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(回答先: <人肉を求めて殺人を犯す狂気を描いた>大岡昇平「野火」の現実(有田芳生の『酔醒漫録』) 投稿者 gataro 日時 2007 年 1 月 10 日 19:29:53)
http://saeaki.blog.ocn.ne.jp/arita/2007/01/post_1062.html から転載。
2007/01/10
「栗林中将 衝撃の最期」を読む
1月9日(火)昨日はのべ14時間机に座り、今朝も4時間の作業をしていた。それでも酒を飲まなかったためか体調は爽快。ただし万年筆を使っていたので右手にはウォーターマンのインクがあちこちに付いている。使用していたのはペリカンにデルタ。ところが「金ペン堂」の店主は、インクにはウォーターマンのブルーブラックを勧めるのだ。高校を卒業したころのこと。共産党の上田耕一郎さんに著書についての質問をしたことがある。半年ほどして「忙しさにとりまぎれた」と返事が来たときのインクの色がとても印象的だった。それがいまから思えばウォーターマンだったはずだ。書いたあとで紙にきれいに馴染んでいく。午後から文藝春秋。『私の家は山の向こう』の文庫化のために加筆・補正をした校正刷りを編集者に渡し、これからの打ち合わせをする。解説を書いてくれた三浦しをんさんは、すでに著者校正を終えたそうだ。「週刊文春」の編集部で明日発売の号をもらい、しばし雑談。麹町まで来たのだからと、「シェ・カザマ」で久しぶりにパンを買い、神保町。まず松島清光堂に立ち寄り、フクロウをあしらった小さな落款を依頼した。文庫ができたときに押すためのものだ。東京堂書店で佐野店長に新年の売れ筋を聞き、大岡昇平さんの『俘虜記』(新潮文庫)を買う。再び読み出した吉村昭さんの『戦艦武蔵ノート』(文春文庫)を終えたところで、『戦艦武蔵』(新潮文庫)を再読し、その次に大岡さんの作品を読む予定だ。すべてが単行本『X』のためである。「萱」で焼酎を飲み、「北京亭」でタンメン。
『文藝春秋』2月号を読む。梯久美子さんの「栗林中将 衝撃の最期」が気になったからだ。映画「硫黄島からの手紙」は負傷した栗林忠道中将が、首を刎ねるよう手で示すことで、その最期を暗示させていた。しかし、栗林がどのような最期を遂げたかは、これまで明らかとなっていない。梯さんの『散るぞ悲しき』(新潮社)でも最期がどのようなものであったかに触れていない。あるとき梯さんのところに疑問を呈する感想が寄せられたという。クリントイーストウッドの映画やノンフィクションに描かれた栗林の最期はきれいごとではないか、というのだ。梯さんがその根拠を求めると防衛庁の内部文書であった。戦場でノイローゼになった栗林は、米軍に投降しようとして部下によって斬殺されたという驚くべき内容であった。梯さんの調査がはじまり、その結果が『文藝春秋』に公表された。映画を見ても不明だった部分が埋められていくが、わたしにとっての疑問は別のところにある。栗林中将は本当に戦場にあって人道的でありえたのだろうかという疑問なのだ。家族思いでありアメリカ的な合理主義を身に付けていたことは、公開された手紙などを読んでも否定できない事実だ。しかし心優しい人物が軍隊という鋳型に入れられたとき、どこまでその本性を発揮できたか。「硫黄島からの手紙」や『散るぞ悲しき』はすぐれた作品なのだが、疑問が残るのはそこだ。大岡昇平さんの経験に基づく『野火』を読んで感じたことは、戦場とはヒューマニズムを根底から破壊する野蛮の空間であるからだ。