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http://www.chunichi.co.jp/article/feature/yui_no_kokoro/list/200804/CK2008042002005161.html
【結いの心】
テント生活6年、65歳男性脱出 人情あれば立ち直れる
2008年4月20日
路上生活者だったころに住んでいた場所で当時を思い出す男性=名古屋市内で
「感想を述べる前に、少しだけ私事を申し述べておきます。私は1年すこし前までは、テント生活をしておりました(以下略)」
取材班に届いた反響の中に、自身の路上生活体験を便せん4枚につづった手紙があった。6年に及ぶテント暮らしを「人間の生活ではない」と振り返り、支援者の手助けでアパートに入居できた喜びを切々と訴える内容。差出人の男性(65)に会いに行った。
「あの2人がいなかったら、私はまだテントにおったやろう」
昨春から住み始めた名古屋市内のアパートで、男性はしみじみと語った。
大阪で運送関係で働き、50歳でタクシー運転手になった。だが、長年の運転業務で腰を痛め、仕事が激減。月給は7万円に減り、気力も無くし、気をまぎらわそうと始めたパチンコが、人生を狂わせた。消費者金融で最初に借りたのは10万円。完済する少し前に「次は50万円まで借りられますよ」と勧められて徐々に感覚がまひし、ずるずると借りた借金は10社で計500万円にまで膨らんだ。
取り立て人が押しかけ、勤務先を退職。催促の電話が自宅で鳴り続けた。正看護師になった娘が「これできれいになるのなら」と50万円を融通し、妻が生命保険の解約金を手渡してくれた。オイオイ泣けたが、返済額には届かず、離婚届に判を押して家を出た。
自転車で、若いころ過ごした名古屋市の白鳥公園にたどり着いた。所持金が尽き、ハトにまいてあったパンくずを拾って食べたとき、思った。「どん底まで落ちたなぁ」
周りの路上生活者をまねて、空き缶を拾い始めた。缶を売って最初に手にした210円でパンを買い、むさぼるように食べた。
堀川沿いに立てたテントでの生活が、6年目に入った一昨年の初夏。ある男性が訪ねてきた。
「最近どうですか」。炊き出しグループ「ささしま共生会」(名古屋市)の林正史(49)だった。路上生活になった事情や、住所がなく年金を受給できないことを打ち明けた。
紹介された支援団体「笹島診療所」(同)の藤井克彦(65)が、住所を得るために骨を折ってくれた。アパートは共生会が保証人になって、やっと入居できた。「畳の上に寝られるのは、何年ぶりか」。部屋で大の字になると涙があふれた。
「自分の人生は自業自得。でも、路上生活をして人情のありがたみが分かった」
年金と生活保護で暮らす今も時々、テント小屋があった場所を訪ねる。昔の仲間に「笹島診療所に行ってみんか」と話し掛ける。
「結いの心」でもやいの理事長稲葉剛、事務局長湯浅誠が路上生活者の保証人になった経緯を読み、自分の人生と重なる思いがしてペンを取ったという手紙に、こうつづった。
「稲葉さん、湯浅さんみたいな人がもっと増えれば、ホームレスの人が立ち直れる気がします」 =文中敬称略
(取材班・島崎諭生)