図したことであったかどうかは、手がかりもなく未だ不明であるとされている。
いずれにしても、このユナイテッド航空93便のB757型機(乗客38人、乗務員7人)は、ピッツバーグから80 キロほど離れたジョンズタウン近くに墜落した。(飛行時間は8時01分〜10時10分の2時間9分) 4番目のハイジャック機、ロスアンジェルス行アメリカン航空77便機(乗客56人、乗務員6人)は、午前8時10分、ワシントン郊外のダラス空港を離陸。同機は、一旦西に向った後、急に東へ進路を変えレーダーから姿を消した。 しかし、それがトランスポンダーを切られたことによるのか或いは低空飛行したことによるのかは明らかでない。
同機は、ワシントン市上空に飛来しポトマック川を越えて、9時40分にペンタゴンに突入した と云われている。(同機の飛行時間は8時10分〜9時40分の1時間30分)
1−2.「テロリスト犯人」たちの航空機操縦能力について
アメリカン航空77便機は、午前8時10分にワシントン郊外のダレス空港から離陸し、午前9時40分に、国防総省庁舎(通称、ペンタゴン)に突入したとされている。
その翌日、9月12日のワシントン・ポスト紙は、同機が「並はずれた技能で操縦されており、ハイジャック犯の中にはよく訓練されたパイロットがいたと考えら れる」と報じている。
しかし、その後の新聞報道では、このアメリカン航空77便機を操縦したとされるハニ・ハンジョアと云う男のパイロットとしての腕前は極めて怪しいものであった。彼は、事件直前の8月中旬にメリーランド・フリーウエイ空港にやってきて空港所有機の借用申請をしたが、パイロット熟練度の検査を受ける必要から飛行指導員 が同乗してセスナ172型機で3回飛行テストをされ、単独飛行はとても無理だとして許可されなかったと云う。
このハニ・ハンジョアについては、最近のニューヨーク・タイムズ紙(2002年6月19日)が詳しく報じている。それによると、彼は、サウディアラビアからやってきてアリゾナ州で飛行機の操縦を習おうとしたが、英語もまともに出来ず、空中飛行を怖がり、能力不足で初歩課程もなかなか修了できなかった。 結局は5年がかりで少なくとも4回飛行学校を変え何百時間も実地飛行をさせられて、1999年4月にやっと複エンジン級の商用免許を取得した。
その2年後の2002年2月に、ハニ・ハンジョアはフェニックスの飛行学校で旅客機操縦のための模擬操縦訓練を受けようとした。しかし、指導員たちは「彼がパイロットとしてあまりにもひどく、その上に英語もまともに話せないので、彼の免許が偽物ではないかと疑って連邦航空行政局に照会した」ほどであった。結局その飛行学校では、ハニ・ハンジョアは旅客機操縦課程には不適格で免許をとるのは無理であると云われて終っている。
他方、アメリカン航空11便のハイジャック犯とされるモハメド・アッタと、同じくユナイテッド航空175便のマーワナル・アル・シェッヒの二人についても、ワシントン・ポスト紙(2001年9月19日)によると、フロリダ州ヴェニスにある飛行学校ホフマン航空で数百時間の授業を受け、更にサラソータ・ブラデントン国際空港のジョンズ航空飛行サービス社でも飛行訓練を受けようとしたが、どちらもうまく行かなかったと云う。そこでは、特にアッタの出来が悪く、二人とも初歩的なテストすらパスできなかったので、幾度か厳しく云われて去って 行ったと云う。
やはりワシントン・ポスト紙(2001年9月24日)によると、同じくアメリカン航空77便のハイジャック犯と云われるナワク・アルハズミとカイド・アルミダはカリフォルニャ州サン・ディエゴに滞在して現地の飛行学校に短期間通ったが、どちらも英語力がなく操縦も不適格とされて中退している。
以上要するに、9・11事件のハイジャック犯とされたアラブ人達の中に一流のパイロットがいたと云う話はこれまでのところ皆無であり、彼等についての報道では、どれをとってもジャンボ旅客機の複雑高度な操縦を巧みにこなす技能や飛行経験をもった者は出てこないばかりか、それとは逆のヘマな未熟者ばかりが浮かび上がってくるのである。これでは、誰が考えても、ブッシュ政権が9・11事件のハイジャック突入犯として指名し たアラブ人達は、真犯人ではなく、陰謀として犯人に仕立て上げられただけだと考えざるをえない。
(つづく)