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(回答先: ブレジンスキー:「イラク戦争は植民地戦争だ」(米『PBS』テレビ) 投稿者 さすれば 日時 2007 年 1 月 12 日 15:41:23)
米国のイラク侵攻の本当の狙いは何か
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200510201134024
2005年10月20日掲載
米国のイラク侵攻は石油確保が狙いとする見方が強い。しかし、ドイツの気鋭のジャーナリスト、ユルゲン・エルゼサー氏は近著『戦後ドイツの実像―世界強国への道?/日本への教訓?』(木戸衛一訳、昭和堂)で、それは事実の一面にすぎず、本質は米国の支払い能力の防衛にあるとみる。だがイラクにおける軍事的シナリオが狂ったとしたら…。同書の紹介は今回が最後であり、これまでの問題提起に関心をもたれた読者はぜひこの本を手にしていだきたい。また著者と直接意見交換を望むかたは、このサイトの上記広告と右下に告知されている同氏の日本での講演会に足を運んでほしい。(ベリタ通信)
●経済崩壊からの逃避としての戦争(下)
▼ブレジンスキーの「チェス盤」
米国エリートの脅威分析における変化は、90年代の先駆者による重要著作3冊に示される。フランシス・フクヤマは1990年、「歴史の終焉」を予言した。社会主義の崩壊後、リベラルな資本主義が世界を制圧し、ゆえに闘争や戦争の時代は過ぎ去るだろうというのである。サミュエル・ハンチントンは1993年、正反対のテーゼを打ち出した。西側は脅かされ、イスラム原理主義や中国の儒教をまとった危険な敵が台頭し、「文明の衝突」が迫っているという。ズビグニュー・ブレジンスキーもその4年後、「唯一の世界強国」にとっての危険を見たが、それは別方向からであった。彼は、中国についてはその他大勢の扱いをし、ムスリム原理主義もついでに言及しているにすぎない(ブレジンスキー自身、70年代末、アフガニスタンで神の戦士らと協力し始め、彼らを現実的に評価できるからかもしれない)。彼の分析の中心は、石油資源の豊富なコーカサスからカスピ海に至る地域を支配することでもない。この問題は、全7章中1章で扱われているだけで、批評家たちはその意義を過大に評価している。原典のタイトルは「大チェス盤」というが、この意味は、そうしたこととはいささか異なる。「ユーラシアは今後も、世界の覇権をめぐる戦いが繰り広げられるチェス盤」なのである。「ユーラシアの西端、ヨーロッパには世界有数の政治力と経済力をもつ国がいくつもあるし、東端のアジアはこのところ、世界の経済成長の中心になり、政治的な影響力が高まっている。したがって、世界政治に関与するアメリカがユーラシアの複雑な力関係をどのように管理していくか、とりわけ、圧倒的な力をもつ敵対的な勢力がユーラシアに出現するのを防げるかどうかが、世界覇権国としてのアメリカの力を保つうえで、決定的になっている」という。今のところ、その危険は小さい。ブレジンスキーにしてみれば、西欧が、「ほぼアメリカの保護国の立場にあり、……古代の属国や進貢国のよう」だからである。しかし、それはいつまでも続くのだろうか?
ブレジンスキーは、米国のほか、フランス、ドイツ、ロシア、中国、インドと、地政上の主要5アクターを挙げている。彼が一息に、ユーラシアの対抗勢力を米国覇権にとっての脅威と見る時、それはインドや中国ではありえない。両国は中心から離れすぎている。となると、ドイツ、フランス、ロシアで、これは実際イラク戦争で、ワシントンにとって深刻な邪魔者となった国々である。もちろん同書もNATOへの忠誠を誓ってはいるものの、その内的論理から、モスクワ、パリ、ベルリンへの挑戦が生じている。ドイツ語版の序文で、ゲンシャー元外相は、この挑戦を察知し、「読者のなかには、著者の語法が、多くの箇所で、19世紀から20世紀初期の権力政治・勢力均衡政策の思考を想起させるため不快感を覚える人もいるだろう。また、米国の永続的覇権をこれ見よがしに要求し、却ってユーラシア圏での反米傾向を強めかねないとの異論もあろう。覇権の追求がたいてい対抗勢力の形成を引き起こすという歴史的事例は、枚挙にいとまがない」と述べている。
▼「赤字爆撃」
「短期的には、ユーラシアに現在みられる地政上の多元性を強化し、恒久的なものにすることが、アメリカの国益になる」と、ブレジンスキーは勧めている。注意すべきことに、多元性とはここでは政治的概念ではなく地理的概念である。普通の語法ならば、四分五裂と言うべきものである。危機が始まった1998年以後の米国政治は、まさにこれに準拠している。決定的な戦場はユーゴスラヴィアであったが、これは二重の意味であった。ユーゴスラヴィアで米国は、セルビアと熱い戦争を、ドイツと冷たい戦争を遂行した。なるほどドイツは、米国よりずっと前から、アルバニア人分離主義者を支援していた。ベルリンはまた、ミロシェヴィッチとコソヴォのUCKの仲介役を自分に決めておきたかった(第9章参照)。だが、戦争自体はワシントンの計画で、分裂(ユーゴスラヴィアにとっても、ヨーロッパにとっても)がその帰結であった。米空軍機は、セルビア北部ヴォイヴォディナの目標を狙って爆撃したが、これは、セルビア南部コソヴォへの軍事補給の中断に何も寄与しなかった。むしろ、ヴォイヴォディナでドナウ川にかかる橋が破壊され、中東と黒海を結ぶ交通の動脈が麻痺に陥った。それは、今日まで続いている。さらに米国は、停戦の仲介に国連を介入させようとするドイツの試みを、ことごとく潰した。国連安保理の常任理事国である中国の大使館を誤爆したとされる事件も、この観点で見る必要がある。その目論見が頓挫したのは、ミロシェヴィッチが結局屈服し、ロシア連邦大統領特別代表のヴィクトル・チェルノムイルジンとEUを代表するマルッティ・アハティサーリ〔フィンランド大統領〕が差し出した降伏文書に署名したからにすぎない。ともあれ米国は、またしてもその軍事的優越を実証し、ユーロの対ドル交換レートを次の2年間暴落させた。
父親のブッシュ大統領が、1991年の対イラク戦争でなお明確に尊重し、クリントン大統領も、1995年ボスニア介入の際配慮していた──若干の紆余曲折はあったが──国連は、1999年、脇に追いやられた。その直前、米国はこの世界組織をすでに愚弄していた。1998年12月、イラクで武器査察の危機に至った際、安全保障理事会が解決の可能性を議論するため集まった。ところが米国は、イギリスの支持を得て、協議の結果を待たず、その間大々的な空爆を始めたのである。
他の点についても、1999年は、米国外交の路線転換をはっきり示している。たとえば、クリントン政権は、米ロ間の対弾道ミサイル(ABM)制限条約を延長せず、宇宙空間でのミサイル防衛を構築すると宣言した。包括的核実験禁止条約(CTBT)条約の批准拒否により、ワシントンは、長年追求されてきた核拡散防止の道から離れた。軍事予算は、1998年時点で270億ドルと、すでに統計上続く7カ国の合計を上回っていたのに、レーガン政権以来初めて増額された。
ジョージ・W・ブッシュの大統領就任で、単独行動主義への傾向は、エスカレートする一方であった。もっともシュミット元首相は、クリントンがまだホワイトハウスにいた2000年、「米国は、往時攻撃的に軍備していたソ連に対し、欧州NATO加盟国にとって非常に心地よかったその保護機能を、あまり快くない覇権要求へと転換させようとしている。……そこから、ヨーロッパにとって厄介な状況が個々に生じかねない」と、すでに悲観的な予測をしている。
▼ライヒスマルク、ドル、ユーロ
改めて確認しておくと、「9・11」以前、米国経済は不況に陥っていた。ドイツ銀行のアナリストたちは、「米国と日本は不況だ。ヨーロッパは、さほど被害を受けないで済むよう願うしかない。株式市場は世界中で、少しずつ、しかし全体としては明確な修正を経験した。この状況では、深刻な不況の危機を認め、1929〜33年の世界大恐慌と対比したくなる」と憂慮していた。実際、看過できない類例がいろいろあった。1929年も、2000/01年も、たくましい成長期が長年続いたあげく、世界経済の冷え込みと株の損失が起こった。20年代米国におけるGDPの実質的な増大は平均4・2%で、1991〜2000年の3・8%を上回ってさえいた。
それでも、ドイツ銀行は、大恐慌再現の危険があるとは見ていなかった。「その根本的理由は、金融・財政が、1929年世界経済恐慌の経験から学習したことにある。……1929年の株価暴落後、米国発券銀行は、流動資産を用立てるのをためらい、金利は高いままであった。通貨の流通量は、1931年末までに4分の1下がった。……これに対し2001年、米国発券銀行は、即座に積極的な利下げ政策を始めた。……米国は、膨張的な金融・財政により、世界経済を支えようとしている」からであった。
「9・11」後、この膨張的な政策がさらにはっきりした。冷戦期のような大規模な減税・軍需委託計画で、ブッシュ政権は、景気のテコ入れを試みた。その結果は破滅的であった。なるほど景気は、2002年第1四半期に上向いたが、その後再び下降した。さらに国家予算が、再びはっきりマイナスに転じた。「米国に破産迫る」と、2002年6月、新聞は報じた。2004会計年度、政府は3070億ドルという赤字記録を見込んでいる。こうして、天文学的な対外債務と爆発的な国際収支の穴の後、空虚の恐怖が、最後に残った米国経済の借方項目、国家予算における黒字をも食い尽くした。
ブッシュはヒトラーと同じことを恐れなければならない。軍が勝利に勝利を重ね進んでいる間は、架空資本のバブルは潰れない。米国が軍事的に撃破されれば、すさまじい通貨下落が巻き起こる。1929年暴落の繰り返しはありえないという擬似薬にもかかわらず、ドイツ銀行も「とは言え、この危険は残る。とりわけ、軍事行動が長引くか、さらなるテロが起こった場合がそうだ」と、危険を認めている。
今日ドル(およびドルで値段のついた有価証券)には、第二次大戦中のライヒスマルクと同じことが当てはまる。つまり投資家たちは、誰もがいつどこでも軍事力で、紙切れを商品に交換するよう強要できる間しか、印刷された価値を信じないということである。米国が、世界で2番目のイラクの石油資源を管理下に置けば、その国民経済の信用状態は高まる。
続いてサウジアラビアも「ならず者国家」と宣告され、米国にあるサウジの在外預金──1兆ドルとすら推定されている──が敵国資産として凍結されたとしたら、米国の対外負債の大部分が賄えることになる。また、中国や日本も、やはり1兆ドルという保有外貨をユーロに替えようとする誘惑にかられることはもはやないだろう。両国は、6割方イラクの石油に依存しており、これは米国系多国籍企業の完全な支配下に入るからである。さらに米国は、イラクの備蓄石油を安く市場に投げ売りすることで、ロシアがユーロ陣営にこっそり移行するのを阻止できる。原油価格が世界中で、1バレル17ドル以下になれば(2003年初頭は30ドル)、ロシアの石油収入も下がり、プーチンに国家破産が迫るわけである。このことで、米国の批判者は数多く従順になった。
つまりイラクでは、「石油のための血」だけでなく、米国の支払い能力の防衛が問題なのであって、石油の支配は一面しか表していないのである。とどのつまり行われているのは、資源戦争ではなく世界通貨戦争、ドル対ユーロなのである。
▼ヨーロッパのジレンマ
ドイツがリードするヨーロッパは、板挟みになっている。一方では、ドルが安定を保つように、米国の戦争を支持しなければならない。ドイツの緊縮政策が、すでに80年代半ば以降、国内市場の弱体化を招き、マーストリヒト基準でこの路線が全ユーロ圏にとって義務となったため、北米輸出市場は、ヨーロッパにとって不可欠である。もはや「グリーンバック」(ドル紙幣)に購買力がなく、火をつけるのにしか適していなければ、誰がヨーロッパから商品を買い取るというのだろう? 大西洋をまたぐ同盟は、ヨーロッパの服従の帰結ではなく、特にドイツから見れば、冷静な計算なのである。
シュレーダーとシラクは、それが永遠にはうまく行かないとわかっている。米国の貿易赤字が大きくなればなるほど、たとえ米国が勝利を続けても、ドルのいかさまはそれだけ早く挫折する。年間1兆ドルという赤字をごまかすほど多くの戦争に、ブッシュは勝つことはできない。それでEUは、一方で「輸入吸引機」米国とドルの購買力に依存し、他方で別の道を求めているのである。それはユーロかもしれないが、ドルと同じ軍事的保証がないと、ナンバー2のままであろう。欧州軍・欧州核兵器なきユーロは、競争相手にならないのである。 (おわり)
【ユルゲン・エルゼサー略歴】
1957年プフォルツハイム生まれ。1980〜84年に教員生活を送った後、ジャーナリズムの世界に転身し、ハンブルクの『コンクレート』誌の編集部に在籍。最近では日刊紙『ユンゲ・ヴェルト』や週刊新聞『フライターク』などに寄稿。特にバルカン情勢の分析には定評がある。
今回日本で初紹介される本書以外に、つぎのような単著がある。
『反ユダヤ主義 新しいドイツの古い顔』1992
『もし総統が体験できたなら 連合国に対するドイツの勝利への29の祝辞』1995
『DVUの褐色の書 あるドイツの労働者政党とその友人たち』1998
『戦争犯罪 連邦政府の死を招く嘘とコソヴォ紛争における犠牲者』2000
『愛と戦争 いかに緑の党と68年世代が共和国を変えているか』2002
『戦争の嘘 コソヴォ紛争からミロシェヴィッチ裁判へ』2004
『いかにジハードがヨーロッパに戻ってきたか』2005
*この最近著は、アフガンのビンラディンがそうであったように、バルカンで使い捨てにしたムスリムによって、飼い犬に手を咬まれている西欧諸国(英独仏)を批判した書。