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(回答先: 「犠牲者ゼロは憲法のおかげ。9条変えない方がいい」イラク派遣の陸自幹部 −赤旗 投稿者 cacophony 日時 2007 年 1 月 22 日 14:43:35)
http://www.jca.apc.org/~altmedka/2003aku/aku925.html
http://www.asyura2.com/0411/war65/msg/515.html
『亜空間通信』925号(2004/12/31)
【憲法9条・救国トリック説(昭和の三傑)WiLL2号記事で筆者の旧友・堤堯に三国志空城計を指摘】
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/tg/detail/-/books/4797671114/reviews/250-8140897-6231419
昭和の三傑―憲法九条は「救国のトリック」だった
堤 堯 (著)
内容(「MARC」データベースより)
「憲法第九条」は日本製だった。日本国民が「アメリカの手駒」となることを防ぐための当時の歴代首相の「知恵」とは? 鈴木貫太郎、幣原喜重郎、吉田茂をキーマンに、戦後を総括する歴史ノンフィクション。
[中略]
吉田茂は、憲法制定の時の首相であり、9条に関しては、以下のわが亜空間通信に掲載したような答弁をした。いわゆる曲者である。以下は、2年前の2002年の敗戦記念日の前日の8月14日のわが通信である。
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http://www.jca.apc.org/~altmedka/aku336.html
WEB雑誌『憎まれ愚痴』/『亜空間通信』336号(2002/08/14) 阿修羅投稿を02.12再録
815右も左も聞け詔書「太平ヲ開カムト欲ス」吉田茂9条説明審議録(拍手)
[中略]
く質問=野坂参三・日本共産党〉
1.戦争には、侵略された国が自国を防衛する「正しい戦争」と他国を征服・侵略する「不正の戦争」とがある。したがって、憲法は「戦争の放棄」でなく「侵略戦争の放棄」とすべきだ。2.日本の過去の戦争は侵略戦争ではないのか。
く答弁=吉田総理〉
●「国家正当防衛権による戦争は正当なり」とする考えは「有害である」。戦争の多くは「国家防衛の名において行なわれた」のだから、「正当防衛を認める」ことは「戦争を誘発するゆえん」になる。
●戦争放棄条項は、「国際平和団体の樹立」によってあらゆる侵略戦争の防止を期している。正当防衛による戦争があるとするなら、侵略する国があることが前線になる。したがって、国際平和団体が樹立された場合には「正当防衛権を認めることそれ自身が有害である」。[中略]
しかし、堤は、この「奇想天外のトリック」に関しては、さらに「幣原ひとりの発案だったのか」と問い掛け、「史料を読み解くほどに、鈴木貫太郎、幣原、吉田ーー三代宰相の合作のフシがある」とするのである。
しかも、その発想の源を、堤は、以下のごとく、「貫太郎が好んで語った歴史上の逸話」に求めている。
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徳川家康が三方ヶ原の戦いに敗れ、生涯最大の正念場を迎えた折に案出した奇想天外なトリックである。
武田信玄の騎馬隊に蹴散らかされた家康は、岡崎城めざして遁走する。馬上、恐怖のあまり脱糞した。城に逃げ込んだ家康は一計を案ずる。押し寄せた敵将が見たものはーー 城門を広々と開け放ち、奥に大きなかがり火、城内なにごともなかったかのように宴の真最中、笑いさんざめく声がする。守兵の影は見えない。
疑心にかられた敵将は、馬首をめぐらし引き揚げる。
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家康は、この時の恐怖のあまり脱糞した情けない敗残の姿を、わざわざ絵に描かせて、掛け軸として残し、子孫にその苦難を伝えている。有名な話である。だから、ははん、なるほど、と誰でも思うだろうが、私は違う。あれれ、と思った。
[中略]
三国志「空城の計」★劉備たちすでに亡く、魏への進軍を繰り返す諸葛亮孔明の有名エピソード。
蜀の将軍・馬謖は、命令を破り、大敗を喫し、要地・街亭を失うこととなる。(ここまで『失街亭』)諸葛亮は西城に駐屯して、街亭の陥落を聞く。司馬懿が、勝利に乗じて攻めてくることを察知する。しかし、城中には、すでに精鋭部隊はおらず、応戦することは難しかった。そこで、危機の中、「空城之計」を仕掛けることとした。つまり、城門を開け放ち、城頭に座り、琴を手にして酒を飲むこととした。
間近まで迫ってきた司馬懿の大軍は、そのような状態を見て、伏兵を疑う。二人の息子は突撃を求めるが、諸葛の策略をおそれた司馬懿は、軍を退却させた。
[中略]
別途、平凡社刊『世界大百科事典』には、「くうじょうけい(空城計)」の項目がある。