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株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu163.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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コンパクトシティーの再開発の問題は、市街地の地権者の無知・
無自覚・無能」こそが商店街の活性化を阻む最大の要因である。
2008年3月11日 火曜日
◆コンパクトシティ←なんとなく分りますが、これは具体的にはどのようにする事なのか良く分からないのです。事例紹介で見ても都市の中に公共施設や住居を作ればそれで終わりなのですか。
http://www.thr.mlit.go.jp/compact-city/CONTENTS/questions/answers/mainFrame.html
こういう形態の都市をコンパクトシティと呼ぶ、というようなものではないと思います。コンパクトシティというのは、都市計画に関するスタンスを表したものです。
つまり、都市を拡大して可住地を増やし続け、人口を増大させる方策をとり続けてきたこれまでの都市計画の基本的な姿勢を、この機会に考え直してみては、という問いかけだと思っていただいた方がいいように思います。
ですから、ライフスタイルを変える(例えば、自動車依存から公共交通+徒歩を中心にする等)といった場面が中心になってくるのであって、そのために、都市部に公共施設や住宅が整備されることは非常に効果的なことであると思われますが、それは目的像ではなく、単なる手法の−つです。
人口や面積が拡大していくことが、都市の成功であるという考え方を全く違う方向に転換させること、それこそがコンパクトシティ論の本質であると思います。
◆コンパクトシティの本質と戦略 2005年11月30日 北の心の開拓記
http://blog.goo.ne.jp/komamasa24goo/e/8ac02aa015295132c6b25a997460d607
前略
講演はたいてい質問を聴衆にするところから始まる。今日の質問は、「正しいのはどれとどれ?」と題して、聴衆に質問を出して正しいと思うかどうかを尋ねるやり方から始まる。
質問は例えば「少子化が進んで『失われた10年』と言われる90年代には毎年の出生者数が2割も減り、これが原因で年金の破綻が懸念される」というようなもので、一応巷(ちまた)で言われていそうな事柄になっている。
「これを正しいと思う人は挙手をしてください」「これが間違いだと思う人は挙手をお願いします」と壇上から質問をしたところ、「二択なのにどちらかに手を挙げた人は3割しかいません。そういう参加意識のないような事ではまちづくりはつとまりません!出張で来られた人は出張旅費をお返しなさい!」と厳しい言葉から始まった。
特に北海道に限った事でもないだろうが、我々は講演会などで人の話を聞くというときに、半分は興味を持っているがもう半分で馬鹿にしている部分があるようで、壇上からの質問にも真剣に答える人は案外少ないものだ。
しかしそういう参加意識が足りないようでは「一事が万事」であり、なにごとにおいても成功はおぼつかないだろう。藻谷さんはそのあたりの聴衆の心情をずばりと指摘してくれた。
事において真剣になれなければ聞かなければよいのだ。そのくらいの真剣さが、まちづくりの場面においても必要なのだ。
* * * *
今日の講演会はコンパクトシティの本質というタイトルであったが、いつもながら市の経済状況と町の現状は必ずしも一致しないという典型的な例として、景気の良い愛知県刈谷市と長崎県佐世保市の例が示された。
前者の刈谷市はトヨタ自動車関連の本社がいくつもある町で税収はものすごく多くて豊かな町なのに、中心商店街が廃れて死んでしまった町の代表である。
逆に佐世保市は造船などというやや時代から取り残された斜陽産業しかないのにもかかわらず、まちなかには1キロにわたる商店街がいまでも元気に残っているという点で面白いのだ。
藻谷さんによると、佐世保市でも商店街に歩いているのは周辺の商圏のわずか1/20だという。つまり5%の人に指示してさえもらえば、商店街は生き残れるのだという。
むやみにターゲットも分からず大衆を相手にしたような商売では郊外のショッピングセンターにかなわないのだが、まちづくりの形がそれを可能にするという。
それを藻谷さんは「シナジー効果」つまり、「相乗効果によるにぎわい効果」だと説明してくれる。すなわち、病院、学校、役場、デパートなど多様な施設
が狭い範囲にぎゅっと詰まっている事が相乗効果を生み出してにぎわいを生むのだという分析である。
日本の行政は縦割りになってしまって、それぞれの都合で傘下の施設を郊外へ郊外へとばらまいた結果、それらが互いに近くにある事で生じていたにぎわい効果を殺してしまったのだという。
日本はいよいよ人口減少社会に突入するのだから、これまでのような人口が増えるという前提によるまちづくりから早く脱却して、お金がかからず安心して投資出来るようなコンパクトシティづくりを目指さなくてはならないというのが藻谷さんの主張である。
まちづくりの一つの面は「富蓄の問題」で、財政的に豊かな内にしっかりといつまでも残るような財産となりうる施設にしっかりと投資をして置くべきなのだという。
小樽の運河や倉庫群はその代表事例で、そのお陰でいまの小樽観光があるし、逆に豊かだったときに安普請の炭住しか作りえなかった多くの炭坑町は悲しい惨状を呈している。
つまりコンパクトシティとは、投資家たちが「ここならば維持運営が確実で投資するに値する」と考える狭い範囲を決めて、そこだけはしっかりやり続けるということなのだ、と氏は言う。その安心感がまちづくりを促進するのだと。
* * * *
そして現在の中心市街地でその動きを一番邪魔する3文字があるという。
「なんだと思います?この三文字とは…、それは地権者なのです」というのが彼の答え。
つまり「郊外から戻って来たい人や事業者を受け入れられない、市街地の地権者の無知・無自覚・無能」こそが商店街の活性化を阻む最大の要因であり、これを行政も放置して責任も放棄しているのだという。
その悪循環から脱出する方法として藻谷さんは、「土地は買わずに、地権者に少ないけれどもメリットを発生し続けるように借りる」ということが良いと言い、またどうでも良いと思っている地権者は放っておいて、少しでも目先が利いて話の通じる地権者を相手にして、先にそういう人たちに対するメリットを見せつけてやるやり方を続ける事で、替わってもらうのを待つのが一番、なのだそうだ。
要は資格も能力もある人に志が足りないのが現在の中心市街地・中心商店街の問題だし、また客のニーズに応えようとする努力の不足もまたそれに拍車をかけている。
地域との関わりが薄れてしまった財産家はあるいみ質が悪いと言えるだろう。そのためにも、切れてしまった関わりを取り戻すところから始めなくてはなるまい。
結局冒頭の挙手をしない精神が蔓延している限り、まちづくりの成功などおぼつかないということだ。
目の前の一瞬に積極的に関わって行く精神とその継続こそがまちづくり成功のための秘訣のようだ。
久しぶりに藻谷節を腹一杯聞かされて、終わった後の質問タイムのための質問を考えそびれてしまった。
別の席に座っていた知人のSさんからは、「質問タイムに小松さんの手が上がらなかったので、『今日は来ていないんだな』と思いましたよ」と皮肉を言われてしまった。
しかし今日は久しぶりに余計な事を考えずにトークパフォーマンスを楽しんでしまったのだろう。
(私のコメント)
私の本職は不動産業であり、都内にオフィスビルと千葉にマンションを経営する実業家です。だから地上げ屋とか土地転がしとか言う不動産業者と違って非常に地味な商売であり、建物のメンテナンスや入居者からのクレーム処理に追われるサービス業だ。
東京も再開発が進んで常に変化し続ける町ですが、地方の商店街はシャッターが閉まりっぱなしの商店が立ち並ぶゴーストタウンのようになってしまっている。地方が時代の変化に乗り遅れて、このまま放置すれば再び活性化することは不可能だろう。東京も巨大な一つの街であり、地方のように無知・無関心・無能で放置されれば東京もシャッター通り化しかねない。
石油が1L=100ドル時代になれば、自動車依存の生活から公共交通機関と徒歩による街づくりに取り掛からなければならない。さいわい東京は鉄道ネットワークが整っていて徒歩による生活が可能だ。東京や大阪などの都市部が景気がいいのはこのような徒歩による生活が出来るようなインフラが整っているからだ。
ところが地方では果てしなく郊外化が進んで自動車なしでは生活できなくなっている。このような郊外住宅の住民は巨大な駐車場を備えたスーパーに買い物に行くようになり、駅前の商店街が寂れてしまった。しかし住民の高齢化とガソリン価格などの上昇により郊外生活は時間と金のかかるものとなり、都心回帰の傾向が続くようになるだろう。
私もバブルの頃はメルセデスベンツに乗って東京と千葉とを高速道路で行き来していたが、このようなマイカー生活は金もかかるし時間も無駄にかかる。鉄道なら半日で済む仕事が自動車だと丸一日かかってしまう。東京周辺の高速道路の渋滞がひどいからだ。だから今は電車と徒歩だけの生活なのですが何も困らない。
地方都市においても都心回帰の動きが起きてくると思うのですが、その場合に問題になるのは地権者と呼ばれる人たちだ。再び商店街を活性化しようと思っても地権者が協力してくれなければ再活性化は不可能だ。郊外に引っ越した人が再び都市に戻ってこようと思っても受け入れる施設がなければ戻ってこれない。
紹介したブログでも書いてあるとおりに、現代の地方に覆いつくしているのは無知・無自覚・無能だ。時代の変化に気がつかず、時代に合わせる気力もなく、どのようにしたらいいのかも分からない。講演者が問いかけをしても答えるのは2,3割であり、誰も真剣に話しを聞く人がいない。これでは町の再活性化も出来ないだろう。
これからは少子高齢化で老人世帯も増加していく。マイカーがなければ買い物も出来ないような郊外では不便だし、医者や病院にも通えない。だから歩いて生活のできる町づくりがこれからのトレンドなのですが、それが分からなければ不動産業者も市場のニーズに合わないものばかりを作ってしまって失敗するだろう。
東京でも学生や若い会社員向けのワンルームマンションがやたらと多いのですが、それらは時代に合わなくなっている。そのようなマンションはぶっ壊して老人向けのマンションに建て直したほうが市場に合うだろう。地方都市でも中心部に住民が増えれば買い物客も確実に増える。
駅前のシャッターだらけの商店街も、郊外に散ってしまった住民を呼び戻す事が経営戦略として必要だ。今はまだ郊外住宅のほうがいいと思っている人も、マイカーなしでは生活できない環境に音を上げる時が来るだろう。地方都市でも昨日書いたような路面電車などを走らせて歩いて生活できる町づくりを目指すべきなのだ。
東京では高度成長期には大学の都心から郊外に引っ越すケースが見られましたが、そのような大学は学生が集まらなくなり、都心に残った大学が学生を集めている。大学が郊外にあってはアルバイトもままならないからだ。いずれ郊外に出来た巨大スーパーも都心回帰で客が来なくなり閉店するところも増えて、郊外生活は不便になる一方になるだろう。
東京も一時は都心部が空洞化して銀座も寂れるという予想がありましたが、今では世界のブランド商品が並ぶ高級商店が並んで海外からも客を集めている。地方のシャッター通り商店街も一種の空洞化現象ですが、どうしたら住民を郊外から呼び戻して、郊外の巨大スーパーにないサービスを提供できるかを考えるべきなのだ。住民の5%の支持があれば商店が成り立つ。そして固定客を増やしていく努力をすべきだ。
不動産デベロッパーもこれからは、郊外の住商施設開発は立地が難しくなる一方だし飽和状態で客の奪い合いが起きている。むしろ安くなった都市部の再開発のほうがコンパクトシティ構想にも合致して上手くいくだろう。しかし地権者たちの無知・無関心・無能の障害が都市の再活性化の邪魔になる。
地方に行くと、一人も通行人を見かけない商店街を見ると「もうだめだ」と絶望的になる気持ちも分かります。果てしなく郊外に住宅が広がってしまって中心部に人がいなくなってしまったからだ。そしてあるのは巨大スーパーだけという生活は合理的だろうか? 歩いて生活が出来るコンパクトシティーに比べて、郊外生活は金もかかり時間のロスも大きい。いずれ郊外の住民はそれに気がつくはずだ。