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「硫黄島からの手紙」【鬼神も泣く悲惨さ他=金子秀敏】―毎日新聞
http://www.asyura2.com/07/war87/msg/185.html
投稿者 天木ファン 日時 2006 年 12 月 22 日 12:11:19: 2nLReFHhGZ7P6
 

◇早い話が:鬼神も泣く悲惨さ=金子秀敏

 クリント・イーストウッド監督の硫黄島2部作が話題になっている。米軍兵士を描いた「父親たちの星条旗」と、日本守備隊を描いた「硫黄島からの手紙」である。

 「手紙」のほうを見た。たしかに栗林忠道司令官役の渡辺謙は好演している。だが、ものたりない。親米派の栗林中将、西竹一中佐のヒューマニズムと、ファナチックな軍国主義者の対立というのは米国映画だからいいとしても、戦闘場面があっさりしている。

 映画を見た元生存兵は途中で席を立った。「実際はあんなもんじゃないよ」「悲惨でむごいものだった」と語っている。(読売新聞12月9日夕刊)

 以前、硫黄島の壕(ごう)に入ったことがある。赤土の地肌から硫黄のガスを含んだ蒸気がもやもやと立ち上っていた。むっとする熱と湿気と硫黄のガスで5分と我慢できなかった。ここで、水も食糧も断たれ1カ月余り耐えた。映画では表現できないかもしれない。

 海軍中尉・大曲覚氏の手記がある(「別冊知性1太平洋戦争の全貌」河出書房1956年)。摺鉢山(すりばちやま)奪回を目指す戦友は次々に倒れ、陸軍第26戦車連隊に合流した。指揮官は映画では伊原剛志が演じる西中佐。戦車隊に戦車はない。

 ……「おーい、海軍さん、まわりの死体をかき集めて、そのなかにかくれな」と言われた。兵士は、近くの戦死者の腹を裂き内臓を取り出すと、自分の上着のボタンを外して押し込み、死んだふりをして敵を待つ。

 ……「硫黄島の戦死者は戦死してまで、こうやって戦闘しているのだ。靖国神社どころじゃないね。いったい何回殺されると、本当にあの世にいけるのか」。兵士の声は怒りでふるえていた。

 ……M4戦車が接近してくる。死体の山から立ち上がった兵士が手りゅう弾を投げつける。動かなくなった戦車から米兵が逃げだす。その戦車に飛びつき、砲塔を逆に向けて砲撃戦を始める。超低空の敵戦闘機の爆撃でM4は吹き飛ぶ。80メートル前方から敵戦車が火炎放射器の火を噴きながら進んでくる。

 栗林中将は、大本営への決別電報で「麾下(きか)将兵の敢闘は真に鬼神を哭(なか)しむるものあり」「宛然(えんぜん)徒手空拳(としゅくうけん)を以(もっ)て克(よ)く健闘を続けた」と部下の敢闘を強調した。だが、大本営の軍服を着た官僚は、電報を改竄(かいざん)して公表した。なぜか。このいきさつは梯(かけはし)久美子「散るぞ悲しき」(新潮社)に詳しい。(専門編集委員)

毎日新聞 2006年12月14日 東京夕刊
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/kaneko/news/20061214dde012070003000c.html


◇早い話が:父は娘を夢に見た=金子秀敏

 クリント・イーストウッド監督の「硫黄島からの手紙」について続き。

 欠点ではないけれど、映画の中で紹介された栗林忠道中将の手紙は、ほとんど米国から息子に送った絵手紙だ。栗林氏は、米国では絵手紙作家としても知られているという。

 硫黄島で書いた手紙は、妻と末娘のたか子あてだった。米国時代の絵手紙とともに「『玉砕総指揮官』の絵手紙」(小学館文庫)に収録されている。

 当時10歳のたか子への手紙は「たこちゃんへ」で始まる。映画では「ヒヨコが畑を荒らして困ってます」という一通が紹介されていた。

 「昭和19年6月25日/たこちゃんへ/たこちゃん、元気ですか。お父さんが出発の時、お母さんと二人で御門に立って見送ってくれた姿がはっきり見える気がします。/それから、お父さんはお家に帰って、お母さんとたこちゃんを連れて町をあるいている夢などを時々見ますが、それは中々できないことです。/たこちゃん、お父さんはたこちゃんが早く大きくなって、お母さんの力になれる人になることばかりを思っています」

 この手紙を初めて知ったのは、防衛庁担当記者のころだった。硫黄島を見学する時に、陸幕広報班の3佐が手作りの戦史資料をくれた。その中にあった。硫黄島の静かな海岸に立つと死を前にした人間の文章が心に沁(し)みた。以来、忘れられない。資料をくれた3佐は、今年8月に退官した先崎一(まっさきはじめ)・前統合幕僚長だから、随分昔の話だ。

 以前「たこちゃん」に電話取材したことがある。戦後、軍人の家族だといじめられた。小さなアパートで母親が内職をしていた。早大に在学中、大映の新人女優に採用されたが助監督と結婚し、夫の実家の幼稚園を継いで、園長をしている−−。淡々と語り、こう言った。

 「父は職業軍人でございましたから、戦死は家族も覚悟のことでございます。でも墓参団に参加した時に、桟橋に集まったご遺族を見て、こんなに多くの方々の、大切なご家族をお連れしてしまったのかと、申し訳なくて……」

 この言葉が、いまだに耳に残っている。名誉回復ばかりを主張するA級戦犯の遺族の談話とつい比べてしまう。 中将は、娘への最後の手紙の最後を「誰にでも好かれるような人になりなさいね。左様なら。/お父さんより」と結んだ。娘は父の願い通りの人になったが、2年前、69歳で病没した。7000人の園児を育てた。(専門編集委員)

毎日新聞 2006年12月21日 東京夕刊
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/kaneko/news/20061221dde012070003000c.html

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