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(回答先: Re: テスト 投稿者 white 日時 2007 年 5 月 05 日 00:53:31)
□ シリーズ「地球温暖化」 [岸波通信]
▽二酸化炭素ミステリー
http://www5f.biglobe.ne.jp/〜daddy8/z/19r.htm
《Web版》岸波通信 another world. Episode19 シリーズ「地球温暖化」その1
二酸化炭素ミステリー
【配信2005.7.24】
Global Warming 1
こんにちは。「ロマンサイエンスの夢先案内人」、岸波です。
貴方をまたも“the roman science of the cosmos”の世界へご案内します。
“人為的に排出された二酸化炭素”、これが地球温暖化のキーワードとされてから久しい感がありますが、ある日、ケイコがこんなことを言いました。
「地球の人類っていったって、たかが60億。
全員を隙間無く立たせたら、淡路島くらいで間に合うって言うじゃない?
そんな人類が出した二酸化炭素くらいで、地球が温暖化しちゃうの?」
ふむぅ・・・
たしかにそう言われてみると、少しアヤシイ気もしてくるね・・・。
調べてみると、最近、様々なサイトで専門家集団による反論や反証が展開されています。
どうやら“二酸化炭素悪玉説”の根拠は、磐石ではなくなったようなのです。
ともあれ、僕が疑問に思うのは、地球温暖化に対する二酸化炭素の“影響度”の問題です。
冷静に考えれば分かるように、地球の気温を決定する最も大きな要因は、太陽エネルギーの周期変動と太陽・地球間の距離の周期変動にあるはずです。
二酸化炭素だけに限って考えても、大量の二酸化炭素を放出する火山活動などと比較して、人為的に排出された二酸化炭素の影響度はそれほどに大きいのでしょうか?
はたまた、排出された二酸化炭素は、循環もせずに大気中にとどまって、どこまでも温暖化を亢進させてゆくのでしょうか?
このシリーズ「地球温暖化」では、そのあたりを検証して行きたいと考えています。
1 素朴な疑問
「炭素燃料の燃焼等による人為的排出二酸化炭素の温室効果によって、20世紀の100年間だけで地球の平均気温が0.6度上昇した。」
二酸化炭素温暖化論者は、こう主張します。
しかし、ここに興味深い地球観測データがあります。
上昇したとされる0.6度のうち0.4度までは、実は1940年までに上がりきっているのです。
人為的に排出された二酸化炭素は、一貫して右肩上がりで増加しているのに、何故、このような現象が起きるのでしょう?
・1900年から1940年までに平均気温は0.4度上昇。(20世紀100年間では0.6度)
・人為的排出二酸化炭素量は一貫して上昇。特に20世紀後半から増加量大。
※二酸化炭素が地球気温上昇の原因なら、後半で伸びるはず?
地球は14世紀中葉から19世紀中葉までの間、「小氷河期」と呼ばれる寒冷な気候にありました。
スイスのアルプスの氷河が拡大して谷筋の村々を押し潰したり、ニューヨーク湾が凍結して、マンハッタン島からスタッテン島まで歩いて渡れるほどでした。
この主な原因は、太陽活動が長期にわたって停滞(1645−1715)したことと世界各地の広範な火山活動によって大気上空に吹き上げられた火山灰が太陽光を遮断したためでした。
←(一般的に太陽活動の停滞期には太陽の黒点の数も減少するが、上記期間は極端に減少したため、観測史上「マウンダー極小期」と呼ばれている。)
この小氷河期は1850年頃まで継続し、以後、回復を始めるのですが、二酸化炭素温暖化論者が問題視している「ここ1世紀」のスタート地点は、まさにその“気温回復過程”に当たるのです。
とすると、この100年間の気温上昇というのは、“単に寒冷な気候から始まっただけではないのか”という疑問が湧いてきます。
2 二酸化炭素の量
環境庁が公表している「産業革命以降人為的に排出された温室効果ガスによる地球温暖化への直接的寄与度」というデータがあります。
その中では、二酸化炭素が63.7%と圧倒的なウェイトを占めています。
ところが・・・
温室効果ガスの大部分(97%)を占めているのは、実はこの表に載っていない水蒸気なのです。
何故、表から削除されているかと言えば、あくまでも環境庁が発表しているデータというのは“人為的に排出された”温室効果ガスであるためで、多くの人がこうしたデータ操作から誤った印象を与えられているのではないでしょうか?
水蒸気以外の温室効果ガスというのは、たった3%の内輪の数字でしかないのです。
しかも、その僅か3%の中には、無視できないであろうと思われる火山活動や地球面の多くを占める海洋表面からの蒸発など、地球の“自然活動”に由来するガスも含まれているのです。
さらに・・・
その温室効果ガスの大部分を占める水蒸気でさえ、地球の大気の中では僅かに2%を占めるに過ぎないのです。
では、「人為的に排出された二酸化炭素」が地球の大気に占めるウェイトというのは、いったいどの程度になるのでしょうか?
二酸化炭素温暖化科説の立場をとるIPCC(気候変動に関する政府間パネル)は、大気中に存在する二酸化炭素量のうち“最大限に見積もって2/3”としています。
しかし、二酸化炭素は人類が登場する遥か以前から存在しているものですし、自然のメカニズムの中では火山によっても大量に供給されています。
人為的な排出量がこれほどのウェイトになるということは、果たしてあり得るのでしょうか?
しかし、仮にこの途方も無い数字が真実だと仮定しても、単純計算して温暖化ガス全体の1.2%、大気全体の0.025%を超えることはないのです。
僕が、この数字を調べる前に抱いていた印象とは大きくかけ離れています。
(貴方はいかがでしょう?)
3 大循環メカニズム
もう一つ、重要な指摘があります。
名城大学総合センターの槌田敦教授によれば、温室効果は既に地表からの赤外放射の95%程度を補足しており、今後どんなに温室効果ガスが増えても、温室効果の増加は最大で5%未満ということです。
さらに、二酸化炭素による捕捉可能な波長帯域では、既にかなりのエネルギーが吸収されており、温室効果に有効に働く二酸化炭素は既に飽和状態に近いということです。
してみると、二酸化炭素の濃度がどんどん濃くなっていくということもありえないし、その温室効果で、気温がどこまでも上昇して行くということもなさそうです。
この“二酸化炭素の飽和”については、興味深いデータがあります。
1991年に、フィリピンのピナツボ火山が噴火し、大量の火山灰が吹き上げられて成層圏にまで達しました。
そして、その噴煙が太陽光を遮断したため、ハワイや南鳥島で観測されていた数年来の気温上昇傾向が、以後数年間にわたって横這いへと変化したのです。
ところが・・・
それら二つの観測所で観測された大気中二酸化炭素濃度には変化が見られなかったのです。
この間、火山の噴火によって大量の二酸化炭素が噴出し、一方では人為的に排出された二酸化炭素も増加し続けたはずなのですが・・・。
逆に、噴煙の影響が減少して気温が上昇に転じると、数年遅れで二酸化炭素濃度も増加を始めました。
観測的事実としては、二酸化炭素の増加が気温上昇を亢進させているというよりも、気温上昇が起きた結果として二酸化炭素が増加するという因果関係になっているのです。
もう一つ、南極にあるロシアのボストーク観測基地で、2000メートルに及ぶアイス・コアの分析が行われた調査でも不思議な結果が出ています。
アイス・コアから、過去22万年間の地球の気温と大気中二酸化炭素等温室効果ガスの濃度変化に関するデータが得られ、これらは確かに相関関係にあったのですが・・・
ここでもやはり、大気中二酸化炭素等の濃度は、地球気温の変化が生じてから、後追いで変化したことが確認されたのです。
これらのことから、短期的・長期的観測のいずれからも、温暖化と二酸化炭素濃度の因果関係は、通説とは逆であると言えます。
すなわち「二酸化炭素の増加は、温暖化の原因ではなく結果」ということです。
ならば、火山や人類が排出した二酸化炭素はどこへ行ってしまったのでしょう?
■ 火山から排出された二酸化炭素はどこへ行ったのか?
槌田教授の「温暖化ガス飽和説」を前提とすれば、火山等から排出された二酸化炭素は、飽和値の限界を越えることが出来ずに、何らかの形で循環し、地球に吸収されたものと考えられます。
例えば、森林の光合成を促進させて取り込まれることや降雨に溶け込んで地表に還元されることが想定されますが、これだけでは、地球が温暖化して飽和値が上昇した場合の供給源が説明できません。
何故なら、地球が温暖化するたびに、都合よく後追いの火山噴火が生じるとも思えないからです。
とすれば、気温上昇後の二酸化炭素増加は、もっと大きな全地球規模のメカニズムに起因していると考えるのが妥当でしょう。
火山よりも大規模なメカニズム・・・結論から言えば、地表面の大きな割合を占める「海洋面」が調整機能を果たしていると考えられます。
この「海洋面大循環」のメカニズムと比較すれば、火山の影響さえ僅かなもの。
そう考えると、“人為的排出二酸化炭素の温暖化寄与度が最大に見積もって2/3”とするIPCCの主張は、現実的でない気がします。
■ 二酸化炭素の温暖化寄与度は限定的?
また、地球気温が上昇すれば、確かに温室効果ガスの飽和値が上昇して、気温上昇を助長することになりますが、その効果は極めて限定的なものにとどまるのです。
温暖効果は、あくまでも地球からの赤外放射の一部を取り込んで地球に還元するものです。
地球は約33度の温室効果を受けていると言われ、生物に大きな恩恵をもたらしているわけですが、既に95%の赤外放射は取り込まれているので、残量は最大でも5%に過ぎません。
しかも温室効果ガスの97%は水蒸気によるものですし、二酸化炭素の温暖化効果は他の温室効果ガスと比較しても微弱なものですから、そこだけを捉えて議論するのは、いかがなものでしょう?
ましてや、その二酸化炭素だけに限定しても、海洋や火山による「自然大循環」の影響というのは、とうてい無視できないウェイトを占めているはずです。
このように考えて来ますと、これまで疑いさえもたなかった「二酸化炭素悪玉説」というシナリオは、いきなりミステリーじみてまいります。
少なくとも、、“過去1世紀の急激な平均気温の上昇は、人為的に排出された二酸化炭素の影響無しには考えられない”と、狙い撃ちで断定するのは、時期尚早ではないでしょうか。
ならば、地球温暖化の本当の原因は何なのか?
Episodeを改めて、最新の議論をご紹介したいと思います。
▽氷河期と超大陸
http://www5f.biglobe.ne.jp/〜daddy8/z/20r.htm
《Web版》岸波通信 another world. Episode20 シリーズ「地球温暖化」その2
氷河期と超大陸
【配信2005.8.7】
Global Warming 2
こんにちは。「ロマンサイエンスの夢先案内人」、岸波です。
貴方をまたも“the roman science of the cosmos”の世界へご案内します。
ヨーロッパでは、大平原の真ん中に、その辺りでは見られない組成の巨石がポツンと存在していることがあります。
これは、いったい誰が、何のために運んで来たのでしょう?
人々は、説明の付かないこの現象を“迷子石”と呼び、聖書に出てくるノアの大洪水によって運ばれて来たのだと考えるようになりました。
ところが・・・
19世紀の博物学者ルイ・アガシーは、スイスのヌーシャテルで開催される学会で魚類化石に関する研究を発表しようとしていました。
しかし、講演の直前に「迷子石は氷河によって運ばれた」という考えがひらめき、即興で“かつて地球は氷河に覆われていた時代があった”という講演を行ったのです。
彼の講演は、1840年に「氷河時代」と題して出版され、以後、研究が進められて学会の定説となるのですが、“氷河期がなぜ起きるのか”ということについては、ごく最近まで地球科学の最大の課題の一つでした。
氷河期〜それは、我々が知っている地球気候変動の典型例です。
その原因について理解することが、地球温暖化の真の原因に迫る鍵になるのではないでしょうか?
ということで、今回のanother world.は、“シリーズ地球温暖化”の2「氷河時代と超大陸」です。
←(なお、氷河期の着想はアガシーのオリジナルでなく、彼に示唆を与えた人物がいるという異説もあります。)葉羽
1 氷河期サイクル
皆さんは、氷河期にどのようなイメージを持っているでしょうか?
僕は、長い間、“地球全体が氷に覆われた厳寒期”と考えていたのですが、実際の定義はそうではありませんでした。
氷河期とは、地球の平均気温が長期にわたって下降し、極地の氷床や高緯度地域の氷河群が拡大した時期のことで、過去数百万年に関して言えば北アメリカとヨーロッパに氷床が広がっていた時代を指します。
つまり、高緯度地域に氷河が広がっていても赤道付近では熱帯性気候が維持されている場合もあるわけで、あくまでも長期的に見た平均気温の問題として捉えられるのです。
ところで、アガシーの「氷河時代」では、過去数十万年の間に氷河期という時代があったと推論をしましたが、それより遥か過去の時代にも氷河期があったとは考えもしませんでした。
現代では、27億年前から23億年前頃の原生代前期に、最初の氷河期が到来したと考えられています。
←(地球が誕生したのが45億年前だから、凄いスケールだね。)葉羽
また、証拠が確認されているもので言えば、過去10億年の間に4回の氷河期がありました。
そのうち最も古く、そして最も厳しい氷河期は、原生代末期の8億年前から1億年以上も続いた“超氷河期”と呼ばれるものです。
この超氷河期時代の地球は、赤道まで氷に覆いつくされるほどの全球凍結状態となったことから、“スノーボール・アース”と呼ばれています。
←(スノーボール・アースの終結が、引き続いて起こった生物種の大発生〜カンブリア爆発の原因になったという説もあるんだ。)葉羽
※■が氷河期。「超氷河期」は、この表の右側枠外。
その後、超氷河期ほどの規模ではありませんが、古生代の4億6000万年前から4億3000万年前にかけてと3億5000万年前から2億5000万年前にかけて小さな氷河期がありました。
中生代(2億5000万年前〜6500万年前)に入りますと、一転して温暖な気候が続きますが、4000万年前頃から地球は急激に寒冷化しはじめ、この最も新しい氷河期は、それ以降現代まで続いています。
「え、現代まで・・・?」
そうなのです。
地球史的なレベルから見れば、現代も氷河期の中にあると言うのですから驚きです。
「しかし、現代はむしろ“地球温暖化”が問題になっているじゃないか?」
それもごもっとも。
実は、氷河期はその全期間を通して寒冷な気候にあるわけではなく、さらにその中で、氷期(寒冷期)と間氷期(温暖期)の小さなサイクルで気候が変動しているのです。
2 気候変動とミランコビッチ・サイクル
南極の氷床コアや深海掘削試料の分析によって、過去60万年間の詳細な気候変動の実態が解明されて来ました。
その結果、ヨーロッパでは、この60万年間に少なくとも5回の氷期とその間に4回の間氷期、そして、最終氷期の後、現在に及ぶ後氷期が存在したことが判りました。
大きな氷河時代の中のこれら小さな氷期のサイクルは、古い方から順にドナウ氷期、ギュンツ氷期、リス氷期、ウルム氷期と名付けられています。
最終氷期とされたウルム氷期は約1万年前に終息しましたので、それ以降の時代は最終氷期の後の時代という意味で“後氷期”と呼ばれて来ました。
←(実際は次の氷期までの間氷期であることが10年前に判ったんだ。)葉羽
では、このような氷期・間氷期のサイクルはどうして起こるのでしょう?
1941年にユーゴスラビアの地球物理学者ミランコビッチは、地球の公転軌道に周期的な揺らぎがあることを発見しました。
また、地軸の向きや角度など地球自体の天体活動にも周期的な変化が起きていることを、計算の結果、突き止めました。
そして彼は、こうした地球の自転・公転の揺らぎが氷期・間氷期の気候変動に大きな影響を与えているのではないかと推論したのです。
その後、氷期・間氷期に関する研究が進められますと、確かに過去60万年間の氷期・間氷期はミランコビッチが指摘したサイクルと対応していることが確認されました。
しかし・・・
ミランコビッチの理論だけでは、氷期・間氷期のサイクルが何故60万年前から生じたのか説明ができません。
いったい何故・・・?
それに答えを与えたのは、意外にも“大陸移動説”に関する研究でした。
今から7000万年前、プレートに乗って移動してきたインド亜大陸は、北上してユーラシア大陸に衝突し、チベット・ヒマラヤ山系の形成を開始しました。
この造山運動が地球環境を激変させ、地球寒冷化のひきがねを引いたのです。
その後も造山運動は続き、60万年前頃には、ヒマラヤ山系をさらに5000メートルも隆起させました。
まさにこの60万年前を境にして、氷期・間氷期の寒暖差が激しくなっていたことが判ったのです。
つまり、ミランコビッチ・サイクルが突然60万年前から始まったわけではなく、この時期から寒暖差が増幅されたため、氷期・間氷期が認識しやすくなったのだと考えられます。
このようにして、地球の気候変動には、ミランコビッチ・サイクルと大陸移動が大きな役割を果たしていることが突き止められました。
でも、この造山運動以外にも、大陸移動が気候変動に与える“よりダイナミックなメカニズム”が存在するのです。
それはいったい・・・?
3 超大陸と気候変動
今から2億5千万年前、地球上にはパンゲアと呼ばれる一つの超大陸が存在しました。
←(Episode3&4「浮遊大陸(前・後編)」を参照してね。)葉羽
そして、その時代の大陸配置は次の図のようになっていました。
大陸がこのように赤道付近の一箇所に集合していると、海洋上を東から流れてきた暖流が大陸の東海岸にぶつかって両極方向に流れて行くために、全球的にくまなく熱が伝達され、温暖な気候になると考えられています。
←(ただし、大陸が極地方に存在した場合には逆の効果になるんだ。)葉羽
実際、諸大陸の衝突によって、2億5千万年前にパンゲア超大陸が形成された中生代(2億5千万年前〜6500万年前)には、全体として非常に温暖な気候が続きました。
ところが、6500万年前頃になりますと、パンゲア超大陸から分裂した大陸がほぼ現在の位置まで移行し、極地方への熱伝達がうまくいかなくなりました。
その結果、地球は次第に寒冷化して行きます。
3600万年前には南極大陸が氷床に覆われ、次いで300万年前には北極の氷床が成長を始めるのです。
←(これを促進させたのが、インド亜大陸の衝突によるヒマラヤの形成さ。)葉羽
このように、地球上の大陸の配置は、海洋の熱循環を通して気候変動に大きな影響を与えます。
では、パンゲア以前はどうだったのでしょう?
実は、地球上に現れた超大陸はパンゲアだけではありません。
最初の超大陸はヌーナと呼ばれ、約19億年前に誕生したと考えられています。
そして、その後も数億年の周期で、大陸の集合離散が繰り返されているのです。
【かつて地球上に存在した超大陸】
ヌーナ超大陸(19億年前頃):最初の超大陸
コロンビア超大陸(18億年前〜15億年前頃)
パノティア超大陸(15億年前〜10億年前頃)
ロディニア超大陸(10億年前〜7億年前頃)
パンゲア超大陸(2億5000万年前〜2億年前頃)
※大陸は、数億年周期で集合離散を繰り返している。
スノーボール・アースを現出させた8億年前は、ちょうど第4番目のロディニア超大陸の時代に当たります。
ロディニア超大陸は、パンゲアが形成された地域からほぼ正反対の、現在の太平洋地域の南半球寄りに形成されました。
10億年前にロディニア超大陸が形成されると間もなく、今度は離散が開始されましたが、8億年前頃には、分裂した全ての小大陸がスノーボール・アースの分厚い氷河に覆われていたと考えられます。
地球の長期的な気候変動に決定的な影響を与えている大陸移動〜その活動は現在も続いています。
今から2億年後には、ユーラシア大陸とアメリカ大陸、オーストラリアが衝突して太平洋が消滅し、アメイジアと名付けられた超大陸が出現すると予測されています。
その遥かな時代、我々人類は、この地上の王として変わらずに君臨を続けていられるのでしょうか?
▽彷徨える地球(テラ)
http://www5f.biglobe.ne.jp/〜daddy8/z/21r.htm
《Web版》岸波通信 another world. Episode21 シリーズ「地球温暖化」その3
彷徨える地球(テラ)
Global Warming 3
こんにちは。「ロマンサイエンスの夢先案内人」、岸波です。
貴方をまたも“the roman science of the cosmos”の世界へご案内します。
今年の日本の夏は、とりわけ暑い気がするのですが、皆様、いかがお過ごしでしょう?
北半球にいる僕たちが夏の暑さに参っている今頃、南半球のシドニーにいるデンジャラス・レディーやニュージーランドのニコラさんたちは、きっと寒さに震えているのではないでしょうか。
北半球が夏ならば、南半球は冬・・・こんな当たり前の話が、どうやらあと6500年ほど過ぎると“当たり前”ではなくなるらしいのです・・・。
地球に季節があるのは、太陽を廻る公転面に対して23.5度傾いているから・・・確かに小学校の時にそう習った記憶があります。
しかし、この自転軸の傾く方向は、我々が気が付かないくらいにゆっくりと変化しているのだそうです。
その自転軸の揺らぎのために、6500年後には北半球と南半球の季節が同じになり、更に6500年後には、逆転してしまうというのですからコトは穏やかではありません。
母なる太陽の周りを、悠久の時を刻みながら、同じように廻り続けていると思っていた地球(テラ)・・・。
それは、あたかも宇宙を彷徨う旅人のように、ゆらゆらと自転や公転が変化しているのです。
ということで、今回のanother world.は、“シリーズ地球温暖化”の3「彷徨える地球(テラ)」です。
1 織女星(ヴェガ)が北極星になる日
SF作家フレドリック・ブラウンに「狂った星座」という作品がありました。
宇宙を観測していた科学者が、ある日、望遠鏡をのぞいてみると不思議な違和感を感じます。
星座の形が微妙に歪んでいるような気がするのです。
でも、実際の星々は、何万光年以上も離れているのですから、そんなことがあり得るはずはありません。
ところが・・・
世界中で観測されていた星座が次々と動き出し、人類はパニックに陥ります。
さて、その結末は・・・。
ブラウンの「狂った星座」は驚天動地の結末を迎えるのですが、我々が見上げる現実の星空でも似たようなことが起こっていると言ったら驚きますか?
満天の星空で唯一動かない星とされる北極星。
北極星は、ちょうど地球の自転軸の延長上にありますから、さも動かないように見えています。
でも実際の地球の自転というのは、コマが倒れる寸前に見せるような“味噌すり運動”をしていて、約2万6000年で一回転するのです。
さあ、そういたしますと、地球の傾く方向が変わってしまうのですから、当然、天の北極も変わってしまいます。
紀元前2000年〜エジプトで初めて「太陽暦」が使われた頃、地上の人々が見ていた北極星というのは、りゅう座のα星(トゥバン)でした。
現在の北極星は、こぐま座のα星。
そして、あと1万2000年ほどが経過しますと、今度は、天の川を挟んでいる織女星(ヴェガ)が北極星の位置に来るというのです。
地球の歳差運動(地軸の向きの変化:2万6000年周期)
【現在の近日点(1月7日)】(左)
北半球:真冬、南半球:真夏
【1万3000年後の近日点(1月7日)】(左)
北半球:真夏、南半球:真冬
このように、地軸の向きが変化することによって、北極星が入れ替わり、北半球・南半球の季節が入れ替わるという不思議な現象が起きるのです。
←(この“味噌すり運動”のことを「歳差運動」と呼ぶんだよ。)葉羽
2 地球の周期運動
地球の周期的な天体運動は、この「歳差運動」だけではありません。
■ 地軸の傾きの変化(4万1000年周期)
歳差運動では、“地軸の向く方向”が2万6000年周期で変化しました。
ところが、地軸の傾き自体も、4万1000年周期で変化しているのです。
現在は23.5度に傾いていますが、月と太陽の影響を受けて、最大24.5度、最小21.8度の間を行ったり来たりします。
これは、気候の季節変動の大きさに影響を与えます。
葉羽 (地軸の傾きが大きくなると、太陽が沈まない白夜や太陽が昇らない極夜の範囲も大きくなるんだ。)
■ 公転軌道の変化(10万年周期)
地球の公転軌道は太陽を焦点の一つとする楕円軌道を描いていますが、約10万年周期で、円に近づいたり大きくひしゃげたりしています。
公転軌道の変化(10万年周期)
【真円に近い状態】
夏・冬の日射量の差が4%
【長円に近い状態】
夏・冬の日射量の差が20%
これは、主に木星の影響によるものですが、真円に近い状態と長円に近い状態とでは、夏・冬の日射量の差が最大20%から最小4%まで大きく変化します。
現在の差は7%で、比較的安定した状態にあります。
以上、「歳差運動」と「地軸の傾き」と「公転軌道」の三つの周期変動が相俟って、地球に氷河期をもたらしていると考えたのがユーゴスラビアのミランコビッチです。
この三つを合わせてミランコビッチ・サイクルと言いますが、実際、過去60万年の氷期・間氷期のサイクルとピタリと一致しているのだそうで、現在ではこの考え方が主流となっています。
では、どうして地球の天体運動が気候変動に影響を与えるのでしょうか?
3 陸半球・海半球
地球の天体運動は、太陽から受け取る日射量を大きく変化させます。
考えてみれば、北半球と南半球では、太陽からの距離がほんの僅か(地軸の傾きの分)しか違わないのに、片や夏・片や冬という具合に大きく気温が違うのですから、太陽からの距離自体が変化するとなれば、どれほどの影響が出るかは容易に想像がつきます。
また、これと大きく関ってくるのが現在の海・陸分布です。
現在の地球の大陸は、極端に北半球に偏っています。
次の図は、陸半球と海半球を表したものですが、南半球を中心とする海半球には陸地が10%しかありません。
陸半球
海半球
陸地は海洋に比べて熱しやすく冷めやすいという性質があるので、陸の多い北半球への日射量が変化すると、地球全体が寒冷化したり温暖化したりするのです。
そして、北半球への日射量は、ミランコビッチ・サイクルによって数万年から数十万年の周期で変化しますが、少しの寒冷化が引き金になって氷河の形成が始まると、氷河が太陽光を反射してしまうため、ますます寒冷化に拍車がかかるという循環が起きます。
このようにして、ミランコビッチ・サイクルによる地球の天体運動は、地球上に氷河期を到来させていたのです。
地球の温暖化・寒冷化を支配し、氷河期を到来させて来た地球(テラ)の天体運動と大陸移動・・・約1万年前に始まった現在の間氷期は、あと数千年で終わりを告げ、再び厳しい氷期が到来すると言われています。
やがてニューヨークもロンドンもハンブルグも、2万年前にそうであったように、ぶ厚い氷の下に閉ざされてしまうでしょう。
その時、我々の子孫たちは、果たして・・・?
▽陽光(ひかり)満ちる時
http://www5f.biglobe.ne.jp/〜daddy8/z/22r.htm
《Web版》岸波通信 another world. Episode22 シリーズ「地球温暖化」その4
陽光(ひかり)満ちる時
Global Warming 4
こんにちは。「ロマンサイエンスの夢先案内人」、岸波です。
貴方をまたも“the roman science of the cosmos”の世界へご案内します。
1608年に、オランダのメガネ職人によって最初の天体望遠鏡が作られてから、天文学は飛躍的な発展を遂げることとなりました。
イタリアのガリレオ・ガリレイもこれを真似て望遠鏡を自作した一人で、彼はその望遠鏡で太陽を観測し、驚くべきことを発見します。
「何と! 太陽には“あばた”があるではないか・・・。」
そうです。これが西洋で初めて太陽黒点が発見された第一声でした。
ところが・・・。
ガリレオと同じ年に、3人の人物が太陽黒点を発見し、それぞれ自分が黒点の発見者だと主張しました。
イエズス会の聖職者シーナーも、そうした発見者の一人。
ところが、彼だけは大きな悩みを抱えてしまいました。
キリスト教の教義にのっとれば、神が創造した天空の太陽は完全無欠のもの。
決して、“あばた”などあってはならないものだったのです。
それほどまでに、当時の人々に衝撃を与えた太陽黒点の発見・・・その黒点こそが、現在の地球温暖化の原因だとしたら・・・?
ということで、今回のanother world.は、“シリーズ地球温暖化”の完結編です。
1 消えた黒点
17世紀初頭にガリレオが黒点を発見した後、世界のあらゆるところで太陽黒点の観測が行われるようになりました。
ところが、それから間もなくして、予想もしないことが起こります。
あれほど世間の耳目を集めた黒点が、突然、姿を消してしまったのです!
1645年頃から、観測される黒点の数が減りはじめ、1650年から1710年にかけては黒点の観測記録が全くありません。
←(黒点が減少したこの時期のことを“マウンダー極小期”といいます。)葉羽
一方、この頃の北米やヨーロッパは非常に寒冷な状態にあったことが知られていて、拡大したアルプスの氷河が谷筋の村を押し潰したり、テムズ川やオランダの運河が凍結するほどでした。
後年になって、このマウンダー極小期よりさらに過去の太陽活動の変動が推定されると、このような太陽黒点が減少した時期というのは何度か繰り返されていたことが明らかになりました。
(これらは、シュペラー極小期(1420〜1530)、ウォルフ極小期(1280〜1340)、オーアト極小期(1010〜1050)と呼ばれます。)
うち、ウォルフ極小期の1315年には、冷害による飢饉のために150万人もの死者が出てアイスランドの人口が半分になったと記録されています。
太陽の黒点が減少する時期と地球の寒冷期の奇妙な符合・・・。
このことに気付いた科学者たちは、太陽黒点の活動が地球の気候に影響している可能性があるのではないかと考えるようになりました。
そこで、太陽黒点の正体をめぐる研究が進められることになったのです。
2 黒点の正体
黒点の観測が進められると、極小期のような極端な時期以外でも、黒点は常に増減を繰り返していることが分かりました。
1843年、ドイツのアマチュア天文学者シュワーべは、こうした黒点活動に周期性があるのではないかと考えました。
その結果、黒点数の増減は11年周期で生じ、さらにそれらが5つ集まった55年の大周期ごとに大きな変動をするというサイクルが突き止められたのです。
20世紀初頭に入りますと、ついに米国の天文学者エラリー・ヘールが黒点の正体を解明しました。
黒点を生じさせているのは太陽内部から噴き出した磁力線で、強力な磁力線の束が太陽表面を突き抜ける時に、そこだけプラズマの対流が妨げられて“大きな穴”が開いた状態になるのです。
この“見かけの穴”こそが太陽黒点で、プラズマが入り込めないために相対的に周囲よりも低温になり、暗く見えるのです。
←(黒点部分の温度は、まわりの70%くらいしかありません。)
その大きさは、直径が数千キロから大きなものでは数万キロにもおよび、地球などはすっぽりと収まってしまうほどの巨大な穴なのです。
←(地球の直径は、約1万3千キロです。)
また、黒点を形成するのは磁力線ですから、当然にN極とS極の磁力線が同時に発生します。
地球の場合は、ちょうど地軸の反対側付近がN極・S極ですが、太陽の場合には、この両極がごく近い場所にペアで出現するという奇妙な姿を見せます。
次の画像が、実際の姿です。
ペアで発生する太陽黒点
【可視光画像】
【磁気画像】
※白いのがN極、黒いのがS極。
このように、黒点が多く発生するということは、太陽内部の核融合反応が活発化した現れです。
とすると、「黒点数の増加→太陽活動の活発化→太陽が放射する光エネルギーの増大→地球が受ける光エネルギーの増加→地球の温暖化」という図式が浮かびます。
ところが・・・
このような“太陽の放射する光エネルギーが変化する”という考え方は、長らく「異端の説」として排除されて来たのです・・・。
3 太陽は変光するか?
天文学には「太陽定数」という言葉があります。
これは、“太陽が放射する光や熱の総量は常に一定である”とする考え方です。
(その値は、最近の測定によれば、1.37キロワット毎平方メートル(1.96カロリー毎平方センチメートル毎分)だそうです。)
この立場から言えば、“太陽の光エネルギーの増減による地球気候の変動”という仮説は荒唐無稽にしか写らなかったのです。
もちろん、「太陽定数」を正確に測定しようとする努力は19世紀から続けられて来ました。
いかんせん地上での測定では、大気の状態による誤差が大きく、その誤差の範囲では一定と見なすしかなかったのです。
つまり、観測技術の限界が「太陽定数」という神話を生んだのです。
しかし、人類は20世紀後半になって、ようやく「太陽定数」の実態を把握する手段を手に入れました。
そう・・・“人工衛星”です。
1978年に打ち上げられた人工衛星「ニンバス7号」は、10年以上にわたって太陽光の強さを観測しました。
また、太陽の観測を目的としたSMM衛星、地球の放射収支の観測を目的としたERBS衛星もこれと重なりあう時期に観測をしています。
これらのデータを総合した結果、確かに黒点が活発に活動する時には、太陽光が強くなっていることが明らかにされたのです。
←(11年サイクルの太陽周期で、±0.1%程度だそうです。)
この観測以降、天文学では「●●年の太陽定数は▲▲であった」というふうに、変化を前提とする表現が使われるようになりました。
ならば、この太陽定数の変化が地球の気候にどのような影響を与えているのかを具体的に見て見ましょう。
4 太陽定数と気候変動の相関
まずは、「地球温暖化論への挑戦」(著:薬師院仁志)に掲載されている太陽黒点数と平均海水面温の観測地の相関図です。
平均海面水温は、太陽活動の変動によく追随しているように見えます。
次に、太陽黒点数と北極寒気団の勢力指数の観測値です。
両者は強い相関関係を示しており、太陽活動が地球の気候変動に大きな影響を与えていることが分かります。
さらに、「超異常気象」(著:根本順吉)に掲載されている黒点周期の変化と北半球気温偏差の相関図です。
この図は、ちょっと説明が必要なのですが、11年と言われる黒点周期は、実際には9.7年から11.8年の間で変動しています。
周期が短くなるということは太陽の活動が活発化していることを表しますので、この図の実線は、周期が短くなる度合いを、また点線は北半球の気温偏差を示しています。
ここでも両者は、非常に強い正の相関関係にあることを示しています。
以上のとおり、太陽黒点の増減によって表される太陽活動の変動は、地球の気候変動に大きな影響を及ぼしていることが判ります。
■ 地球温暖化に関するまとめ
このシリーズで紹介してきましたように、地球の気候変動には様々な要因が複雑に関与しています。
大陸移動の結果現出した地球上の海陸配置、地球の公転の揺らぎに伴う太陽との距離の変動、歳差運動等による地球の受光能の変化、太陽の銀河公転に伴う星間ガス通過、火山活動、温室効果ガス、そして太陽活動に伴う光量の変化・・・。
うち、数億年レベルの大周期では海陸配置などが、10万年前後の中周期ではミランコビッチ周期が、そして、数十年レベルの小周期では太陽活動の変動周期が最も大きな要因となっているように見えます。
とどのつまり、地球は殆どの熱量を太陽から受け取っているわけですから、太陽の放射するエネルギーの量そのものの変化と位置関係・海陸配置による地球の受光能の変化が決定的な要因で、それを温室効果ガスや火山活動が付随的な効果を与えて気候を変動させていると考えるのが妥当ではないでしょうか。
二酸化炭素による温室効果が存在するのは事実ですが、それは、気温の上昇を後追いして、付随的な効果を与えているに過ぎません。
まして・・・繰り返し言いますが、二酸化炭素は同様な効果を持つ温室効果ガスのうちの2%に過ぎず、人為的に排出される二酸化炭素のウエイトはさらに微量です。
多くの要因を総体的に捉えず、“人為的に排出された二酸化炭素さえ削減すれば地球温暖化を抑止できる”とする「二酸化炭素温暖化説」は、あまりにも近視眼的な考え方ではないでしょうか。
それでも、貴方はまだ「二酸化炭素悪玉説」を信じますか・・・?
《追伸》
専門家たちのサイトでは、ここで紹介した他にも「二酸化炭素温暖化説」に対する様々な反証が挙げられていますが、ここ「岸波通信」での紹介は、このへんまでにしておきましょう。
人為的排出二酸化炭素を抑制するためにわが国で行われている様々な“節約”・・・それ自体は日本人の美徳にも通じるところですので、良いことではないでしょうか。
ただ、物事を疑ってかかることも時には必要です。
京都議定書の件についても、先進国の削減義務にばかり目を奪われがちですが、あの議定書に調印したことによって、発展途上国は化石燃料の利用を制限され、先進国との格差が固定されてしまいかねない側面にも着目すべきです。
何と言っても、「二酸化炭素温暖化説」を声高に唱える学者たちが数多くいる「ある国」では、自らが調印を拒否しているという不思議な事実があるのですから・・・。
では、また次回のanother world.で・・・See you again !