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若者を見殺しにする国、の巻 = 雨宮処凛
http://www.magazine9.jp/karin/071107/071107.php
「31歳フリーター。希望は、戦争」という原稿(論座07年1月号)で物議を醸しまくっている赤木智弘さんが、『若者を見殺しにする国 私を戦争に向かわせるものは何か』(双風舎)という本を出版した。早速、読んでいるところだ。
これが期待を裏切らずに面白い。まだ途中なのだが、これはぜひ「マガジン9条」で書かなければ、と思わされる記述満載だ。その前に「希望は、戦争」を読んでいない人は、ネットで読めるので、各自検索して読んで欲しい。
さてさて、本を読んで非常に驚いたのは、赤木さん自身が10年間、いわゆる「左派」的考えを持っていたということだ。「戦争はいけない」「不平等はいけない」という素朴な気持ちがはっきりとした思想に変化していくのが95年のオウム事件。オウム信者への住民票受理の拒否など、メチャクチャなバッシングに疑問を持ち、その後、盗聴法に反対したり、死刑廃止や男女平等について考えるようになる。赤木さんの当時のスタンスは、以下だ。
「平和を尊び、憲法九条をたいせつにする。/人権を守る立場から、イラクの拉致被害者に対する自己責任論を徹底的に否定する。/政府のありようを批判し、労働者の立場を尊重する。/男女はもちろん平等であり、世代や収入差によって差別されてはならない」。
ここまで読むと、左派にとっては非常に「好ましい」若者像だろう。彼はネットでそのような言説を書き続けてきたという。しかし、そうしている間に「私の『貧困』は決定的なものとなりました」と彼は書く。上に書いたような世界が実現されたとしても、それで幸せになるのは他人だけではないのか?
「これまでどおりに何も変わらぬまま、フリーターとして親元で暮らしながら、みじめに死ぬしかないのか? /私は、いままで自分が書いてきた言説のなかに、自分を救済する言説が、ほとんど存在しないことに気づいたのです」
なぜなら、フリーター問題はすでに生死の問題だからだ。
「いまでこそフリーターは、私のように親元で生活できている人も多く、生死の問題とまで考えられていないのですが、親が働けなくなったり死んだりすれば、確実に生死の問題となります。(中略)フリーターの給料では自分ひとりですら生きていけるのかが怪しく、ホームレスになるか自殺をするかの二者択一になる可能性が高いのです。(中略)ちなみに私は、どうせホームレスを続けていたって、そこから社会復帰などできる可能性はまったくないのだから、二択を迫られる状況になったら死んでしまおうと考えています。/そして、団塊ジュニア世代の親、すなわち団塊世代はすでに六〇歳を過ぎており、彼らが不老長寿で延々と働き続けることができるというワケではありません。よって、彼らの子どもである団塊ジュニア世代の年長フリーターの寿命は、団塊世代の残り労働時間にほぼ等しいといえます」
この言葉に驚く人もいるかもしれないが、赤木さんだけでなく、団塊世代の親が死んだり働けなくなったら自殺する、と考えている年長フリーターは多い。取材をする中でもそんな意見を多くの若者から聞いた。「親が死んだら首を吊る」しかないと思わされている若者が少なくないことに、世の中の人々はあまりにも鈍感だ。場合によっては一笑に付される。が、他に方策はあるのか? これは自分が取材しての強烈な実感だが、現に親が死んだり親に頼れないフリーターからホームレス化しているのだ。最近、ホームレスの若者数人に取材した。その中には、「二週間何も食べずに水だけで過ごした」若者もいた。
「7日目が一番辛いんですよ。胃がひっついて。だけど7日目を過ぎると身体の脂肪を使い出すから楽になる」
これは戦時中の話でもなければどこか遠い第三世界の話でもない。21世紀の日本の話だ。なぜ、彼はそこまで困窮してしまったのか。一番の理由は「親がいない」ことだろう。母親は小さい時に亡くなり、父親は行方不明。親に頼れない若者は、あっという間にホームレス化してしまう。あと少し食べられなければ、2007年のこの国で、若者が路上で餓死していただろう。
赤木さんは北九州で「おにぎり食べたい」という言葉を残して餓死した52歳の男性のことを書いたあとに、述べる。「餓死した男の姿は、私たちのような年長フリーターや派遣労働者が、将来かならず行き着く先なのです」
そんな生活の上での強烈な実感から、赤木さんの心は左派から離れていく。
「一〇年間も信じて、付いてきた人間を幸せにできない相方なんて、こっちからフッて当り前じゃないですか」
さて、この本がこの後、どんな展開になり、どんな結論を出すのか。次回にでもまた、書きたいと思う。彼の遍歴に、大きなヒントがあると思うのだ。