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――我々の認識では、「戦後民主主義」は風前の灯になってしまったのではないかと思っています。その現状と背景をどうみますか。私はいわゆる「戦後民主主義」は結局戦前の反動に過ぎなかったのかもしれないと思うのですが……
小沢 戦後も戦前同様、日本的なコンセンサス社会の継続でしかなかった。欧米流の民主主義を取り入れて「戦後民主主義」だと言っていたが、中身が伴わないものだから、おかしなことになった。今日の政治、経済、社会、文化の行き詰まりの原因はそこにある。
――重要な認識で私も共通だと思います。自衛隊のイラク派兵問題で派兵が延長されましたが、これについてはどのようにお考えですか。
小沢 最初から派兵すべきではなかったと考えているので、延長には反対。まず撤退すべきだ。
――関連して、米軍は「大量破壊兵器」を口実に、国連を無視して一方的にイラクに攻め込んだんですが、結局パウエル米国務長官も大量破壊兵器はなかったと断言している。で、私はこの戦争をアメリカの侵略と主張してきたが、その点はどうみますか。
小沢 大義なき戦争、そして国際社会の合意なき戦争だから、言葉遣いは別として、米英のプライベートな戦いだ。国際社会の合意に基づく平和維持のための軍事力の行使ではなかった。そのプライベートな戦いに、日本が軍隊を参加させてはいけない。それは憲法の精神にもとると、私は一貫して主張してきた。
――日本の歩むべき道として、小沢さんは「国連中心主義」を提唱されていますね。日米中心よりもそちらに重点を置くわけですが、その点をもう少し具体的にお話しください。
小沢 国連中心主義と日米同盟は、よく対立する命題のように言われるが、それは事実ではない。日本国憲法の理念は、国連憲章の理念そのもの。文言もほとんど同じだ。日米同盟の象徴たる日米安保条約も、国連憲章の枠組みそのものであり、文言も同じなんだ。だから私は、国連憲章と憲法と日米安保条約を、三つの同心円としてとらえている。安保条約も第五条で、国連が紛争解決の措置を執った場合は、日米の共同行動はそこで終了すると明記している。
超大国アメリカ一国ですべてを解決できるかというと、無理だ。今回のイラクがいい例だね。だから僕は、アメリカの知人に「キミたちはなんて愚かなんだ。ベトナム戦争でわかったはずじゃないのか」と言っている。世界最強の軍隊でも人心を掌握することはできないんだ。どのような場合でも、国際協調の考え方に立って、国際社会の合意と協力を得てやらないと、アメリカ自身も不幸なことになる。
実は、日米同盟の重点は安保ではない。みんな軍事面ばかりクローズアップするが、日米同盟の強化はもっとほかにやることがいっぱいある。経済の緊密化は特に重要だ。何よりも、日本が自立して、アメリカにきちんと忠告できる立場にならないといけない。
――ベトナム戦争と全く同じ「愚か」をやっているというご指摘は正鵠を得ていますが、私はベトナムもイラクもアメリカ建国以来の歴史の延長だと思っています。ところで小沢さんは、一九九九年九月の『文藝春秋』掲載の記事のなかで、「対米関係で手を切るということは日本が鎖国することだ」と書かれていますね。その通り「手を切る」のではなく、是々非々といいますか、少なくともフランスやドイツの対米姿勢、ああいう姿勢を日本も取るべきだ。
小沢 日本が名実ともに国連中心主義を実践することは、日本の自立に不可欠であり、対米カードにもなると思う。われわれは国連活動を率先してやっていく。その姿を国際社会で実際に示せば、アメリカも日本に無理難題を言えなくなる。
――抽象的な憲法改定論議が多いなかで、小沢さんたちは現行憲法の理念を実現しようと「日本一新十一基本法案」を去年(二〇〇三年)の国会に出されましたね。
小沢 僕らは、現行憲法の下で「無血革命」をやろうとしており、またそれができると思っている。その具体的な内容と方法を示したのが、この「十一基本法案」です。「無血革ス」とも言える大改革は、国民自身の決断と選択がないとできるものではない。それらを一体として実施することで、「自由で公正で開かれた社会」と「自立した国民による自立国家」を実現したい。
それに対し、いまの日本の改憲・護憲の議論は、理念もなければ、中身も全然ない。憲法が諸悪の根源のように主張する人々がいるが、憲法が変われば一夜にしてすべての問題が解決するのか。そのようなとらえ方は、政治的思考の停止にほかならない。憲法というものは、国民が互いにより良い生活をしていくための最高ルールだ。だから、時代が変わって、国民が変えた方がいいと思うところがあれば変えたらいい。しかし、それだけのことだね。
日本国憲法の基本理念は、平和主義、国民主権、基本的人権、国際協調の四原則だが、どれも不都合はない。時代が変わっても、普遍の原理、理想として掲げていてなにもおかしくない。日本国憲法の成立のプロセスは議論すればいろんな問題が出てくるが、中身とは別問題だ。もう少し冷静で論理的な議論を望みたい。
――国際平和・国際協力という場合、国連へ兵力を提供するんですね。ここんところが、憲法第九条に関連する自衛権の行使と、そのための戦力は矛盾しませんか。
小沢 国家の自衛権の行使と、国際社会の合意による国連の強制力行使とは、全く次元が異なり、その二つは峻別して考えなければならない。国連の決定に基づく平和維持のための軍事力行使は、第九条が禁じている「国権の発動による武力行使」には当たらない。内閣法制局はこれまで、その二つを混同して、国連の活動であっても、軍事力の行使は集団的自衛権の行使であり、「国権の発動による武力行使」だという見解だが、国連活動は個々の国々の自衛権とは全く異質のものだ。
もちろん、日本も自衛権を持っているが、個別的であれ集団的であれ、自衛権の行使は最大限抑制的でなければならないと解釈しないと、日本国憲法は成り立たない。自衛権の発動、つまり国権の発動による武力の行使は、直接日本が武力攻撃を受けた場合、あるいは日本の周辺地域で紛争が起きて放っておくと日本に直接の武力攻撃が及びかねない事態になった場合に限って許される。それ以外では行使しない。
――国連待機軍を創った場合、いずれ自衛隊をなくして国連軍にするんですか。
小沢 いや、自衛隊は自衛権の行使、つまり「専守防衛」に当たる。
――自衛権行使の自衛隊は残すんですか。
小沢 もちろん。自衛権の行使は国連の活動ではない。
――ただ、自衛隊の海外派遣はしないということですか。
小沢 そう。それは憲法上の制約ではなく、政治判断によるものだ。日本の場合、戦後二度と侵略戦争はしないと誓ったわけだから、そのことを実態として国際社会に示さなければならない。だから、軍隊を海外に出す時は、国連の旗の下に国連のブルーヘルメットをかぶって行った方がよい。それなら、かつて日本の侵略を受けた周辺諸国も心配しないと思う。
――別の組織を創るということか。
小沢 そういうこと。自衛権の行使のための兵力と、国連平和維持活動のための兵力は明確に切り離すべきだと思う。