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◇NATOに近づく日本の危うさ 「憲法軽視」の独自外交、欧米軍関係者は期待
防衛庁が防衛省になり、自衛隊の海外活動が「本来任務」に昇格した先週、安倍晋三首相がブリュッセルの北大西洋条約機構(NATO)本部を訪問し、海外活動での連携強化を約束した。冷戦後、存在意義が大きく変わったNATOだが、なんといっても日本では憲法が禁じた集団的自衛権を行使する世界最大かつ最強の、行動する軍事機構である。「憲法の諸原則を順守しつつ」といいながらも、日本の歴代首相として初めてNATO本部まで出かけた首相の行動からは、国民への説明抜きのままの、「軍事傾斜」の危うさが漂ってくる。【森忠彦】
まず、NATOの現状を把握しておこう。かつて、私たちは「米ソが対立した冷戦下、共産圏諸国によるワルシャワ条約機構に対峙(たいじ)した西側欧米諸国の軍事同盟」と習った。日本にとっては縁遠い存在だった。
しかし、冷戦崩壊で91年にワルシャワ条約機構が解散し、ソ連も崩壊した段階でNATOはそれまでの存在意義を失い、その後は生き残りをかけて大西洋・欧州地域の広域の安全保障集団へと大きく転身した。活動対象は従来の核などによる直接戦争から、民族紛争の解決や平和維持活動へと比重が移った。
活動領域も広がった。それまで加盟国周辺だったが、バルカン半島で民族紛争が発生すると積極的に関与し、コソボ紛争(99年)では国連の決議もあいまいなまま、主権国家(旧ユーゴスラビア)の攻撃へと踏み切った。01年の米同時多発テロ以降はアフガニスタンやイラクにも治安維持の形で進出。戦闘地域のアフガンでは多くの兵士が死傷している。05年からはアフリカ・スーダンの平和維持活動にも後方支援で参加している。
とりわけ、米国のテロはNATOを本質的に変えた。その前後の数年間、ブリュッセルでNATO本部を取材した経験がある。当時、幹部は「今後はNATOに領域の概念はなくなるだろう。加盟国に脅威を及ぼすものはすべて対象となる」と語ったが、その後、NATOは確実に拡大路線を進み始めた。1949年の設立時12カ国だった加盟国は、現在26カ国。さまざまな「パートナーシップ関係」を活用し、周辺国と友好関係を広げている。かつての敵国ソ連を継承したロシアまでもが02年には準加盟国扱いとなり、軍事協力を行っている。
さらに昨年11月にリガ(ラトビア)で開かれた首脳会議では地球の反対側のオーストラリア、ニュージーランド、韓国、さらに日本の名前までを挙げ「安全保障に関して価値観を共有する政治的パートナー」と位置づけた。軍事行動を進める上で国際社会の支持がほしいNATOにとって、政治的な支援が世界規模に広がるのは基本的に大歓迎だ。
一方、拉致問題をはじめとした北朝鮮や中国への間接的な「軍事圧力」を強めたい日本にとってNATOは応援団になりうる。昨年5月の麻生太郎外相に続き、首相までがNATO本部に出向いた背景には、国連安保理の常任理事国入りへの支援まで含めた日本側の思惑もある。
担当大使(駐ベルギー大使)として初めて、NATOと98年ごろから公式接触を進めた東京経済大学の兵藤長雄教授は「グローバル化するNATOと、日本外交の思惑がようやく一致したということ」と語る。
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日本人からすれば、欧州に本部があるNATOはいかにも欧州的な機関に映りがちだが、実態は違う。NATOの盟主は常に米国であり、基本的に米国主導の下で動く。ブリュッセルには欧州諸国だけで構成する欧州連合(EU、27カ国)の本部もあるため、二つの機関は同様にとらえられがちだが、欧州の統一的価値観で動くEUとNATOとは性格が異なる。
事実、NATOは米テロ直後に、米国の要請を受けて基本条約に基づく「集団的自衛権」を初めて発動、各国はさまざまな形(政治的、資金的な支援を含めて)で対テロ戦争に参加した。「加盟国の一国でも武力行使を受けた場合は全体への攻撃とみなし、集団で武力行使に当たる」というもので、日本では憲法上、行使を禁じている。
NATO加盟国ではないにしても、協調関係を結べば、間接的にはこうした行動に日本が何らかの形で加担せざるをえなくなる。今回の訪問を受けてNATO幹部は「日本とNATOがアジア・太平洋地域で政治及び軍事的な関係を強化する重要なステップだ」と評価した。兵藤教授は「日本が直接の軍事貢献をしてゆくとは考えられないが、復興の際に資金面で期待されるのは間違いない」と語る。
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安倍首相はNATO理事会での演説で「日本の首相として初めて出席できたことは歴史的であるとともに、大変うれしく思います……日本とNATOは自由や民主主義、人権などの価値を共有したパートナーです……今や日本人は国際的な平和と安定のためであれば自衛隊が海外での活動を行うことをためらいません」と語った。
以前、旧東欧諸国の首脳たちが初めてNATO本部を訪れ、「民主主義国家の証し」としてNATO加盟を切望した時の演説を何度も聞いたが、それに通じるような高揚感を感じた。
もちろん、安倍首相はかねて憲法改正への強い意欲を示しており、NATO訪問もその路線にある安倍外交の一環なのかもしれないが、問題は現状では憲法改正の手続きさえ始まっていないことだ。その状況で、憲法軽視とも取られかねない独自の外交が国民の多くが気付かないままに進められている。
北朝鮮への圧力を強化するとしても、現状ではあくまでも国連やEUのような政治的な機関や2国間関係を軸にすべきで、安易に軍事機関に依存する姿勢からは日本の軍事傾斜の危うさが浮かび上がる。慶応大学の細谷雄一助教授(国際政治史)は「日米同盟優先だった小泉(前首相)外交との違いはあるが、今後、国際社会に日本がどうかかわるかという長期的な戦略と政治的な意思表示がないままでは、NATOに言われるがままになりかねない」と指摘する。
独ハンブルガー・アーベントブラット紙は防衛省昇格について「平和主義時代の終わり」と書き、「冷戦終結と同盟国・米国の要求で日本はますます国際的なイニシアチブを発揮するよう求められている」と論評した。
首相との共同会見の中で、デホープスヘッフェルNATO事務総長は「今後、日本がどんな分野でどう協力してくれるかは、すべて日本の決断次第だ。復興支援については首相からは大変力強いお話をうかがった」と語った。首相の真意はともかく、迎え入れた欧米の軍事関係者たちに、大きな期待を抱かせてしまったことは事実である。
◇日本同様敗戦のドイツ、イラク戦争には派兵せず
日本と同様、第二次大戦で敗戦したドイツ。戦後は米英仏ソに分割統治され、ベルリンは東西冷戦の最前線になった。旧西独は55年にNATOに加盟、目の前の「敵」と対峙するため、同盟国として米国に追随するしか道はなかった。
東西統一後の99年のコソボ紛争では、約8500人の独軍部隊を送り込み、トーネード戦闘機14機が空爆に参加、戦後初の戦闘行為となった。政権にとっては苦渋の選択だったが、シュレーダー首相(当時)は「コソボの人道的な悲劇を防ぐため、ほかに選択肢はなかった」と演説し、国民の過半数が空爆を支持した。
ドイツは湾岸戦争(91年)を契機に「抑制政策」を見直し、次々に国外派兵の既成事実を積み重ねた。独憲法裁判所は94年、NATO域外派兵を「合憲」と判断。アフガニスタンの平和維持部隊には現在も独軍が参加する。
ただ、イラク戦争(03年)には反対した。軍を派遣しなかったことで、米首脳が独政府首脳との会談を拒否するなど一時、両国関係は極端に冷え込んだ。メルケル現首相もイラク派兵拒否の姿勢は一貫している。【藤生竹志】
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毎日新聞 2007年1月17日 東京夕刊
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