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2008年02月24日
「いのちの食べかた」
観ようかどうか迷っている映画だ。
同名のタイトルの本を以前持っていたが、全部読まないまま散逸してしまった。映画はオーストラリアの作品で、本は日本人森達也によるノンフィクションなので、まったく別の作品である。でも、テーマは同じだと思われる。
私たちは、いのちを食べて生きている。
でも、いのちを殺さずに、かつ、いのちを犠牲にしていることを自覚せずに、食事をとっているのだ。
ケンタッキーフライドチキンを食べているときに、殺され、羽をむしり取られる鶏の姿を想像する人はいったいどれだけいるだろうか。牛肉を食べるときに、殺される牛を想像する人がどれくらいいるだろうか。
殺さないで、肉をおいしく食べる。だから、肉をみるだけで、ただうまそうだと思ってしまう。
かけがえのない命を食しているのだという自覚は、もっとちゃんと生きようという自覚につながっていくようにも思える。
僕は、ある企業の面接官から、にやにやしながら、こう質問されたことがある。
「あなたの家は、どんな職業ですか。肉屋か何かではありませんか」
業界トップの企業が、こんな面接をするとは驚いた。カチンときた。
屠殺をする業務に就く人たちは、同和地区出身者がかなりいたという話を、同和教育の授業などで知っていた。職業で差別をするなどおかしな考え方だ。
牛などを殺して、さばいていく仕事をする人がいなければ、私たちは、肉を食べられない。また、刃物を使う人がみんな野蛮なら、料理を作る人はみんな野蛮だということになってしまう。命を犠牲にしていることに無自覚で、ただうまい、うまいといって食べている人の方が、よほど「野蛮」だと僕は思う。食べ歩きをしている人の方がよほど「野蛮」だと思う。いちいち殺されている動物たちの姿を想像するのは嫌だと思うのはわからないでもない。でも、動物を殺すという仕事を引き受けている人たちに偏見を持っていては、何が食文化だ、と思う。
面接では、第一志望にしてしまったことについて、内心馬鹿馬鹿しく思ったほどである。
でも、偏見を持っている人は、この面接官だけではない。他の企業にもわんさかいる。そう思い直した。
それでも「いいえ、肉屋ではありません」ですませるのは嫌だった。そのような返答をすることで、差別を容認する側に回りたくはなかったからだ。
だから
「私の家は酒の小売りをやっていますが、肉屋だったらどうだとおっしゃるつもりですか?今のようなご質問は二度となさらない方がいいと思います」と釘を刺した。他の学生は「最初に、出身大学名を行っただけで、ほとんど面接官から相手にされなくなり、面接は五分くらいで終わった。自分なりに大学で努力をしてきたし、企業研究もしてきた。とても悔しかった」と言っていた。この年、同じ業界の1位から4位までのすべての会社の会社説明会と面接を受けたけれど、この会社だけ突出して大学差別が露骨だった。もし圧迫面接をする意図があったとしても、もうちょっとやり方というものがあるだろう。もちろん、その会社の人たちが総じて人権感覚に疎かったというわけではなく、いい人もたくさんいた。だが、採用担当がこのような考えであることは許されないと僕は思う。
さて映画「いのちの食べ方」のサイトでは、ひよこがベルトコンベアに載せられている画像が載っている。
どんな話なのだろうか。ひよこはオス・メスに選別され、オスは食肉用として売られる。メスは卵を産まなくなると廃用となり肉になる…という流れなのだろうか。ショッキングな映像もあるためにR指定の映画となっている。
この映画は福岡県内では「シネテリエ」だけの上映である。
観たいのだけれど、ここはレイトショーがない。ポイントカードを使えば1600円、使わなければ1800円である。2月29日までの上映なので、映画の日(毎月1日)には上映が終わっている。観たいのだけれど、どうしようか、と迷っているところである。
http://www.espace-sarou.co.jp/inochi/