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(回答先: 核兵器は安全のための避難所。核を持てば軍事同盟から解放され、戦争に巻き込まれる恐れはなくなる。(エマニュエル・トッド) 投稿者 TORA 日時 2006 年 12 月 28 日 14:52:59)
> トッド 核拡散が本当に怖いなら、まず米国を落ち着かせないと。日本など世界の多くの人々は米国を「好戦的な国」と考えたくない。フランス政府も昨年はイランの核疑惑を深刻に見て、米国に従うそぶりを見せた。でも米国と申し合わせたイスラエルのレバノン侵攻でまた一変しました。米国は欧州の同盟国をイランとの敵対に引き込もうとしている。欧州と同様に石油を中東に依存する日本も大変ですが、国益に反してまで米国についていきますか。
このトッド氏の「国益に反してまで米国についていきますか」という発言の背後には、国益を無視してアメリカに追従する国、価値観、美意識はあり得ない、ということを前提としている。
しかし、豈図らんや、日本には「滅私奉公」の美学が在るのだ。
日本の国益を考えるのは「私」益を考慮することであり、滅却すべきことである。美しくない態度である。
美しい国は自国の国益という「私」益を「滅」却する。そして、アメリカという主君に愚直に「奉公」する。
それこそが、日本人の美学にマッチするのである。
* 日本の国益を考えることを拒否する日本人の、いかに多いことか・・。(考えもなしにスローガン的に叫ぶ人は多いが・・。)
* 「日本の国益」を考えるというのは、「日本の国益」とはどういう利益なのか、個々の政策が「日本の国益」とどの様な繋がりを有するのか、どの様な意味で国益に寄与するのか・有害であるのか、等々を考えることである。そのように考えるなら、各人の価値観によってさまざまな議論が百出するはずである。しかし、そのような議論は見当たらない。「日本の国益」を考えることが「滅私奉公」の美学に反するが故に、口に出すことが憚られるのである。