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「ならずものテロ・国家=米国」〜世界の知性はテロの本質をどうみるか〜 = 青山貞一
http://eritokyo.jp/independent/aoyama-col9101.html
2007年11月1日、テロ特措法延長の期限が切れた。インド洋上にいる海上自衛隊に防衛大臣から撤収命令が下された。
この海上自衛隊のインド洋上での「給油活動」は、2001年のいわゆる9.11をもととしたテロとの戦いの一環とされている。
だが、私たちは、テロの本質を一度でもまともに考えたことがあるのだろうか?
「テロとの戦い」と言えば、即それが善であるという思いこみがないだろうか?
結局、西欧日本が、テロという名の下に、途上国やイスラム諸国に対し、西欧近代的価値、新植民地主義、エネルギー利権を正当化しているのではないだろうか?
ひとことで言えば、欧米日本が言うテロとの戦いは、すなわち途上国収奪の正当化ではないのだろうか?
ここで一端踏みとどまり、世界の識者、知性がテロをどうみているかについて語ってもらおう。
そこには、米国や日本政府が囂しく宣伝するテロやテロとの戦いが、結局は自分たちの利権、権益、さらに言えば収奪を守るための戦いであるという本質が見え隠れする。
◆チャベス(ベネズエラ大統領)
反ブッシュを旗幟鮮明にするベネズエラ・大統領のチャベス氏は、2006年9月、ニューヨーク市の国連本部で行った演説のなかで、ノーム・チョムスキーの著作を片手に、米国ブッシュ政権の脅威について次のように語った。
私が悪魔と呼んだ紳士である米国大統領は、ここに上り、まるで彼が世界を所有しているかのように語りました。全くもって。世界の所有者として
...
米国大統領が見渡す如何なる場所にも、彼は過激派を見ます。そして貴方、我が友よ――彼は貴方の色を見て、そこに過激派がいる、と言います。ボリビアの大統領閣下エボ・モラレスは、彼にとって過激派に見えます。
帝国主義者らは、至る所に過激派を見ます。我々が過激派であるということではありません。世界が目覚め始めている、ということです。至る所で目覚めています。そして人々は立ち上がり始めています。
私の印象では、世界の独裁者は残りの人生を悪夢として過ごすでしょう。なぜなら、我々――米帝国主義に対抗する全ての者たちや、平等や尊重、諸国の主権を叫ぶ者ら――は立ち上がっているのだから。」
◆ノームチョムスキー(MIT教授)
ところで、私はイラク戦争が勃発する直前に書いた長編コラム、「正当性なき米国のイラク攻撃」のsize=+0>第五章 知られざる国際テロ国家、米国 において「テロ」と言う言葉について、米国マサチューセッツ工科大学のノーム・チョムスキー教授が非常に興味深い考察をしている。
米国の対外政策に痛烈な批判をしつづけているマサチューセッツ工科大学教授、ノーム・チョムスキーは、米国をして世界最大の「ならずもの国家」と公言してはばからない。
今年75歳(執筆当時、現在80歳)になるノーム・チョムスキー教授(当時)は、ベトナム戦争以来の米国の外交政策を徹底的に批判している。
9.11以降、チョムスキーによる彼の史実に基づいた言論は海外はもとより米国内でも高い評価を得ている。ロックバンドU2のボーカル、ボノはチュムスキーを「飽くなき反抗者」と呼んでいる。たたかう言語学者、それがノーム・チョムスキーである。
イラクと対テロ戦争をめぐる米国の海外政策についての質問にチョムスキーは次のように答えている。
第一に、「対テロ戦争」という言葉を使うにあたっては多大な注意が必要です。 テロに対する戦争というものはあり得ません。論理的に不可能なのです。 米国は世界最大のテロリスト国家です。
現在、政策決定を行っている人々は皆、世界法廷でテロリズムを批判された人々です。米国が拒否権を発動しなければ(このとき英国は棄権しています)、安保理でも同様の批判を受けていたはずの人々です。
これらの人々が対テロ戦争を行うなどということはできません。問題外です。これらの同じ人々は20年前にもテロリズムに対する戦争を宣言しています。そして、我々は、これらの人々がそこで何をしたか知っています。
中米を破壊し、南部アフリカで150万人もの人々を殺害する手助けをしたのです。さらに他の例もあげることができます。ですから、「対テロ戦争」などというものは存在しないのです。
また「では、テロリズムはどう定義するのか」という質問に対しチョムスキー教授は次のように答えている。
以下は、チョムスキーがインタビューに答える形で話した「米国の対テロ戦争」及び「米国のイラク攻撃」の全文である。長文ですがぜひ読んで欲しい。
「対テロ戦争」:チョムスキー・インタビュー 2002年7月3日
◆イクバール・アフマド(思想家)
私はsize=+0>第五章 知られざる国際テロ国家米国 のなかで、ノーム.チョムスキーやE.サイードの盟友でもあるイクバール・アフマドによる「テロ」論についても言及した。 -------------------
チョムスキー教授の友人に、イクバール・アフマド氏(Eqbal Ahmad)がいる。 アフマドは1999年11月にイスラマバードで病気でなくなっているが、彼は9.11が起る3年前の1998年、「テロリズム---彼らの、そして、わたくしたちの」と言う講演のなかで、テロリズムについてたいへん示唆に富んだ話をしている。
最近(当時)刊行されたイクバール・アフマド発言集「帝国との対決」(太田出版(03-3359-6262)、大橋洋一・河野真太郎・大貫隆史共訳)から長くなるが以下に核心部分を引用する。
まず第一の特徴的パターン。それはテロリストが入れ替わるということです。昨日のテロリストは今日の英雄であり、昨日の英雄が今日のテロリストになるというふうに。
つねに流動してやまないイメージの世界において、わたしたちは何がテロリスムで何がそうではないかを見分けるため、頭のなかをすっきり整理しておかなければなりません。
さらにもっと重要なこととして、わたしたちは、知っておかねばならないのです、何がテロリズムを引き起こす原因となるかについて、そしてテロリズムをいかにして止めさせるかについて。
テロリズムに対する政府省庁の対応の第二のパターンは、その姿勢がいつもぐらついており、定義を避けてまわっていることです。
わたしはテロリズムに関する、すくなくとも二十の公式文書を調べました。そのうちどれひとつとして、テロリズムの定義を提供していません。それらはすべてが、わたしたちの知性にはたらきかけるというよりは、感情を煽るために、いきりたってテロリズムを説明するだけです。
代表例を紹介しましょう。一九八四年十月二十五日(米国の)国務長官のジヨージ・シュルツは・ニューヨーク市の〈パーク・アヴェニュー・シナゴーグ〉で、テロリズムに関する長い演説をしました。
それは国務省官報に七ぺージにわたってびっしり印刷されているのですが、そこにテロリズムに関する明白な定義はひとつもありません。その代わりに見出せるのは、つぎのような声明です。
その一、「テロリズムとは、わたしたちがテロリズムと呼んでいる現代の野蛮行為である」。
その二はさらにもっとさえています「テロリズムとは、政治的暴力の一形態である」。
その三、「テロリズムとは、西洋文明に対する脅威である」。
その四、「テロリズムとは、西洋の道徳的諸価値に対する恫喝である」。
こうした声明の効果が感情を煽ることでなくしてなんであろうか、これがまさに典型的な例なのです。
政府省庁がテロリズムを定義しないのは、定義をすると、分析、把握、そして一貫性を保持するなんらかの規範の遵守などの努力をしなければならなくなるからです。
以上がテロリズムヘの政府省庁の対応にみられる第二の特徴。
第三の特徴は、明確な定義をしないまま、政府がグローバルな政策を履行するということです。
彼らはテロリズムを定義しなくとも、それを、良き秩序への脅威、西洋文明の道徳的価値観への脅威、人類に対する脅威と呼べばいいのです。
人類だの文明だの秩序だのをもちだせば、テロリズムの世界規模での撲滅を呼びかけることができます。
要約すれば、米国なり西洋が使うあらゆる暴力はテロリズムとは言わず、米国なり西洋が被る暴力はすべてテロとなるということだ。
これはチョムスキー教授の言い分と共通している。すなわち
「テロとは他者が『われわれ(米国)』に対して行う行為であり、『われわれ(米国)』がどんなに残虐なことを他者に行っても『防衛』や『テロ防止』と呼ばれる」
のである。ここに今日の米国の対テロ戦争や対大量破壊兵器戦争の大きな課題が集約される。
米国が自分たちがいくら核兵器や大量破壊兵器をもち、使ってもそれは自由と民主主義を守る正義の戦いとなり、中南米、カリブ諸国にCIAや海兵隊を送り込み他国の政府を転覆したり、要人を殺傷しても、それはテロとは決して言わないのである。
掲載日:2006年9月24日、2007年11月2日改訂