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(回答先: 大切にしたい感覚 投稿者 東京音頭 日時 2008 年 7 月 06 日 22:56:51)
東京音頭さん、こんにちは。
都心のビルが林立する地域に棲んでいますと、ビル群の重みで大地が悲鳴をあげているのではないか、お決まりのようにそんなことを想像してしまいます。と同時に、その上で平然と営みを続けている人間とは一体何なのだろうかと、言い知れぬ疑問が沸々と湧いて来ます。そこには、木の文明を築き、木の文化を形成して来たのにも拘わらず、いとも簡単に鉄の文明と石の文化を受け入れてしまった日本人のもう一つの姿が浮かび上がります。
ところで、1950年代、私の周囲には置き去りにされた戦前的なものがまだまだ沢山ありました。雨が降れば忽ち幾つもの水溜りができる街路、主(あるじ)や従者が去って久しい屋敷跡と崩れかけた煉瓦塀、家々の表の片隅にあるコンクリート製のゴミ箱等々、すべてが遊び場であり、遊び道具でもありました。
敗戦を契機に、農地改革、教育改革、選挙制度改革、日本国憲法制定、財閥解体等の大幅なシャッフルが生じ、とにかく国民の多くが新たな平等(感)を手にしたことは周知の通りですが、それによって自分達の祖先が長い時間をかけて作り上げ、伝えようとして来たもの(感覚)は失われたのでしょうか。では、祖先が伝えようとした日本人の美点とは一体何なのでしょうか。私のように一介の職方の家庭に育った人間には即座に思い当たるものがないのです。
戦前までは警察や教師等の公務員や国策企業大手の社員を除けば、大部分の国民は労賃で日々を凌いでいた今日で云うところの非正規雇用の労働者が大部分を占めていたのであり、職人や農家の自己資本形成が可能になったのは戦後に到ってからのことです。皮肉なことに雇用形態だけは戦前に回帰しようとしている模様の昨今ではありますが、我々はそれを受け入れるべきなのでしょうか。
日本の教育が公僕(公務員)養成や臣民教化のためのものであるという、本質の部分は明治期以来何ら変わってはいません。それに気づきながらも結成当初から内外の政治闘争に力を殺がれてしまい、日教組でさえも十分な対策を打つことができなかったのは、戦後日本の不幸な一面を物語ってもいます。
必ずしも荒野で育まれた思考様式に倣うべしとは思いませんが、森林の中で培われた思考様式に拘るのは過去の幻影に囚われているのにひとしく、殆ど無益ではないかと考えています。最早手を伸ばせが欲しいものが直ぐに手に入る森林はなく、荒地が広がる世界においては先ず耕すことから始めなければならないでしょう。それには、日本人の美点の追究のみに拘ることはなく、謂うなればもっと広角的に人間の本性に立ち返って考察することが肝要ではないかと思う次第です。
Auf Wiedersehen.