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http://www.nnn.co.jp/rondan/tisin/070118.html から転載。
温故知新 −ビル・トッテン−
フセイン裁判の欺まん
2007/01/18の紙面より
イラクのサダム・フセイン元大統領が昨年末に絞首刑に処せられたニュースが、先日から報道されている。インターネット上では、アルジャジーラが放映した携帯電話か何かで撮影したと思われる処刑される寸前までの写真や動画が流出した。混沌(こんとん)とするイラク情勢だが、この戦争はいったい何だったのか。
西側軍隊イラク占領
二〇〇六年が植民地主義を思わせるようなフセインの処刑で終わったことは象徴的でもある。アラブ世界にとって二〇〇六年はまさに帝国主義時代に逆戻りしたかのような年であった。二〇〇三年の米国による侵攻以来、イラク人口の7%に当たる百六十万人がシリア、ヨルダン、カイロといった近隣諸国へ逃亡したが、いくら同情しても、彼らが喜ぶことはない。なぜなら逃亡の理由は、日本を含む西側諸国が支援する軍隊がイラクを占領していることが原因だからだ。
フセイン元大統領の裁判は、イラン・イラク戦争の際にクルド住民に化学兵器を使用して殺害したことなど、いくつかの容疑に分かれて行われていた。裁判が始まってからフセイン側の弁護士が三人暗殺された(裁判が始まる前にも弁護士が殺害されている)。暗殺を恐れてヨルダンにいる弁護士は、被告と面会するためにイラクに行くことも難しく、弁護活動は不可能に近かった。裁判長も二人が辞任し、うち一人はイラク政府が裁判に干渉することに抗議し、もう一人はフセインは独裁者ではないと発言したために政府に罷免された。
これだけでもフセイン裁判の異常さが分かるが、この裁判を正常な形で行うこと自体が無理だったようだ。第二次大戦後、連合国が戦争犯罪人として日本の指導者を裁いた東京裁判、ドイツが行った戦争犯罪を裁いたニュルンベルグ裁判は、正当性はさておいても勝者の正義をあてはめたものであったが、このフセイン裁判はそれにもまして残酷さと欺まんに満ちたものだった。
占領前のほうがまし
米国は、イラク民主化のために駐留する米軍をイラク人は歓迎するだろうと言ったが、そのようにはならなかった。まともに考えれば、古代文明の発祥の地であり、独自の宗教観やプライドを持つイラク人が、米国の押し付けをおとなしく受け入れる可能性などありえない。少なくとも一つの統治制度で、アラブ諸国の中でもうまく機能してきた国家を戦争で転覆させ、社会基盤を変えることなどできはしないのである。
ICRSCが昨年十一月に行った調査では、イラク人の90%近くは占領前のほうがましだったと感じ、イラクが二〇〇三年よりよくなったと回答した家庭はわずか5%だったという。この数字に加えてUNHCRの調査によれば、医師やエンジニアなど余裕のあるイラク人は毎月十万人が国外へ逃亡している。
フセインが暴君だったことに異論はない。しかし都合よくメディアが報道しないことは、裁判で彼の容疑とされている犯罪の大部分は、米国がイラクと同盟国であった時代に行われたものだということだ。フセインがある裁判で述べたように、ワシントンが承認し、ドイツが毒ガスを提供してくれたから一九八八年にクルド人に対して化学兵器を使用したのである。当時、米国をはじめとする西側諸国は「イラン封じ込め」のためにフセインを経済的にも軍事的にも支援していた。毒ガスを使う悪魔を育てた彼らに、その悪魔を正当に裁くことなどできるはずがない。
暴力が暴力を呼ぶ
フセインが犯した犯罪は適切に裁かれるべきであった。それはかいらい政権や米国によってではなく、独立国家としてのイラク人が行うべきだった。そしてフセインだけでなく、米英軍がアブグレイブ刑務所で行った虐待も、ファルージャで米軍が「武装勢力」とレッテルをはったイラク人に対して行った情け容赦ない攻撃についても、同じレベルで裁かれるべきである。
イラクに残っているイラク人は、国外へ逃亡できない貧しい人々が多い。電気や水道といった基盤はほとんど整備されてはおらず、なぜなら復興支援予算は大部分がイラク政府や米軍の要人警備、セキュリティー関連に使われているからだ。今イラクでの仕事は警備や傭兵しかなく、暴力は暴力を呼び、人々の心はさらに荒廃する。
日本政府はいまでも米国のイラク侵略を支持した過ちを認めていない。しかしそれも、一年間に三万人以上の自殺者がでても対策をとらない安倍首相であれば、イラクで一日に何人が殺されようと気にならないのは仕方がないことかもしれない。(アシスト代表取締役)