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朝日【つくられた独裁者、最後は「犯罪者」 フセイン元大統領】
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http://www.asahi.com/international/update/1230/010.html
つくられた独裁者、最後は「犯罪者」 フセイン元大統領
2006年12月30日19時14分
フセイン元大統領はかつて、イランのイスラム革命への防波堤として「アラブの雄」ともみなされた。だが、力を過信して米国と対立。「危険な独裁者」とされ、2度にわたる戦争で体制は崩壊。最後はかつて追放したマリキ首相の下で、「犯罪者」として処刑された。権力の座について27年あまりの激しい浮沈は、中東に渦巻く各国の思惑も映し出している。
大統領に就任した79年、隣国イランでは、ホメイニ師が主導するシーア派イスラム革命が親米王政を倒した。湾岸アラブ諸国は「革命の輸出」を恐れた。世俗的な民族主義を基盤に、国内では少数派のスンニ派が多数派のシーア派を統治するイラクにとっても、革命は脅威だった。
翌80年に始めたイラン・イラク戦争が、最初の賭けだった。イラン領を奪えばペルシャ湾への出口を拡大できる。戦争で危機感を高めることで国内の権力基盤も強化できる。アラブ諸国や米国の支援も計算できた。
戦争中、国内ではシーア派など反体制派を容赦なく弾圧。その過程で、のちに死刑の理由となる中部ドゥジャイルでのシーア派住民虐殺事件も起き、マリキ氏ら現政権幹部は亡命した。北部では88年、化学兵器でクルド人を大量に殺害した。
米国をはじめとする国際社会は、「イラク兵の血は、イランからアラブを守るために流される」と訴える元大統領を支え、資金や武器を供給した。その陰でイラク人の人権はかすんだ。
古代バビロニアの王の名から「現代のネブカドネザル」を自称、日本や西ドイツなどからも経済協力を得て権勢は絶頂に達した。
だが、イランの革命体制は生き延び、イラクは8年後、約600億ドルにのぼる対外債務を抱えて戦争を終えた。
フセイン元大統領は次の賭けに出る。イランとの戦争で蓄えた軍事力を背景にした90年のクウェート侵攻だった。豊かな石油・金融資産を握り、負債を一気に解消しようとしたのだ。
侵攻直前、当時の米駐イラク大使は元大統領との会談で「米国はアラブ諸国同士の紛争に介入しない」と発言した。その真意を巡る論争は今も続いているが、元大統領はこれを米国からの「お墨付き」と理解した、との見方が一般的だ。
だが、賭けは敗れた。
米国は、武力で石油利権を乱す行為には黙っていなかった。91年の湾岸戦争で完敗し、その後の経済制裁で国際的に孤立した。そして03年、大量破壊兵器の解体をめぐり米国と対立。再び米軍などの攻撃を受け、政権は崩壊した。
元大統領は、「私は殉教者となる」と言い残して処刑台に消えた。最後まで犯罪者扱いを拒み、自らを「イラク大統領」と呼び続けた。
フセイン元大統領がいなくなったいま、イラクではシーア派が権力の中枢を握る。元大統領を「盾」に、米国などが封じ込めようとしたイランのイスラム体制が影響力を増す皮肉な状況が起きている。イランは核開発問題などでも反米強硬路線をとる。
そして、湾岸戦争で米軍がイスラムの聖地サウジアラビアに駐留したことへの反発などから生まれた国際テロ組織アルカイダも、依然として揺さぶりを続ける。
独裁者は去っても、イラク市民にとっては、民主主義や人権以前に生命すら危ぶまれる日々が続く。ひとりの独裁者をめぐる各国の利害が生み出した負の遺産を清算するには、なお時間がかかりそうだ。
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