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パキスタン系英国人の青年5人。父の故郷での結婚式に出た後、ボランティアとしてアフガニスタンへ向かう。ところが、ムスリムの4人は米軍にスパイ容疑で捕えられ、キューバ・グアンタナモ収容所へ送られる。米軍による拷問、人権侵害を告発した問題作だ。
予告編VTR
http://www.guantanamo.jp/trailer/index.html
日比谷シャンテシネ(東京)ほか全国順次公開
http://www.guantanamo.jp/
アシフ・イクバル(19歳)はイギリス・バーミンガムの側の町ティプトンに暮らすパキスタン系イギリス人。両親の勧める縁談のため、故郷パキスタンと出発する。村に着き、結婚を決めた彼は、ティプトンに住む友達ローヘル・アフマド(19歳)に電話をし、結婚式に招待する。ローヘルは喜び、他の2人の友達シャフィク・レスル(23歳)とムニール・アリ(22歳)を誘い、休暇旅行と結婚式出席を兼ねて一緒にパキスタンへと向かった。
アシフとローヘルたちは結婚式前の数日を楽しく過ごしていた。ある日モスクを訪れた彼らは、モスクの導師が米軍の侵攻で混乱しているアフガニスタンへの援助を行っていて、現地へ行くボランティアの人間を探していることを知る。隣国の実情をその目で見たいという気持ちと、人助けになるのならと、5人はその仕事に参加することにする。
翌日、アシフたちはアフガニスタンに無事入国するが、直後、遠くでアメリカによる空爆が行なわれているのを目にし、不安を覚える。首都カブールに到着後、アシフが病気にかかってしまい、そこで足止めをくってしまう。町のまわりへの爆撃は日に日にひどくなる。アシフの体調が回復した時、彼らはパキスタンへ帰りたいと案内人に伝えるが、なぜか車は北の方向へ。そこはタリバン最後の拠点だった。アシフたちは彼らとともにアメリカからの空爆、北部同盟からの攻撃に逃げ惑い、ムニールともはぐれ、遂には捕らえられてしまう。
4人はアフガニスタン・シェべルガーン収容所に拘留された。収容所は人口過密で、ろくに食料も与えられない状態だった。ある日そこへ、捕虜収容所を管理しているアメリカ軍がやってくる。英語をしゃべれる者を探している、という呼びかけにアシフは名乗り出た。イギリスで育った彼には、アメリカ人は敵ではないという思いがあったからだ。しかし、その期待は裏切られる。アメリカ軍は彼を危険なテロリストだと決めつけていた。そして、アシフ、ローヘル、シャフィクは、キューバにあるグアンタナモ基地へと送られることになる――。
モスク
イスラム教の礼拝堂。
アメリカ・イギリスによる
アフガニスタン侵攻
アメリカは、01年に起きた9.11同時多発テロの首謀者として、オサマ・ビンラディンを指導者とするアルカイダの引渡しを求めたが、タリバンはこれを拒否。そのためアメリカはアフガニスタンへの武力行使を宣言し、10月7日空爆を開始した。また11月にはタリバン政権と敵対していた北部同盟と連合軍を結成し、米英軍に援護された北部同盟は12月、タリバン政権を崩壊させた。
アメリカ・イギリスによる
アフガニスタン侵攻
アメリカは、01年に起きた9.11同時多発テロの首謀者として、オサマ・ビンラディンを指導者とするアルカイダの引渡しを求めたが、タリバンはこれを拒否。そのためアメリカはアフガニスタンへの武力行使を宣言し、10月7日空爆を開始した。また11月にはタリバン政権と敵対していた北部同盟と連合軍を結成し、米英軍に援護された北部同盟は12月、タリバン政権を崩壊させた。
タリバンと北部同盟
89年にソ連がアフガニスタンから撤退した後、一旦はアフガニスタン・イスラム国が誕生したが、すぐに多数のゲリラ勢力間で割拠と内戦が始まり、その中で圧勝したのが、ムハマド・オマル師を指導者とするパキスタンの難民キャンプで育った若い神学生で構成される「タリバン(神学生の意“タリブ”の複数形)」だった。タリバンは国土のほとんどを掌握し、96年アフガニスタン・イスラム首長国を樹立。しかしアフガニスタン北部だけは“アフガニスタン救国・民族イスラム統一戦線”通称「北部同盟」が統治してタリバンと紛争を続けていた。
タリバンと北部同盟
89年にソ連がアフガニスタンから撤退した後、一旦はアフガニスタン・イスラム国が誕生したが、すぐに多数のゲリラ勢力間で割拠と内戦が始まり、その中で圧勝したのが、ムハマド・オマル師を指導者とするパキスタンの難民キャンプで育った若い神学生で構成される「タリバン(神学生の意“タリブ”の複数形)」だった。タリバンは国土のほとんどを掌握し、96年アフガニスタン・イスラム首長国を樹立。しかしアフガニスタン北部だけは“アフガニスタン救国・民族イスラム統一戦線”通称「北部同盟」が統治してタリバンと紛争を続けていた。
シェベルガーン収容所
アフガニスタン北部の州都シェベルガーンにある収容所。元は刑務所として使用されていたが、米軍のアフガニスタン侵攻以降、北部同盟によって捕らえられたタリバン兵が収容される施設となっていた。同刑務所を調査訪問した米のNGO「人権のための医師団」は、800人収容の施設に3000人が詰め込まれ、赤痢や肺炎などが 原因で多数の死者をだしていると報告書を発表し、アムネスティ・インターナショナルも緊急の対策が必要だと声明を発表した。
グアンタナモ米軍基地
南米・キューバ東部の116km² におよぶその敷地は、アメリカが約100年前に締結した条約で半永久的に借用しているもの。キューバ政府は返還を求めている。国交のない国の領内にあるため、アメリカの法律も国際法も適用されない。アフガニスタン侵攻以降に捕らえた、テロリスト容疑者約500人が収容されており、そのほとんどが司法手続きを経ず拘束されていると言われる。米国は拘束者を「捕虜でも犯罪者でもない敵性戦闘員」と位置づけ、捕虜に適用されるべきジュネーブ条約を適用せず、独自に裁判にかけることができるという法を軍事委員会で決定した。国連人権委員会は収容者が虐待されていると指摘。閉鎖を求めているが、アメリカはこれを拒否している。