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▽【結いの心】
新たな一歩(上) 頼られる喜び知った
2008年4月8日
http://www.tokyo-np.co.jp/feature/yui/news/080408.html
パソコンを操作しながら、電話相談にも応じる元プログラマーの男性=新宿区で
いつも同僚の悪口をこぼす父が嫌いだった。元プログラマーの男性(31)は、官僚の父が夜遅くに帰宅し、シャワーを浴びる姿しか印象にない。「あいつに負けそうだ」。独り言のようなつぶやきが耳にこびりついている。
受験では有名大学を、就職では一流企業を求められた。反発し、プログラマーの専門学校に入学してからは、一人暮らしに。二十三歳で、金融系システムの開発会社に就職。四年後、経営が悪化し「派遣社員扱いで、子会社に行ってくれないか」と頼まれたのが、過酷な日々の幕開けだった。
百人余りの派遣社員は、全員がライバルだった。五カ月ごとの契約更新では毎回十人も切られた。
広いフロアは一人ずつ壁で仕切られ、キーボードをたたく音だけが響く。連絡は電子メール。交流はなかった。サービス残業を続けたが、期日に間に合わないと朝礼で「自己責任だ」と叱責(しっせき)され、ペナルティーで給料から十万円以上も引かれた。
正社員は定時に帰り、派遣社員が何人もうつ病で辞めていく。ある朝、とうとう起きられなくなった。うつ病と診断され、休職扱いから一年後、解雇された。再就職先も長続きしない。昨年二月、ついにお金が一円もなくなりアパートの家賃を滞納。実家に帰ると、父親に「独立した者がなぜ戻ってきた」としかられ、あてもなく家を出た。
「飯でも食いなよ」。ネットで知ったもやいを訪ねた。食べさせてもらった野菜炒(いた)めの味は、生涯忘れない。一週間、何も食べていなかった。涙と一緒に、ご飯を二杯かき込んだ。
数カ月が過ぎたある日。もやいの事務所を訪れ、ぐちゃぐちゃになっていたパソコンの配線を手際よく直した。「すごいね」。頼まれ事が次々に増えた。ホームページを新装すると、称賛の声が上がった。腕を頼られ、喜ばれるのは初めて。うれしかった。好きなプログラマーになったのに、なぜうつ病になったのか、考えた。顧客やユーザーの顔が見えず、相手の喜びが伝わることもない。ロボットのように扱われていたことに、気づいた。
もやいで相談の仕事を手伝っていると、自分と同じように暗い顔をした二十−三十代の若者が、次々と訪ねてくる。「おれも助かったんだから、この人だって助からなきゃいけない」。そう信じ、自分の体験を語り聞かせている。
× ×
傷ついて「もやい」にたどり着き、癒やされ、新たな一歩を踏み出す若者たちがいる。そのカギは何か。「結い」がはぐくむ再生の力を考える。
<プログラマー> コンピューターを動かすプログラム(情報処理手順)を作成する専門技術者のこと。設計には集中力や根気が必要で、長時間の深夜残業が心身に過度な負担となる場合が少なくない。
▽【結いの心】
新たな一歩(中) 相談は『お互いさま』
2008年4月9日
http://www.tokyo-np.co.jp/feature/yui/news/080409.html
ボランティアの女性が描いた心象画。中央で胸を押さえる彼女に「社会の物差し」が刺さっている=新宿区で
「自分が悪い」。二十八歳の彼女はずっとそう思ってきた。
教師だった親に「学歴をつけろ」と言われるまま、進学校、有名大学と階段を上がり、就職でつまずいた。面接試験でうまく答えられず、不採用の通知。「自分は社会に不適格だ」と思い込んだ。
小さな会社に入ったが、先輩に上手に気を使えず「何、この失礼な子」といじめられ、一カ月で辞めた。その後、派遣などで五社を転々。一人だけ四大卒で給料が少し高いことをねたまれたり、「周りのことを考えられない」と責められたり。何か言われると胸を押さえる癖がついた。
最後の会社をうつ病で休職。精神科のクリニックにあった雑誌で「若年ホームレス」の特集を読み、転職と病気で行き場を失いつつある自分の今と重なった。「仕事がなくなり、家に帰れなくなったら私もホームレスだ」と、恐ろしくなった。
学校や社会で勉強できなかったことを学び直さなければ、と思っていた時、もやいの映画「今日も焙煎日和(ばいせんびより)」を見て穏やかな雰囲気が気に入り、相談員になった。
最初の相談者が、アパート契約の保証人の更新に訪れたおじいさん。「わしもボランティアをしてたんだ」と聞いて驚いた。ボランティアは、豊かな人が貧しい人を支援するもの、と思い込んでいたが、おじいさんは路上生活から抜け出した後、相談員になっていた。もやいでは珍しいことではない。相談する方も受ける方も「お互いさま」という気持ちでいるからだ。
もやいを訪れる人に、彼女は真っ先にお茶を出すことにしている。予約なしに相談に来た人にも「とりあえず上がってください」と声を掛ける。相手が話しだすと止まらなくなったり、質問と違った答えをしても、うなずき耳を傾ける。
「いちばん求められているのは、誰もが人として尊重されること。大事な人として扱うこと」。それが、もやいのパンフレットにある「誰も排除しない」ということだと思う。役所のように「部署が違う」とあしらわれることはない。
もやいに来て四カ月。心のリハビリが続く彼女は、こんなふうに言う。
「ボランティアしているのか、されているのか、分からない状態です」
<今日も焙煎日和> もやいが独自の焙煎コーヒーに挑戦する1年間を追ったドキュメンタリー映画。飯田基晴監督。貧困をテーマにした催し会場などで上映された。問い合わせは映像グループ・ローポジション=電050(3744)9745=へ。
▽ 【結いの心】
新たな一歩(下) 『弱さ』見せてもいい
2008年4月10日
http://www.tokyo-np.co.jp/feature/yui/news/080410.html
もやいのみんなで食べるごはんは、家庭の味がする=新宿区で
突然、足が震えだした。「やばいな」。相手は、もやいに相談に来た男性。不審に思われる。でも彼女は震えをどうにもできない。
その時だった。理事長の稲葉剛(38)がスーッと自分の隣に座り、男性の生活相談に答え始めた。
「稲葉さん、用はないはずなのに…、すごく助かった」
心からそう感じ、相談者が帰った後、彼女は正直に稲葉に打ち明けた。「実は私、今でも男性が苦手なんです」。父親から虐待を、結婚相手には暴力を振るわれ、家から逃げてきた。面談相手の男性は父と同じ五十代。無意識の恐怖が震えを起こしたのかもしれない。
「男の人の相談に乗らないことにすれば?」
事もなげに言われ「男の人と一対一でも大丈夫」と強がっていた肩の力が抜けた。別のスタッフも「それでいいんじゃない」。ああ、それでもここに来ていいんだ、役立たずだから来なくていいって、言われないんだ−固くなっていた心がほぐれた。
二年前、有給スタッフになった。「相談する相手がどこにもいなかった昔の自分を助けたい」から。人に弱みを見せず、肩ひじ張って生きてきた自分と、相談者が重なって見えるという。
三月のある日、彼女が話していたのは、まゆ毛をそり上げた若者。「そんなに強がらなくてもいいんだよ。私もそうだったから」。不安に一つ一つ応じるうち、相談者も「仕事、できるようになるかな」と、はにかんだ笑顔を見せた。
身内に対するような親身でいちずな姿勢に、「もう少し相手と距離を置かないと」という忠告を受けることもあるが、彼女は自己流を崩さない。
「一緒に心を痛めたり、怒ったり、喜んだり、疲れたり。自分がいちばん苦しい時に必要だったのはそれなんです。助けてって、死ぬ前にしか言えないことだと思ってたから」
家を飛び出し、頼れる人がいなかった彼女は今、カフェでくつろぎながら友人とコーヒーを飲む。仲間を家族のように思うこともあるという。
「ここは『いてもいいんだよ』と、言ってくれる場所。人に許され、助けられると、人にやさしくなれるんですよ」
彼女は、そう言って、ほほえんだ。 =文中敬称略
<DV(ドメスティックバイオレンス)> 夫婦間や元夫婦間、恋人同士の間で身体的、精神的、性的な虐待を行うこと。2001年に配偶者暴力防止法(DV防止法)が施行された。警察庁によると、昨年1年間のDV被害は、認知されただけで約2万1000件。