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□イラン専門家会議選挙 [メディア・レボリューション]
http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20061221-01-0801.html
2006年12月21日
イラン専門家会議選挙
イスラム体制の諸機関
15日に行われたイラン専門家会議選挙で、ラフサンジャニ元大統領などの「穏健派」がアフマディネジャド現大統領の「過激派」を破って多数を制した、と報じられている。
イランには国民によって選出される代表が3つあって、一つは周知の大統領。後の二つは国会(290人)と今度選挙があった専門家会議(86人)。この専門家会議がイランの最高指導者(現ハメネイ師)を選出する。専門家会議の候補者には(国会議員・大統領と同様に)憲法擁護評議会による資格審査があって、これがいろいろな干渉行為を行う、と西側メディアには評判が悪い。ちなみにこの憲法擁護評議会というのは12名構成で半数が最高指導者により指名され、残りの半数は司法長官(これも最高指導者の任命)によって指名される。
かなり込み入った成り立ちだから門外漢には解りにくい。ただ今回選挙の結果から、かねて懸念されていたイランの過激派統治の振り子が穏健派に回帰した、という観測もないではないが、どうもことはそれほど簡単でもないようだ。
過激派台頭の背景
アフマディネジャドは就任後の過激な言動や、歴史的事実としてのホロコーストを否定するといわんばかりの国際会議開催などなどから、強烈な排外主義過激派のチャンピオンで、彼の選出それ自体がイランの世論動向の帰趨と密接に関わると見られがちだが、ことはそれほど単純ではないようだ。
というのも、一つには国民投票というのは、問われている路線それ自体というよりは、その背後にあるものに対する異議申し立て、という性格を持つことが多い。パレスチナにおけるハマスの勝利は武闘路線に対する支持というよりは、それまでのファタハ政権の腐敗に対する嫌悪感が強かった結果だという観測が一般的だし、先のフランス・オランダにおけるEU憲法批准拒否も、憲法自体に対する拒否反応というよりは、EU官僚による過剰な干渉に対する嫌悪感だったというのが定説のようだ。アフマディネジャドの勝利も、ラフサンジャニならびに当時の体制の権益独占あるいは腐敗に対する抗議の意思表明だという見方も強い。
だとすると、既得権益層の浄化あるいは再編成を意図する新興勢力の台頭だということもできるだろう。ここでの権益というのは、もとより国家収入の8割を占める石油利権なのだが、それがあからさまに、むき出しの形で問われるのではなく、タテマエとしての「イスラーム体制の正統性」と関連するから話が見えにくくなる。
革命原理への回帰
正統性を巡る争いというのは、他でもない親米シャーを打倒した1979年革命の正統な後継者はだれか、ということになる。
当時のスローガンは自由・独立・イスラーム体制の三点セットだが、これは要するに親米独裁シャー打倒、反米独立を意味していた。それが独立を達成してからは、当初は「シャー体制ではなく、イスラーム体制」という色彩が濃かった『イスラーム体制』が別の重要性と意味合いを持つようになる。これがシーア派のイマーム(マホメットの正統な後継者)再臨思想と結合して、イマームがおかくれになっている間は法学者(イコール最高指導者)が統治する、という体制観を主流化してゆく。
先の「既得権益層」対「新興挑戦者」という構図に、人口の半数が20才以下という若い人口構成を重ね合わせ、さらに最高指導者体制の事実上の相対化を計ろうとする勢力の80年代終わりから90年代にかけての敗退という潮流を加味すると、現在のイラン政情が少しは理解可能になる。
拙劣な米国の政策
そうでなくとも反米が一般的思潮であるところに、「悪の枢軸」だの武力介入だのをほのめかして、ペルシャ以来の中華ならぬイラン大国意識を逆なでする。本来ならば排外過激思想に拮抗して出現するはずの協調穏健思想の芽を摘む結果になるのは見やすい。
これを再度、既得権益層に対抗する新興勢力と重ね合わせてみると、国際協調が封じ手になればなるほど、新興勢力が保守勢力を困惑させる言説に集中することになるのはほとんど自然の成り行きだと言ってよい。アフマディネジャド個人の奇矯な性格と片付けるのには余りに根の深い構図が見えてこようというものだ。
イランに対して日本がなし得るのは、石油資源に関係することだけではない。現在のイランの政情と米国の拙劣な外交姿勢を見れば、それがどのようなものであるかは自ずから明らかであろう。(入山 映)